05.とても素晴らしいことですよ



矢口くんとの帰り道
特に大した会話もなく、配られた進路希望調査用紙の話とか友達の話とか他愛のない話をして駅まで来て最寄駅で解散
矢口くんとこんなに話したのは初めてで、少しだけ分かったのは私は思っているよりも彼のことが苦手ではないということだ
そりゃあ作り笑いを見抜かれたあの時はびっくりしたけど矢口くんも同じこっち側の人なら納得がいく
ニコニコするのが上手な人
壁を建てるのが上手な人

「…そっか、矢口くんもか」

何も熱中できない
やりたいこともない、人生がつまらない
世界はモノクロで退屈
そんな世界を見ているのは私だけかと思ってたから正直驚いた
けど口には出さないもののきっと矢口くんもそうなんだろう
私と違うのは全部手を抜かないところ
ほどほどにしかやらない私との決定的な差
お風呂に浸かりながら美術室で見た矢口くんの絵を思い出す

「…綺麗だったな」

まるちゃんの絵は別格
昔から見てきたからっていうのもあるけどまるちゃんがどれだけ絵を好きかも知ってるからかもしれない
それに絵がわからない私でも言葉にできないような感動が伝わってくる
そう、今までどんな絵を見てもまるちゃんの絵しか響かなかった
だから選択授業も実里や紬と一緒の音楽にしてる
絵が好きなんてことはない、美術を楽しいと思ったこともない
まるちゃんの絵だから、ただそれだけ
それなのにあの青い絵を見た時確かに心が揺れた

「何で?」

あれはまるちゃんの絵じゃない
それに正直私とそこまでレベルが変わらないような絵だった
じゃあ何が原因?色?ううん、そうじゃない
矢口くんは何であの絵を描いたんだろう、それが気になって仕方ない

「…佐伯先生ならわかるかな」

あの人はまるちゃんの絵を見るために美術室に通って少し話した程度だけど、どの先生よりも一番先生をしている気がする
明日美術室に行ってみよう
そう思い湯船のお湯をばしゃっと顔にかけた

「ヒナー、今日この後暇ー?」

放課後、HRが終わると声をかけて来たのは実里と紬

「今日は用事あるんだ」

「まじか、残念」

「ごめんね、また明日!」

二人にそう告げ美術室に向かうと佐伯先生はいたけれどそう言えば美術部の活動中だったことを思い出し集まる視線に顔がひきつる

「こんにちは兎原さん、今日は森さんは予備校の方ですよ」

「えっと…佐伯先生にお話があって」

「私に?」

「部活終わるまで待ってるんで」

私の様子に何か思い当たることがあったのか、佐伯先生は快く承諾してくれた
邪魔しないように準備室で授業の予習復習をして待っているとどうやら美術部の活動が終わった様子

「お待たせしました、じゃあ話しましょうか」

佐伯先生の真正面に座る私
その様子を見て美術部の面々は不思議そうにしつつ聞き耳を立てている

「先生はどうして美大に入ったんですか?」

「意外な質問ですね、まさか兎原さんは美術に興味が?」

「いや…そうじゃないんですけど…」

「あら残念…私が美大に入った理由、それは絵を描くことが好きだからですよ」

それを聞いて無意識に手に力が入る

「…"好き"…って何ですか」

「え?」

私の質問にユカちゃんも他の子も少し驚いたような表情をした
そりゃそうだろう学校ではカースト上位で雑誌の表紙を飾るようなモデル
そんなキラキラしたリア充のように見える私が質問するような内容じゃない
今の私はきっと笑顔を貼れてない
本当の私で佐伯先生と向き合ってる

「私…自分の"好き"がわからないんです
何をやっても退屈で、生きてるって実感がないんです」

「…そうでしょうか、森さんの絵を見ている貴女はとても輝いていますよ」

「まるちゃんの絵は心が揺れるんです、でも他の絵を見ても全然響かなくて」

きっとまるちゃんの絵が上手くて昔から見ているから
だから芸術家の作品を見ても何も思わないんだろう
そう思っていたのに佐伯先生は笑顔のまま至極真っ当そうに口を開いた

「それは貴女が森さんのことが大好きで絵を通して森さんを見ているからでしょうね」

ストンと心に落ちて来た納得の文字
絵が好きなんじゃなくて私はまるちゃんが好きだから彼女の絵が好き
じゃあこのザワつく気持ちや揺れる心が"好き"ってこと?

「いいじゃないですか、人を好きになれるってとても素晴らしいことですよ
それは立派な”好き”だと思います」

「…私、自分は”好き”なんて感情ないんだと思ってました
嫌いか嫌いじゃないか…その二択だったんです
でもそっか…うん、まるちゃんのこと"好き"です」

なんだ私にもあったんだ、好きという感情が
確かにモノクロの世界でもまるちゃんは色づいていた

「その気持ちがあればきっとやりたいことも見つかると思いますよ」

「はい!…って…あれ?私その話」

「ふふふ、進路に悩んでいるんでしょう?兎原さんのことだからモデル業の方に専念するのかと思っていましたが、貴女も人に気を遣いすぎるようなので」

「(も?)」

誰のことを言っているのかわからなくて首を傾げる
佐伯先生が残っていた部員たちに遅いから帰るよう伝えるのを聞いて私も準備室に放置したままの私物を取りに立ち上がった

「あ、ユカちゃん」

「やっ」

準備室には先客がいて、ユカちゃんも先生に用事があるのかなと思いにこりと微笑む

「俺ね、ヒナちゃんは可愛くて美人でいいなって思ってたんだ」

「ユカちゃんも美人だよ」

「いいから聞いて」

ユカちゃんの手が私の頬に触れる
その手は女の子のように柔らかくはないし、それが彼が男の子なんだということを思い出させるけど拒絶はしない

「でもヒナちゃんにも悩みがあるんだね、知らなかった
きっと俺はキミの一面しか見てないんだと思う、それって失礼だよねごめん」

「私もユカちゃんが羨ましいよ」

「え?」

「好きなものを好きって言えるのってかっこいいじゃん」

女装ってそんなに悪いこと?
変な格好って笑う人もいるけど私はそうは思えない
モノクロの人達なんかよりもユカちゃんはずっと輝いている

「ヒナちゃんかっこいい」

「あはは、ありがと」

私の”好き”はどんなものだろうか
まだ見つけれてないけれどちゃんと見つかるかな
ううん、見つける
まるちゃんだけじゃない、他にも"好き"はいっぱいあるはずだもん

「じゃあ私帰るね」

「うん、またね」

カバンを肩にかけ美術室から出るとなんだか世界が少しだけ色づいたように見える
夕日ってこんなに綺麗だったっけと不思議と口角は上がった
私と入れ違いで矢口くんが美術室を訪れ、入部を決めたと知ったのは少し後のことだ
そして帰宅して晩ご飯を食べている時にふと気が付く
まるちゃんの絵に心が揺さぶられるのはまるちゃんが好きだから
じゃああの時矢口くんの絵を見て心が揺さぶられたのは何で?

「…んん?」

一難去ってまた一難
“好き”ってわからないことだらけだ




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