八虎くんの恋事情



高校一年の時、中学からの友達の歌島が「恋をしたかもしれない」と言い出してみんなで爆笑した

詳しく聞けばその子は同じクラスの兎原さんで、納得
焦げ茶色のロングヘアーは毎日巻いてるのか緩くカールしていて、大きなピンク色の目といい感じにマッチしてる
身長は女子の中では平均よりちょっと高め
ネイルもピアスも開いていてギャルだなーって感じのいかにもモテそうな女子

「ヒナちゃんモデルもやってんだって、あんな子が彼女だったらやべーよな」

歌島の言う通りああいう子が彼女だったら楽しいだろうなとは思う
でもそれは俺にしてみれば到底無理な話で、今日もこいつらと馬鹿やってる方が心地いい
それが兎原陽菜という後に俺の彼女になる子への第一印象だった





高二に上がった6月頃
いつものように夜遊びするためにスポーツバーへ向かっていたら見覚えのある制服が視界に映った
気のせいか?と思いつつ目を向けるとやっぱウチの学校のセーラー服で、しかも着ているのが兎原さんということに気が付く

「(あ、目合った…逸らされた…)」

え?何でこんな時間に兎原さん一人で出歩いてんの?
と不思議に思ったのも束の間、兎原さんを見た大学生っぽい人が悪そうな顔で後をつけるのが見えて眉間にシワが寄った

「(うわ、あれぜってートラブルになるやつだ)」

兎原さん可愛いし、まあナンパとかしょっちゅうあるんだろうなと思いながら歌島たちにコンビニ寄ってくると言って彼女の元へ
正直厄介ごとは御免だけど目があったし見過ごして後々問題になる方が後味が悪い
陸上競技は苦手だけど急いで走って兎原さんの元へ行き、そのまま腕を掴んで走る

「えっ…!?」

「いいから走って」

何でこんなことしてるんだろうとため息をつきたくなるけど、掴んだ腕が若干震えてて怖かったんだろうなと察する
人の多い駅について必死に息を整え顔を上げるとやっぱり俺の知ってる兎原さんだった
今年はクラス離れたから話すの久々だな

「俺が言うのも何だけど、こんな時間に一人で出歩くのやめた方がいいよ」

「あー…うん、そうだよね!」

にこっと笑う兎原さんの笑顔に違和感を覚えた
その笑い方は知ってる、俺がよくやるやつと同じだから

「さっき実里と紬と別れたとこで「無理してない?」

口に出してすぐに「(しまった!)」と心の中で叫ぶ
俺と同じなら踏み込んでほしくなくて誤魔化して笑顔貼り付けてんのに何土足で上がり込んでんだ…と
案の定兎原さんは「電車が来るからもう行かなきゃ」とこの場を終わらせようとしてくる
やってしまったと後悔しながら見送り歌島たちの元へ戻る
少し歩いてから振り向けばもう兎原さんの姿は見えない
ただ漠然と彼女が気になるのはきっと同じような笑い方をするからだろう






それから数日
俺は美術の授業で描いた青い絵のおかげで今まで遊びも勉強も手を抜かずにやってきたのに何一つ実感が得られない人生が変わったのを感じた

美術は文字じゃない言語

佐伯先生はそう言った、確かに俺が伝えたかった早朝の渋谷
それを恋ちゃんは読み取ってくれて初めて人と話せた気がした
いや、だからって別にどうというわけでもない
ちょっと絵って面白いんだなっていうその程度

