はるなは、女としては使える奴だと思う。 戦闘面はもちろんのことに、外見や中身の話ですら不評を聞く事は稀だった。 だがそれは所詮意見に過ぎないのであって、遠目で見ていれば汚いものも大抵はごまかせるというそんな論理だろ、とローは思っていた。自分も外科 医の異名を持ってはいるが、実際に自分にそんな技量があるわけではないので、白衣というもの切るのは はるなの役目であるのだが、 彼女の白衣を天使だとか何とか褒めたってそれこそ何も出ない話だ。むしろ、そういう天使に憑かれてしまうと、ほとほと男として落ちぶれていくだ ろうと考えている。一応。だが、肝心な時に天使は優しくないのも、誰一人わかっていないからしょうがない話だ。はるながどうしようもない子供だ と気づかないで、よくも知ったような顔をしていられる。ローは静かに船から降りようとした。これでも船長である、誰一人気付かれずに抜け出す自 信ぐらいあったものだが、後ろから聞こえるその声に、どうしていつもこいつには感づかれるのだろうと、渋々振り返りながらに、ローは思ってい た。

「止めるなよ、別に海軍でもねえ」 「じゃあ何するの?一人で喧嘩して、鬱憤でもたまってるの?」 「お前が解消させてくれたら問題もないんだけどな」 「 ……ばーか」 呟くような罵倒に、ローは軽くあしらった。それは別に適当な応答という訳でもなかったせいで、また はるなにとっては心配の種に変わっていた。も ちろんローとしても、彼女から逃げきれる訳もないとわかっている上、置いて逃げるほどに残酷にはなれなかったので、近づいて自分の裾を掴み、 困ったように眉を下げて見つめてくるまで、大人しくそこに立ち止っていた。 はるなが返す言葉を躊躇って、そして瞳だけで訴えてくる。 逃げきったら泣くだろうなと、ローは静かに考えていた。

「何が嫌なんだ?言ってみろよ」 「……一人で戦いに行くこと」 「別に死ぬわけじゃねェんだ」 「なんかさみしい」 はるなは自分の気持ちの原因も分からないままに、ローの腕に頭を寄せた。 しんみりと腕が夜の冷たさに広がっていて、髪の向こうからそれを感じた。とてもぬるい。まるでローの皮膚の様だ。冷たい夜風が攫うように髪を貫 けて、海のかなたへと飛んでいく…この夜はまるで沈黙のそれだった。明ける事のないようにすら見せられて、このままローを海に突き落としてし まってもいいではないだろうかと、やましくはるなは思ったりしたのだ。

「わかった、朝には帰ってくるからよ 」 「……ローにしては遅い方だとおもう」

極端に窄めて小声だと思わせても、ローにとってその言葉は足止めとしてしか受け取り得なかった。ゆるやかにローの腕に掴まれた頭を、静かに瞳を 閉じて夢見る。髪の間をすり抜けて、右のこめかみを押さえるように指は止まった。瞳をよせれば、ローはこちらを見ていた。とても離れていくよう な眼では無い、 はるなは自らに微笑んだ。 ゆっくりと顔を寄せて、その細い腕に触れる。 頬を染めながらに、そして愛おしげに見つめ返せば、ロー自身はるなを置いて行く事をためらう気持ちにおされていく。深夜の帳に二人は追い詰めら れていた、それをはるな自身が持ちかけたのかしれないが、どう転んでもはるなはローをつなぎ止める事だけでしかないのだから、それはどうでもい い話 である。そのほかの事を捨てて、ローの腕が刀では無く自分に触れるといい、微笑みの名前はいつもそうであったのだ。ローはそのとき、月に中てら れ女の顔をした はるなの唇を、願いの通りに奪ってしまおうかという気にあてられる。まるで体に這うその重たい熱情を孕み、 はるなの体に指を触れ あわせ、血では無くはるなの濡れた息で溺れてしまおうかと。 それを敢え無く口に溢すほどの不仕付けを起こす事は無いのだが、ローには段々と逃げてしまおうという気持ちのかけらが崩されていくのを自覚し た。平静を装う姿にはるな自身が気付かず、どうすれば自分が離れていってしまわないかでいっぱいなそのすがた…、離れてはくれないだろうという 事を言いかける腕の熱に、ローは心内に溜息を溢した。

「行きたいの……?」

ほら、まるで子供ではないかと、ローはその表情に戸惑いを映した。溶けそうになめらかな瞳の揺らぎが、月の光でいくつもの艶やかさを映す。 そこにこどものような声で囁かれて、まるで色事を知った子供のようではないかと思わされる、その声はとてもか細くささやかなのだ。今更に泣きそ うな子供に手をかける事は愚かしいだろうに、ローはむらむらとわきあがったその熱情を、静かに沈めていく。 しかし今押し倒して、その声を濡らしてしまったらいけないのだろうと、わかってはいても、ローには言い知れぬ熱がある。目の前の女の訴えがあま りにも一途で清らかであるせいだ。ローはそれをぐしゃりと壊して泣かせたい、暴戻に酔ったいやらしさがあった。 けれど、はるなの一途さはそういった心だけを擽るだけではなかった。彼女はそれよりももっと、別のものに近い。

「 ロー、 」

腕を掴み寄せて、腕を頭の後ろに回せば、 はるなは視線をこちらにしか見せなくなる。なんて感じているのだろうか、夜に充てられ静かな欲がはい出 す声をよそに、極めて静かに、その唇にローは自分のを合わせた。 はるなはその一瞬に甘く見惚れ、腕を回して、自分からも顔をあげて瞳を閉じた。それは はるなのいやらしさだとローは知っている。舌を思わず差し 向けて、その瞳を羞恥と欲情で真っ赤に染めてでもやろうかと思ったのだが、 はるなに対して出来るというよりも、それは自分の欲に過ぎなかった。 そして、それを我慢という形に収められないだろうと自覚しているローは、静かにそのまま離れていった。自分の影で暗闇に映えていたその瞳が、夜 の月に表れて、またその瞳でこちらを誘う。 これだからはるなには参るんだ、ローは静かに足を動かせた。

「……怪我しちゃだめだよ」 「俺にそんな事を言うか、」

ローは口角をあげその笑みをはるなに見せつけた。 はるながようやくいってらっしゃいと言葉を言えば、ローを制するものはもう何もない。 静かに船から飛び降り、島の向こうへ足を動かす。 初めはどうやって殺してやろうかとか、何人出てくるだろうかとか、そういう事ばかりを考えていたのに、今では帰ったらどこからキスしてやろうか と、そういった類に埋め尽くされた脳が酷くおかしく思え、ローは暗い夜の下、静かに笑って見せた。






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