14.何もできないって複雑



ガタンゴトンと揺れる電車
ユカちゃん、私、矢口くんの順に座ってるんだけど何これ?

「コレ俺も行ってよかったの?」

「当たり前じゃないか、こないだ美術室にきたとき八虎に会えなくて残念そうにしてたよ」

「ならいいけど」

確かにこの前まるちゃんが来た時に矢口くんは美術室にいなかったから会えてない
ユカちゃんと武蔵野美術大学に行く約束をしていたので待ち合わせをしてたんだけど、来てみればそこには矢口くんの姿
告白以来LINE上での繋がりしかなかったので何というか気まずい
それにユカちゃんは絶対両思いだってわかってる顔してるもん

「受験前のこのタイミングにF100号なんてよく描くよな」

「F100号?」

「ほら、去年森先輩が受験用に描いてたあの天使の」

「あの大きいやつ?」

「それそれ」

矢口くんもそれを描いていると聞いてびっくりする
予備校もあるのにそのバイタリティは尊敬する
で、その矢口くんが何故ここにいるんでしょうか
チラッと横目で顔を見るとやっぱりまだ思い悩んでいる様子で少し心配

「(私一緒に行っていいのかな)」

まあユカちゃんもいるし何とかなるか




そう思っていたのに大学に着いた途端、ユカちゃんはパン屋にいるから二人で行ってきてと笑顔で言ってのけた
これには矢口くんと顔を見合わせ二人でマップを見ながらこっちじゃないか、あっちじゃないかと広いキャンパスを練り歩く

「でっけー校舎」

「だね、なんか大学生って感じで憧れる」

私が通う製菓専門学校は一つの建物に全部が集結しているのでキャンパスという感じではない
だからこういう風に大学を見るとちょっと憧れはあったりする

「あ、多分ここ」

矢口くんが指差したのは204アトリエと書かれた部屋

「失礼しま…」

先に入っていった矢口くんの言葉が途切れた
その理由はすぐにわかった
大きなキャンバスに描かれたその絵に心が震える
仏像の手のようなものがたくさん描かれたそれに頬が緩む
まるちゃんはいないようでまじまじと絵を見つめる矢口くん

「あ!」

何かを感じ取ったのか声を出した彼の顔は楽しそうで、ずっと喉につっかえていた小骨が取れたようなそんな顔をしている
まるちゃんはすごい、ちょっとくらい嫉妬しても仕方ないって思えるくらい本当にすごい
でもまるちゃんじゃないといけなかった
矢口くんが絵の道に進むきっかけになったのはまるちゃんの絵だから
背中を押すのもまるちゃんの役目

「すげえキレイだ…」

少し待ってみたけどまるちゃんは帰ってこなくて、矢口くんが絵を描きたいし帰ろうと言うのでアトリエを出てユカちゃんとの待ち合わせ場所に向かう

「ね、ほんとにまるちゃんに会わなくてよかったの?」

「ん、いーの」

そう言った矢口くんの顔が楽しそうで安心する

「兎原さんこそよかったの?」

「んー、まあ私は家近所だし普通に遊びに行くからね」

「そっか」

矢口くんにとってまるちゃんは絵の道を示して、暗がりを照らしてくれる神様みたいな存在なんだろう
じゃあ私は?矢口くんにとって私って一体何?
聞きたいけど聞かない
だって矢口くんの邪魔をしたくないから

「F100号…完成したら見せてね」

そう告げれば、矢口くんは嬉しそうに笑って頷いた





矢口くんから「完成した」と声をかけられたのはそれから少しした頃
ドキドキしながら美術室に向かえば、そこにはあの時まるちゃんが描いていたのと同じ大きな絵
見た瞬間周りの音が消えた気がした
引き込まれるような感覚とバクバクと動く心臓

「…どう、ですか」

緊張気味な矢口くん
既に絵を見た先生は美術部の面々は他の作業をしているけど、私は周りのことなどもう考えるほどの余裕なんてなくて矢口くんに目を向ける

「ドキドキしてる」

「え」

「やばい、待って…これすごい」

矢口くんの絵は知ってる、けれどこんなにレベルアップしてるなんて知らなかった
見る度に駆け上がるその実力に鳥肌まで立ってる
蹲み込んで顔を押さえる私の様子にびっくりした矢口くんが慌てて蹲み込んで心配そうに覗き込む
けれどきっと今の私の顔は赤いんだろう
絵のことはわからない、でも矢口くんの絵は好き

「見せてくれてありがとう」

そう言った私を見た矢口くんは同じくらい真っ赤になってはにかんだ
人の作品にそんなに感動する?と疑問に思う人もいるかもしれない
というか大半がそうだろう
私も美術館に行っても「変な形」くらいにしか思わないし
でもこの感動は本物だ、私の好きの証





矢口くんの絵が完成してから時が経ち12月下旬
世はクリスマス一色で浮かれきっているカップルを見ると何とも言えない虚しさがこみ上げてくる
去年はそんなに思わなかったけど今年はきっと好きな人がいるから余計にこう思うんだと思う、多分

「矢口くん元気かな…」

受験直前ということもあり学校の授業もほぼ自習
予備校の方メインで通ってる矢口くんには会えていない
それになんと一昨日から冬休み
いよいよ接点のなくなったことでLINEもほぼしてない状況
藝大の入試はセンターに加えて実技が二次まであるらしい
過酷すぎるなと思うけど、矢口くんのことだからセンターは大丈夫だろう

「何もできないって複雑…!!!!」

自室でそうぼやいていると、実里から電話が来たので話に付き合う
受験前でストレスが大変そうなので年越しにでも行こうかと誘ってみると即答で行くとのこと
通話を切ってから紬は彼氏と過ごしそうだなーと思いつつお風呂の準備をしているとまたスマホが鳴った

また実里だろうと思い大して確認もせず「もしもし」と電話に出て次の瞬間に聞こえたのは矢口くんの声
びっくりして画面を見るとそれは紛れもなく矢口くんの名前が表示されていて全身が岩になったように緊張する

《ごめん遅くに》

「ううん、予備校帰り?」

《うん、今家ついたとこ》

「そっか、お疲れ様」

電話越しだからか、それとも耳元で聞こえるからかすごくムズムズする
話を聞いてると明日から予備校は休みらしい
よかったお正月はあるんだと一安心
ずっと切羽詰まってたらさすがに息が詰まるもんね
それからも他愛ない話で盛り上がるけれど部屋の時計を見ればかなりの時間が過ぎていてギョッとした

「あ、もう結構時間経つね矢口くん疲れてるだろうしそろそろおわろっか」

なんて平然を装うけどクリスマスに声が聞けただけでも嬉しい

《あの、さ…初詣一緒に行かない?》

びっくりした、てっきり歌島くんとかとカウントダウンするんだと思ってたから
いかにも矢口くんたちがしそうなイベントだもん、私も実里とするけれど

《てか、初詣は口実で…1日に会えないかな》

きっと課題もあるはずなのに何でそこまでして時間を割いてくれるんだろう
矢口くんの好きが伝わってきて胸が苦しい

「うん…会いたい」

付き合ってはいない
でも私たちはお互いに好きだと知っている
そんなもどかしい関係だ




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