短編
 もう届かない



定食屋を営む両親の下に生まれた私は幼少期から店の手伝いをしてきた
両親はとても人が良いためか常連さんも多く、私もお客さんの顔は覚えている人がほとんどだ

今日もいつものようにお店の手伝いをしていると、ガラッと扉が開いた
反射的にそちらを向いて「いらっしゃいませ」と声を出すが、そこにいたのは顔馴染みの常連さんではなく私と歳が変わらないであろう男の子
思わぬ来客に少し驚きつつも席へと案内して注文をとりに行く

「ご注文はどうなさいますか?」

「ふろふき大根…ある?」

「ありますよ」

「じゃあそれで」

無表情で淡々と言ってのけた男の子
いくら歳が近いとはいえ大切なお客様に変わりはない
そう思っていつも通り接客をした

特段何かあったわけでもなく、食事を済ませた彼はお勘定をして帰っていった
不思議な子だったなと思っていたが、どうもその男の子はうちの店を気に入ってくれたらしい



「お、また来てくれたのか」

厨房にいる父がにこにこしながら男の子、基時透さんに話しかける
月に数回は来店してくれる彼はいつも決まってふろふき大根を注文していた
だから私も父も当たり前のようにふろふき大根を彼の机に置く

机の上のふろふき大根を見て不思議そうに首を傾げた時透さんは「…僕注文したっけ?」と声を発した

「えっ、すみません…いつもふろふき大根を頼まれていたのでてっきり…」

もしかして今日は違うものを食べたかったんだろうかと慌てると、時透さんは私と父を見つめてから納得したような顔をする

「そうか…僕はここに来たことあるんだ」

「え?」

小さくそう告げた時透さんはいつもと変わらない表情でふろふき大根を食べ始める
そんな姿に今度は父と私が顔を見合わせ首を傾げた



それからしばらくしてまた時透さんがやって来た
けれど、その表情は前と違って少し笑みを浮かべている

「いらっしゃいませ、今日もふろふき大根用意できてますよ」

今度は事前にそう告げると、時透さんは私に目を向けて柔らかく笑う

「覚えていてくれてありがとう、ここのふろふき大根とっても美味しいから好きなんだ」

時透さんがこの店に通い始めて一年ほど
初めて見た笑顔と感謝の言葉に呆気にとられていると、厨房にいた父も驚いて腰を抜かしていた

お客さんのことはあまり詮索しないようにしているんだけど、時透さんは時々怪我をした状態で来店されるので大変な仕事をされているんだと察していた
あまり話さないのもそのためだろうかと両親と話したこともあったのだ
そんな彼がまるで人が変わったようにそんなことを言うのでびっくりしても無理がない



その日を境に時透さんが来られた日に少し会話をすることが増えた

彼は私よりも1歳年下でなんと14歳らしい
ふろふき大根が好物らしく、この店の味がとてもお気に入りだとか
他のお客さんがいない時に父が「もしかして鬼殺隊の方かい?」と問うた時は意外そうな顔をして頷いていた

鬼と呼ばれる化け物がいるという噂話はきいたことがある
そんな鬼と戦う人たちがいるということも
時透さんはなんとその鬼殺隊の偉い人らしい

何の力もなく平凡な私と違って時透さんはとてもすごい人だ
誰かのために頑張れるのは素晴らしいことだし、誰にでもできるわけじゃない
正直にそう言って褒め称えたところ、時透さんは少し困ったような顔をして笑っていたっけ

いつしか私は時透さんが来店するのを心待ちにするようになっていた

話すようになって分かった彼の優しい性格
自分の知らないことをたくさん知っている彼の言葉はとても興味がそそられた

彼と話せば話すほど時透さんのことがもっと知りたいと思うのは何でだろう
母に相談してみると嬉しそうに「それは恋だ」と教えてくれた

私も15なので恋の意味は理解している
でもまさかお客さんに恋をするなんて思わなかったので驚いてしまった

恋だと自覚してからは時透さんの目に見つめられることが気恥ずかしくて狼狽えてしまう
そんな私の心中をお見通しと言わんばかりに時透さんは意地悪そうに微笑みながら私を見る
酷い人だ、私から思いを伝えるなんて身分違いも甚だしいというのに



「ねえ、今度甘味処でも行かない?」

ある日のこと、いつものように来店した時透さんがそう告げたので驚きのあまり頬を染めて頷くことしか出来なかった私は彼が帰ってすぐに持っている着物の中で一番のお気に入りのものを見繕った

時透さんは忙しい人だから今度がいつになるかはわからない
それでも誘ってくれたのだからいつでも行けるように準備しておこうとその日を心待ちにしていた

でも今度は来なかった

しばらく姿を見せなかった彼を案じていた頃、鬼殺隊で彼と接していた人が来店した
竈門さんと名乗った彼は、時透さんが亡くなったことを告げた

まるで他人事のようにぼーっとしたまま話を聞いていた私に竈門さんは一つの箱を手渡す
彼の遺品から私宛のものを見つけて訪ねてきてくれたらしい

箱を開けてみればそこには綺麗な簪が収まっている
時透さんの水色の瞳を彷彿とさせる色味のそれを見て瞳から涙がこぼれ落ちる

自分が彼に思いを伝えることはもう叶わない
彼がどういう気持ちでこれを用意してくれたのかも知る由はない

簪を抱いて咽び泣く私の声は空にいる時透さんまで聞こえただろうか
もし聞こえているのなら、どうかもう一度だけ姿を見せてほしい









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