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美術部に入部して初めての夏休みが明けた
登校してきたときは別にいつも通りだったけど、昼休みになる頃にはクラスだけじゃなく学年全体がざわざわし始めた

「え、何?」

購買に向かってる時にあからさまに落ち込む歌島を見て恋ちゃんと純田に何事?と問いかける

「いや、兎原さんっていんじゃん
なんかモデル辞めたらしいぜ」

「…へえ」

兎原さんと言えば笑顔を貼り付けて表面上だけ笑ってる印象
けど俺の絵を見て楽しそうな顔も思い出して少し気恥ずかしくなる
購買に着いた時、そこには例の兎原さんがいた
友達と来てたようで歌原が問いただしている

「あああああ!俺の癒しがああああ!!!」

「(歌島リアコかよ…)」

憧れとかじゃなくて割と本気だったんだろうということがこの叫びを聞いて理解できる
苦笑いしていた俺はふと傍に兎原さんがいるので小声で聞いてみた

「大丈夫?なんかあった?」

モデル業を辞めるなんて大きな決断をしたことに何か思い悩んでたりするんじゃないか
そう思ってついついまた壁を乗り越えてしまった
けれど兎原さんはあの日とは違って素の表情で「大丈夫だよ」と返してくる
拒絶ではなく普通の返事

「(あれ…素、だよな?)」

兎原さんの表情は前よりも柔らかくて何というか笑顔を貼り付けることをしないその姿に少しだけ呆気に取られた

「そう言えば森先輩と幼馴染なんだって?」

「うん、家が近所なんだ」

「へえー」

たった数言の会話
それなのに兎原さんと目が合う度に胸が熱くなる
その理由はまだわからないけれど、俺の絵を見て笑う姿を見たいとそう思った





HR後いつものように美術室へ向かう
今日は美術部は休みなので俺しかいないようだった
準備室に佐伯先生がいることは知っていたので慣れた手つきで準備しデッサンを始める

集中していて気がつかなかったけどどうやら佐伯先生は誰かと話し込んでるようで美術室には現れない
時計を見るともう19時前でびっくりした

「(やば、集中しすぎた!)」

あんまり遅いと母さんがうるさいので片付けをして佐伯先生に一言声をかけてから帰ろうと思い準備室へ向かう
扉は開いていたのでそこから中を覗けば夏休みの課題を見る兎原さんの姿

「(え?なんで兎原さん?
ってか見てるのって俺の絵じゃん!!!!)」

夏休み最終日に描いた渋谷の絵
我ながら毎日書き続けたおかげでちょっとは上達したと思ってるけど兎原さんはどういう反応だろうか

「それね、矢口さんの作品なんですよ」

「えっ?!」

そりゃあ驚くよねと苦笑い
先生は俺が覗いてることに気付いてるみたいだけど、兎原さんは絵に釘付け
その顔があの時と同じ楽しそうなものなので胸がぎゅっとなった

「兎原さんは矢口さんの絵が好きですね
森さんの絵を見てる時のような顔してますよ」

「(何言ってんすか先生!!!?)」

読めない人だとは思ってたけど俺がいるのにわざとそういうことを言うのは策士だと思う
それを聞いた兎原さんは顔を赤くして慌てているみたいで、ちょっと可愛い

「矢口くんは凄いですね、やりたい事を見つけて本気で頑張ってる」

「それは兎原さんもでしょう、やりたい事を本気で見つけようとしている
少し前までは全部諦めたような子だったのに随分変わりましたね」

確かにそうだ
兎原さんは何をしてもつまらなさそうで、けどそれを隠してて
絵に出会う前の俺と同じ顔だった

「さ、日も暮れてきましたし帰りましょうか
矢口さんは兎原さんをちゃんと送って行ってあげてくださいね」

「え」

バッと振り向いた兎原さんが俺を見て驚いた表情になる
先生に追い出され流れで一緒に駅まで帰ることになったけど、前に一回一緒に帰った時よりも変に意識してるのは絶対さっきの兎原さんの発言のせいだ

チラッと横目で見れば兎原さんが美人だということを再確認する
顔小さいし髪さらさらだし手足細いし…そう思いながら眺めてたらバチッと目が合ったので急いで逸らす

「(え?俺ちょっと今やらしい目で見てなかった??アウトだろそれは!!!)」

「矢口くん?」

「いや、えーっと…さっき褒めてくれてありがとう」

さっき聞いた言葉が兎原さんの本音だとしたら嬉しい
別に頑張ってるねと言われたいわけじゃなくて、兎原さんに言われたから嬉しいんだと思う
俺と同じで取り繕うタイプの人が取り繕わなくなった時に出るのは本音だから
そこに嘘や誇張なんかないと知っているから

兎原さんは何故か百面相している
何してんだろうと思うけど、前までなら見ることのなかった姿だ

「兎原さんなんか雰囲気変わった?」

「佐伯先生のおかげだよ、自分の”好き”を模索中なんだ」

「”好き”?」

「そ、私やりたい事とか全然無くてさ…何をやっても熱中できなくて、好きになれなくて…そんな日常がつまらなくてどこか諦めてた」

それわかる、まんま俺と一緒じゃん
やっぱり兎原さんは苦しんでたんだ
壁を乗り越えて失礼だったかもしれないけど、それが正解だったのかもしれない

「でもね結構好きなものあったんだよね
花でしょ、ご飯でしょ、それにネイルも好き
まるちゃんの絵が好き、勿論まるちゃんも好き

…あと矢口くんの絵も好き」

「えっ」

突然出てきた自分の絵にびっくりする
けどそんな俺に兎原さんはクスクス笑って「何でだろね」と一言
先を歩いて横断歩道を渡る兎原さんに嬉しいようなからかわれているようなどっちとも言えない感情にそわそわしてしまう

「たまに美術室覗きに行くからさ、見てもいい?矢口くんの絵」

「う、うん、俺のなんかで良ければ」

「やった」

そう言って笑った兎原さんの笑顔を見て心臓にトスンと矢が刺さる
あ、だめだ、これ落ちたやつだ

今まで人を好きになったことはある
それと同じ感覚が今この瞬間全身を駆け巡る
歌島ごめん、俺もうお前のこと応援できないかも

俺の絵が好きと言ってくれた兎原さん
そんな彼女に恋をした




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