短編
 どうか忘れないで




不思議な子と思った

何の気なしに定食屋に入ってふろふき大根を頼んだだけなのに、にこにこしている店員の彼女
歳は多分僕と同じくらい
親の手伝いか何かだろうか、どうでもいいけど

それがその子との出会いだった

柱だから任務はたくさん舞い込んでくる
その隙間を縫って休息を与えられるんだけど、大体この定食屋に足を運んでいた

ここじゃないといけない理由もないけど、ここにはふろふき大根があるような気がして立ち寄ってしまう

何度か通っていることも忘れ、店に行った僕の前にふろふき大根が入った皿が置かれた

「…僕注文したっけ?」

「えっ、すみません…いつもふろふき大根を頼まれていたのでてっきり…」

顔を上げれば、店員の同い年くらいの女の子が焦ったように眉を下げている
厨房にいる父親であろう人も不思議そうにこちらを見ていた

「そうか…僕はここに来たことあるんだ」

ここに来たことあったんだ
また忘れちゃったんだ




直ぐに消えてしまうなら覚える必要もない
そう思っていたはずなのに、刀鍛冶の里での上弦の伍との戦いで記憶を取り戻した時、何故かあの定食屋の彼女を思い出した

両親や兄との思い出は分かる、でも何であの子のことを思い出すんだろう

記憶の中の彼女はいつもにこにこ笑っていて、僕は覚えてないのに彼女は覚えててくれて

「(そういえば名前…教えて貰ってた)」

なまえという名前のあの子とは少ししか会話したことがない
それなのに今僕の心にはあの子の顔が浮かんだ

これが何なのか確かめるために怪我を治してから定食屋へ行った
いつものように元気に「いらっしゃいませ」と告げた彼女を見た途端、自然と微笑んでいた

「今日もふろふき大根用意できてますよ」

変わらない笑顔
それを見て自分の気持ちが何なのか理解した
甘露寺さんが恋がどうとか言ってたけど、多分これがそうなんだろう

「覚えていてくれてありがとう、ここのふろふき大根とっても美味しいから好きなんだ」

そう告げると彼女も彼女の父親もかなり驚いていた

それ以来今まで以上に定食屋へ通い、なまえに会いに行った
年齢は僕より一つ上、両親の手伝いは物心がついた時からしている、実は料理は苦手だとか
新しいなまえを知る度に心が温かくなる

僕は柱だから、助けなきゃいけないひとがいるから、だからキミに気持ちを伝えるのはまだ先になりそうだけど…

「ねえ、今度甘味処でも行かない?」

そう誘った時のなまえの嬉しそうな、恥ずかしそうな顔が脳裏に焼き付く

14年生きてきてこんな気持ち初めてだ
変な感じがするのに不思議と嫌じゃない

次の休みが決まったらすぐに知らせよう
それに渡したいものもある

この前の任務の時に見かけた店で目に留まった簪
いつも手伝いをしているなまえは髪を簪で結っているから丁度いいと思って買っておいたんだ

これを渡したらどんな顔をするんだろう
もっと色んな顔が見たい
もっとたくさん話をしたい

「楽しみだなぁ」





けれどその日は来なかった





お館様の屋敷を鬼舞辻無惨が襲撃した
すぐに柱や隊士が駆けつけたが、間に合わなかった
そして上弦の鬼と戦闘
少しでもみんなの役に立つために戦った

胴体を切られ意識が薄れていく
それでも最期の一瞬まで役に立とうと努力した

いよいよという死の間際で思い出したのはなまえの笑顔だった

「(あの簪をつけたところ、見てみたかったな…)」

死んだ僕を迎えに来てくれた有一郎と共に歩いていく
心残りがないと言えば嘘だけど、でもやれるだけの事はやった

「大丈夫、あの子はきっと幸せになる」

「…うん、そうだね」

なまえ、幸せになってね

そしてどうか…僕のことを忘れないで










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