04.完成するといいですね



「ごめんねー、待たせちゃって」

私を見上げて謝るまるちゃんに首を横に振ってにっこりと微笑む

「絵とっても綺麗だね」

「本当?ヒナちゃんにそう言ってもらえると嬉しいな」

はにかむまるちゃんが可愛くて顔が緩んでいくけど、今この場には矢口くんもいるので破綻しすぎないように気を付ける
佐伯先生もユカちゃんも、美術部の人はまるちゃんの作品を観にくる私に慣れっこなのであまり気にしてないけど、矢口くんには他所行きの顔を取り繕ってしまう
きっとこの前のことが原因だとは思う

「森さんとユカさんは森さんの作品の梱包を、矢口さんは私と二年生の選択美術の作品の片付けをお願いします」

「あ、私も手伝います」

「まあ嬉しい!じゃあ矢口くんと一緒に作品を取り外してくださる?」

「はい」

矢口くんと一緒というのは緊張するけど自然を装い「じゃあ私こっちから外すね」と声をかける
てゆーか何で矢口くんがここに?
疑問はいっぱいあるけど早く終わらせてまるちゃんと帰ろう
そう思って流れ作業で外していた作品の一つに目を向けて息をのんだ

「…青」

青一色

ううん、色んな色が混じって表現されたそれは不思議と私を惹きつけた
どこかの街並みかな?なんで青なんだろう、というか何てテーマ?気になることが多すぎる
決して変という意味ではなく、シンプルに興味
まるでまるちゃんの絵を初めて見た時のような感覚に胸がドキドキする

「げ」

作品を見て硬直している私を不思議に思ったのか、矢口くんがその青い作品を見て変な声を出す
その声に首を傾げるけど、作品の下に書かれた人物の名前を見て心臓が跳ねた
“矢口八虎”
確かにそう書かれたそれはこの絵の描き手が矢口くんであるということを意味している

「え!矢口くんが描いたの?!」

「あー…うん」

「へえー…!」

まじまじと絵を見ていた私と私の顔を居心地悪そうに見ていた矢口くんの背後から佐伯先生がニュッと現れた

「1時間でしたけど意欲的で良い絵になりましたね、混色した青がすごく綺麗です
青に深みを出すために同じ寒色系の緑や紫を使ったんですね、赤や黄色を使わなかった理由は何かあるんですか?」

「ん?んー…いやあ、なんとなくですかね
青に青っぽい色使ったら失敗なさそうじゃないですか?」

すごい、感覚で描いたんだと思いつつ作業を進める
佐伯先生と矢口くんは色環?という色の話を始めたけど正直わからない
そっか、前に聞いたけど矢口くんって賢いんだったっけ

「先輩…もう大学決めました?」

「ん?んー、藝大・タマ・ムサかなあ
ムサビの推薦で決まれば安心なんだけどね」

ユカちゃんとまるちゃんの会話が聞こえて一瞬手が止まる
まるちゃんが美大に行くのは知ってたけど、今の声色からして美大受験も大変なんだろう
あまり私に弱音を吐かないから何も力になれないけどまるちゃんに何かしてあげられることはないかと思案しては無力を思い知る

「だって絵がうまい人って何やらせてもうまいでしょ?」

矢口くんの言葉にハッと意識を戻す
まだ絵は撤去中だけど気になったのでまるちゃんに歩み寄った
ちょうどまるちゃんは鞄から東京美術学院と書かれた雑誌を取り出した様子
私と矢口くんに説明するように開いて見せる

「これが日本画科の合格作品」

「えっ…う!うっめぇ!何これ!大学生やべー!」

「本当、上手」

誰が見ても綺麗な絵
すごいなあと感心するけど綺麗だねで終わってしまう
まるちゃんの絵みたいに心が動かないのは何でだろ

「で、これが油画科」

「……わあ」

「………は?何描いてあるんスか?コレ…」

「藝大の油絵はこういう傾向なんだよ」

先ほどとは打って変わり美術初心者の私と矢口くんは反応に困る
これが芸術の世界?うーん、わからない
その後デザイン科、彫刻家、工芸科、建築科と見せてもらったけど彫刻家は美術っぽいなーという感想

「油画が一番意味不明さがヤバイっすね、だから美術ってわかんないんですよ」

「私油画受けるんだけどね」

そう言ったまるちゃんにサアッと顔を青くした矢口くん
案外矢口くんって情緒豊かなんだなあと横目で見る
いつもは飄々としてる印象なので新鮮だ

「ちなみに東京藝術大学の絵画科は日本一受験倍率が高い学科なんですよ」

「は…!?」

「平成28年度の油画専攻の倍率は募集定員55人対して1058人、応募の約20倍
しかも現役生はそのうち16人、つまり高校生が受かる倍率は実質60倍ですね
けど16人は多い数、現役生が受かるのは毎年大体5人ほど、ちなみに私の時は倍率だけで約50倍はありましたね」

え、何それ50倍ってどういうこと?
美大ってそんなに厳しい世界なの?

「日本一って…は?」

「二浪四浪は当たり前の世界ですからね、浪人しても受かるなら優秀、私が知ってる人で十浪までいます
まあつまりは、ある意味東大より難しい大学…と言えるかもしれませんね」

「(まるちゃん…そんなところを候補に入れてるんだ)」

すごい世界なんだなと呆気にとられている私と矢口くん
その後も美大がどれぐらいあるのかとか色々話してたけど佐伯先生が作業を進めるよう催促してきたので撤去に戻る

「矢口さんも片付け終わったら描きましょうか」

「え、描きませんよ」

「…あら、そうですか?」

「はい、帰って勉強しなきゃいけないんで」

そう告げた矢口くんが撤去した絵を纏めて佐伯先生に渡す

「矢口さん、この絵いつか完成するといいですね」

「お疲れ様っした」

にっこりと笑う矢口くんの笑顔は貼り付けたもの
まるで自分を見ているようで気がつけば私も鞄を持って美術室を飛び出していた
廊下には前を歩く矢口くんが見え、彼の腕を掴んで止める
まるでこの前の逆の光景

びっくりして振り向いた矢口くんを見上げて「無理してない?」と尋ねた
矢口くんは一瞬目を丸くしたけれどまた笑顔を貼り付けて「何の話?」と誤魔化す
それが壁だと理解して自分がした一連の行動に自分でも困惑した
踏み込んでほしくないという気持ちも、人に悟られたくなくて笑顔を繕うのも私と一緒
それなのに何をしてるんだと少し恥ずかしくさえなってしまう

「ううん、何でもない」

気の所為だろう
きっと私には関係ない
今度は私も笑顔を貼り付ける

「せっかくだし駅まで一緒に行こっか」

人懐っこい笑みを浮かべた矢口くんに何も言えなくて、頷くことしかできない私はとんだ臆病者だ




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