06.距離近くなってない?



"好き"を探そうと意識してから色んな"好き"を見つけた
例えばお母さんの好きだったラベンダー
お父さんが美味しいと言ってくれた卵焼き
実里や紬と一緒にいる時間
可愛い服を着ている時
日常に"好き"はいっぱいあって、今まで見つけられていなかっただけなんだとわかると何だかもったいないように感じてしまう
そしてわかったのは"好き"だけじゃない

「え、辞める!?」

「はい」

驚いている事務所の社長
急に売れっ子が辞めると言うんだからそりゃそうかと思うけど好きじゃないことに時間を割くのはもうやめる
モデルの仕事もきっぱりと辞めたのは夏休みが終わる前日
そして進路希望調査用紙はまだ出せていない





「まじ学校だるいわー」

ぐったりしている実里
見事に夏休みを楽しんだようでこんがり焼けている
何度か遊んだけど最後の追い込みということもあってモデルの仕事が多かったので頻繁に会えたわけではないから実里のこの焼け方にはびっくりしてしまった

「日焼け止め塗ってないの?」

「塗ったけど海行ったら一発アウト」

「あーね」

海いいな、モデルの仕事を始めてからは日焼け厳禁という理由で行けてなかったので来年は行ってみたい
一方の紬も大学生の彼氏と旅行に行ったようでお土産をくれた

「智くんがサプライズしてくれてねえ、もうアタシ幸せで死んじゃいそう♥」

「うっわ、リア充だ」

「実里はなんかひと夏の恋とかなかったの?」

「ないない」

いつも通りの会話
けれど二人のことが好きだと自覚してからはちょっと変わって見える
そんな私の様子に気がついた二人はニヤリと笑う

「おやー?おやおやおやー?」

「もしやヒナさん何かありましたかなあー?」

「え、何もないよ」

「「またまたー」」

息ぴったりな二人に仲良しだなと思いつつこの夏のビッグイベントを思い返すけど本当に何もない
仕事尽くしの1ヶ月だった

「あ、モデルは辞めた」

「「はあ!!?」」

「昨日だけど」

「「昨日!!!!」」

驚愕している二人
それを聞いていたクラスメートをざわざわしてる
別に芸能人っていうほどのものでもないからニュースで取り上げられるなんてことはないけれど、それなりにザワつくようで噂は一瞬で広まった

「ヒナちゃんマジで辞めちゃったの!!?」

「う、うん」

「あああああ!俺の癒しがああああ!!!」

昼休みに購買に来た時に出くわした矢口くんグループ
歌島くんはどうやら噂を聞きつけたようで、顔を見るなり問いただしてきたけどそんなに落ち込むとは思ってなくて何だか少し申し訳なくなった

「いやほんともったいないよね」

「せっかくイケメン芸能人とかと出会えるかも知んないのにさあ」

歌島くんと同じくらい落ち込んでる実里と紬
大荒れの3人をみていた矢口くんは苦笑いしてたけど、みんなに聞こえないように「大丈夫?なんかあった?」と小声で聞いてくれた
そういえば私が壁建ててることに気がついたのって矢口くんが初めてだったなと思い「大丈夫だよ」と告げ、彼を見つめ返す

まるちゃんに聞いたところによると矢口くんは本気で藝大を目指すらしい
美術部に入部し、夏休みはほぼ毎日1枚の絵を仕上げて来たとか
あの青い絵を見た時に心が揺れた理由はまだわからない
けれど何だか矢口くんは他人に思えない
モノクロだった世界が色づいたのと同じように、矢口くんも何かがあったから絵の道に進んだんだろう
何にも全力でやってきた彼だからこそ見つけられた選択

「そう言えば森先輩と幼馴染なんだって?」

「うん、家が近所なんだ」

「へえー」

それから二言三言話してそれぞれのクラスへ戻る
購買で買ったパンを頬張っていると紬が「てゆーかさあ」と声を発した

「なーんか矢口と距離近くなってない?」

「思ったー」

じっとこちらを見る二人
え、そんなことないでしょ
現にさっき話すまであの日美術室から帰った時以来から会話はなかった
去年同じクラスだっただけ

「美術部に共通の友達いるからその子について話してただけだよ」

「「ふーん?」」

本当にそれ以外何でもないんだけれど納得しそうにない二人

「そもそも私が男の子と仲良くしてるとか想像できる?」

「まあヒナの恋愛偏差値低すぎるの知ってるけどさ」

「小学生以下だもんねえ」

「え、もしかして馬鹿にされてる?」

突然の事すぎてツッこむのも忘れかけたけど今間違いなく悪口だった気がする
てゆーか今の今まで好きとかそういう発想が無かったんだから仕方なく無い?
それに今も"好き"という感情を知っただけで別に熱中出来るものがある訳じゃない
進路も年内には決めないと流石にまずいだろうし心配事はまだまだ沢山ある

「(就職か進学か…まずそこからだよね)」

なんてぼんやり考えてたけれど、まだ答えは出そうにない





その数日後
先日のお礼も兼ねて佐伯先生を尋ね美術室へやってきた
中には誰もいないようで、今日美術部は休みだったっけと思いつつ美術準備室へ向かう
ノックをして入れば佐伯先生が優雅にお茶をしていた

「あら、こんにちは兎原さん」

「こんにちは、今話せますか?」

「勿論ですよ、そちらへどうぞ」

促され椅子に腰掛けると先生が飲んでいるものと同じ紅茶を渡された
ありがたいと思い口にすれば甘くフルーティーな味が広がっていく
私は甘いものが好きらしい
これも最近の発見だったりする

「随分素直になりましたね」

「え」

「夏休み前に会った時はクールな印象でしたが、なるほど、貴女は結構感情が顔に出やすいタイプでしたか」

そう言われて慌てて顔を押さえる
何か変な表情だったんじゃないかと心配するけど「大丈夫、可愛かったですよ」と笑われるだけ
読めない人だとは思ってたけどここまでとは

「先生と話してからちょっとずつ"好き"が増えてきまして
色のなかった世界が1色ずつ彩られるんです…先生って私が欲しい言葉がわかってたりします?」

「まさか」

先生はふふふと微笑んだまま

「でも貴女の世界に色が入ったなら安心しました、色はね重ねればより深みが増すんです
好きを見つけ続ければいつかきっと人生をかけても成し遂げたいことが見つかるかもしれませんね」

人生をかけてまで成し遂げたいこと
モデルは違った、お父さんのために働く…のもなんだか違う気がする
お母さんが生きていた頃のように自分が将来何になりたいのかを見つけたい
閉じこもっていた壁を破って外に出なきゃ
そう考えながら飲んだ紅茶はやっぱり甘かった




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