少尉の苦難
「見ないで!」
拒否の言葉と共に、姫はロイから目を背けた。寧ろ、背中を向けた。
見えるのは髪でチラチラと隠されている真っ赤な耳だけである。それが、恥辱によるものか怒りによるものかは分からないが。
「それはまた何で?」
「今絶対酷い顔してるから!」
必死に顔を隠そうとする恋人。ロイにとってそれは、決して酷いものではなく微笑ましいものである。
「君は何時だって可愛いさ、ほら、見せてごらん?」
甘い雰囲気を醸しだし、彼女の緊張を解す。更には優しい言葉も添えて。街中の女の子は悉く腰抜けになってしまうテクニック。
「…………」
「姫」
頑なな彼女の名前を呼んでやる。
「っ、ああ゛ー……っさいわ!」
「げっふうっ!」
――しかし、返ってきたのは肘鉄であった。振り向きざまそれはロイの顎へと吸い込まれるかの如くヒットした。舌をもし噛んでいたとしたら、ちぎれて飛んでいくだろう……そんな勢い。
「上官に対する暴力は裁判ものだぞ」
顎を押さえて涙目。
「そん時はセクハラで訴えるんで」
悪びれもせずに睨む姫。
「はぁ、素直に妬いていると言えばいいのに」
やれやれ、と首を振ったロイはどこと無く、この状況を楽しんでいるのだから質が悪い。そもそも、彼が原因だ。
「本当に……毎度毎度毎度毎度何なんですか!」
遂に彼女は爆発した。見せ付けるかの様に女性とデートを楽しんでいるロイに姫は憤慨していたのだった。それも一人の女性と、とならばまだ分かる。要するにその女性の方が自分よりも好きだと言うことだ。しかしロイの相手は不特定多数。何とふしだらな、と姫は考えていた。
思っていたことが顔に表れていたのだろう。ロイは両手を軽く上げる、言わば降参のポーズ。
「ちょっとした好奇心だよ。君は何時も私に無関心の様だから」
「そっ、そんな訳……」
動揺に揺れ始めた瞳がロイを捕らえた。
「冗談さ。分かってる。姫は私の事が大好きだ」
頬へと滑らした指先は軽やかな弾力を伝えてきた。惜しみなくふんだんにあしらわれた甘い雰囲気が二人を包み込む。
「…………そうですね」
否定せずに肯定した姫だったものの、ロイと彼女との距離は数メートル開いていた。いつも彼の想像の斜め上を行く彼女。
「そ、そこは引く所か普通!?」
「ええまぁ、そう……ですね。引きますね、普通」
もはや、姫の目線はロイのそれに合っていない。明後日の方向だ。辛うじて、浮かべている笑顔も苦笑いであった。
「えっ、いやいや嘘だよな」
「そうですね、嘘ですよ」
ふっと緩んだ姫は罰の悪そうな表情に、先程のはちょっとした悪戯に過ぎない、ただ少しお返ししてみただけだったのだとロイは理解した。
「っ! 姫ー!」
「大佐ー!」
もう試さないでね。試すまでもないんだから、と。
そう言って姫はロイの軍服へと飛び込んだ。
「……どっか行ってくれねーかな、あのバカップル」
一部始終を昨日フラれたばかりのハボックが見ていることなど、二人にとってはどうでもいいことだった。
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べたべた、あまあま。
3月7日 灯亞
×End