07.褒めてくれてありがとう



佐伯先生に紅茶を頂いて話し込んでいたら結構な時間が経っていて帰り支度をする
と、その時目に入ったのは美術部の作品
夏休みの課題…かな?
そう言えばまるちゃんが去年「終わらない」って遠い目をしてた気がする

「ああ、それは1、2年生の夏休みの課題ですよ」

「凄い量ですね」

「まだまだ、美大はこんなものじゃないですからね」

「(美大ってもしかしてとんでもなくヤバいところなんじゃ…)」

あまり触れて傷つけるのは良くないのでまじまじと眺めていると渋谷の絵に目が留まった
綺麗な配色、それに構図っていうのかな…それがいい
上手だと思う、けれど完璧では無いだろうしもっと上達するような絵
それなのに引き込まれる感覚と胸が少し揺れる感覚がした

「いいですよね、それ」

「あっ、すみません勝手に」

「それね、矢口さんの作品なんですよ」

「えっ?!」

確か矢口の絵はあの青い絵だった
夏休み含めて2ヶ月の間にこんなに上達したってこと?
てゆーか、それよりも私また矢口くんの絵に心が動いた

「兎原さんは矢口さんの絵が好きですね
森さんの絵を見てる時のような顔してますよ」

そう言われて急に恥ずかしさが込み上げてくる
まるちゃん以外の絵を好きになる時が来るなんて想像もしてなかったからちょっと困惑してしまう

「…矢口くんは凄いですね、やりたい事を見つけて本気で頑張ってる」

「それは兎原さんもでしょう、やりたい事を本気で見つけようとしている
少し前までは全部諦めたような子だったのに随分変わりましたね」

佐伯先生はそう言ってから立ち上がった

「さ、日も暮れてきましたし帰りましょうか
矢口さんは兎原さんをちゃんと送って行ってあげてくださいね」

「え」

慌てて振り向けば美術室と繋がるそこには矢口くんの姿
え、待っていつから?
美術室には誰もいなかったはずなのに…いや待って、話し込んでる最中に物音はした気がする
ってことは矢口くんが絵を描きに来てたってこと?
扉開けたまま話してたから会話うるさくなかったかな

気まずい空気のまま矢口くんと学校を出る
なんかちょっと前もこんな感じで駅まで一緒だったなあと横を歩く矢口くんを見れば、バチッと目が合ってしまい慌てて逸らされた

「矢口くん?」

「いや、えーっと…さっき褒めてくれてありがとう」

ああ、矢口くんは凄いって話を佐伯先生にしたなと思ってハッとする
え、待って、じゃあ絵をガン見してたのも見てたってこと??
うわ、何それ恥ずかしい!
百面相していた私を見た矢口くんが不思議そうにこちらを向いた

「兎原さんなんか雰囲気変わった?」

「佐伯先生のおかげだよ、自分の"好き"を模索中なんだ」

「"好き"?」

「そ、私やりたい事とか全然無くてさ…何をやっても熱中できなくて、好きになれなくて…そんな日常がつまらなくてどこか諦めてた」

矢口くんの目が丸くなる
キミも絵に出会う前は同じだったんでしょ?
分かるよ、私と同じ顔してたもん

「でもね結構好きなものあったんだよね
花でしょ、ご飯でしょ、それにネイルも好き
まるちゃんの絵が好き、勿論まるちゃんも好き…あと矢口くんの絵も好き」

「えっ」

「何でだろね」

クスクスと笑った私は青に変わった信号を見て横断歩道を渡る
私を追いかけて来た矢口くんはソワソワしていて絵を褒められたことがそんなに嬉しかったのかなと何だか可愛く見えた

「たまに美術室覗きに行くからさ、見てもいい?矢口くんの絵」

「う、うん、俺のなんかで良ければ」

「やった」

好きなものが見れるのは嬉しい
喜ぶ私を見た矢口くんの顔が赤くなっていた事も知らず、私は自分の好きが満たされていく満足感を感じていた




帰宅して晩御飯を作りながらテレビを眺める
相変わらず誰が付き合ってるとかそんな話ばかり

「恋愛ってなんだろ」

誰かを好きになる気持ちはまるちゃんで知ってる
けど男の子に同じような気持ちを抱いたことは無い
ずっと傍にいたいと思えるような人がいつか見つけられるのだろうか
お父さんとお母さんみたいにお互いを思えるような人と
そこまで考えた時脳裏をよぎったのは帰り道に見た矢口くんの恥ずかしそうな、でも嬉しそうな表情
いつも飄々としていて余裕たっぷりな矢口くんがあんな顔をしてるのは珍しい
と、そこまで考えた時に心臓がぎゅっとなる感覚がした

「?」

変な出来事に自分でも不思議に思うけれど体調が悪いわけでもないので放っておくことにする


自分の部屋に戻って目に飛び込んできたのは進路希望調査用紙
好きを紙に書き出すと何かわかるかもしれないという佐伯先生のアドバイスに従い好きなものを羅列していく
書き出してみれば結構な好きが並んだ
私歌うのも好きなんだと新たな発見もありとても面白い

と、そこで目に入ったのは意外と甘いものが多いということ
思い出したのはお母さんと二人で作ったケーキをお父さんが嬉しそうに食べるあの光景
また作ってあげたい
お母さんみたいに上手に出来るかは分からないけどお父さんの喜ぶ顔が見たい
気がつけばパティシエのなり方、製菓専門学校などを調べ始めていた
学費はどれぐらいなのか、東京にどれだけあるのか、受験方法はどんなものか、などなど調べていると時間はどんどん過ぎていく





翌日、第1志望から第3志望まで製菓専門学校で埋まった進路希望調査用紙を提出し物の見事に担任に呼び出され職員室で小言をもらっていた

「兎原さんは成績も良い方だし大学とか出てみてもいいんじゃない?」

「大学行ってやりたい事ないんで」

「うーん、それこそモデルの仕事は?」

「もう辞めました」

「辞めっ…?!」

先生はどうも私を大学に進学させるか芸能界に入れたいらしい
そりゃあ自分の教え子から芸能人が出たらハナタカだもんね
そして同時に担任の先生は嫌いだなと心が死んでいく感覚がする
モノクロの先生が言ってることも全然頭に入ってこない
何で私が見つけた好きを奪うの?
そんなにパティシエってダメ?大学出てからでも遅くないって何?私の人生の道を勝手に決めないでほしい

「そういうことだからもう一度考え直「すみません、私変える気ないんで」

颯爽と職員室を出ていく私を見ていた教師陣はぽかんとしたという
今までは笑顔で取り繕ってきたけどそういうのは終わり
私は自分の心を信じたい
見つけた好きを信じたい
これは私の人生なんだから




- ナノ -