けど美術部の手伝いに駆り出されたあの日、そこには兎原さんもいて森先輩と親しげに話してる

「(知り合いなんだな…)」

何でここに兎原さんが?とか思ったけどどうも森先輩の天使の絵を見にきたらしい
さっさと手伝いを終わらせて帰ろう、そう思っていた俺は選択美術の課題を外していく

「…青」

反対側から外していっていた兎原さんの声に嫌な予感がして目を向けると、やっぱり俺の絵を見ていて思わず「げ」と声が漏れた

「え!矢口くんが描いたの?!」

「あー…うん」

「へえー…!」

俺の絵をまじまじと見つめる兎原さんに変に緊張する
兎原さんっていつもにこにこしてるけど、別に愛想がいいってわけじゃない
どっちかと言うとクールな印象の方が強いし、そういうのが歌島には刺さるらしい
けど絵を見てる兎原さんの顔は何だか楽しそうでちょっと意外だ

手伝いも終わって美術室を出た俺は帰って勉強やらなきゃなーとぼんやり考える
ここ数日サッカーの試合観戦で全然手付かずだったしそろそろやばい

と、その時ぐっと腕を掴まれ後ろに引かれる感覚がして驚いて振り向く
そこには走ってきたのか少し息が乱れてる兎原さんがいた
俺を見上げて「無理してない?」と言う姿はまるでこの前の俺と同じで、ああこの子も咄嗟に壁を乗り越えてきたんだろうなと察する

「何の話?」

やんわりと拒絶すれば兎原さんは「ううん、何でもない」と言った
きっと兎原さんは俺と同じで人の目とか色々気にするタイプなんだろう
似てるからこそわかりやすい

「(モデルもやってモテて、さぞかし楽しいんだろうな)」

そんな人生が心から羨ましい
兎原さんのことを何にも知らない俺はそんなことを思っていた






数日後
中学の頃のスケッチブックを取り出してきて部屋から見える外の景色や、ティッシュ箱なんかを描いてみる
なんだろう、もっとうまく描ける気がしたんだけど何がいけないんだこれ?
本当に美術が才能の世界じゃないなら俺でも少しはやれんのか?

そう思ったら気になってしまって翌日美術部の活動が終わった頃を狙って佐伯先生の元へ向かった
遠近法というものを教えてもらってすっきりした気がする

「作った本人が好きで楽しんで情熱を込めて作ったものってね、それを見た人も楽しくなっちゃうものなんですよ、これはキレイ事じゃなくて本当に」

佐伯先生は褒めてくれた
確かに絵を描いてる時はただ夢中になってひたすら手を動かしてた気がする

「…そっすかねえ」

「そうですよ、逆にどんなに技術があっても情熱のないものは人の心に響かないんですよ
あの青い絵を見た兎原さん、とても楽しんでいたように見えたでしょう?」

「…あ」

確かにそうだ
あの時の兎原さんは楽しそうで、そんな姿を意外に思ったのを覚えてる
この前の青い絵を描いてから色々考え迷っている

「先生、絵って趣味じゃダメですか?食べていける保証がないなら美大にいくメリットってなんですか?」

その問いに先生は美大について色々教えてくれる
でもどれもそうなんだとしか思えない

「でも!だからと言って美大にいかなきゃ絵が描けないわけではないし趣味で描く絵にもノビノビしてていい作品はたくさんあります…だけどね
「好きなことは趣味でいい」これは大人の発想だと思いますよ」

「えっ」

鈍器で殴られたような感覚がした

「誰に教わったのか知りませんが頑張れない子は好きなことがない子でしたよ
好きなことに人生の一番大きなウエイトを置くのって普通のことじゃないでしょうか?」

その通りだ
俺はいつからか勘違いをしていたようだ
絵を描いて知った人と話せたようなあの感覚
授業を受けていても勉強していても絵のことばかり考えてて気持ちがどんどん大きくなる

「俺…正直今揺らいでて、でも確信が持てなくて…美大って俺入れると思います?」

「わかりません!でも好きなことをする努力家はね最強なんですよ!」

もうこれ以上は心を隠すのは無理だろう
経済的に私立は論外、藝大一択

やべえな…心臓ドクドクいってる…でも今までずっと生きてる実感が持てなかった
あの青い絵を描くまでは
俺の心臓は今動き出したみたいだ




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