ゆっくり、身体中の痛みが鮮明になっていく。
打たれたはずの下腹だけではなかった。
つむじから足先の爪のてっぺんまで、全てに神経の旋律が響き渡る、ずきりずきりと沈み込んでいたはるなの意識を目覚めさせ、研ぎ澄ませていく。
「ぅ………」
思わず、声が漏れた。
呻きながら体をよじる……波打ち際から無意識の筋肉が体を起こすように瞳を開けさせた。
目の前に垂れ下がった黄色いランプ、強いアルコールの匂い、点滴の落ちる音……現実を理解するのは早く、はるなは横を向いた。
けれどそれは、はるなは予想していた顔ではなかった。

「………ローさん」
「はるな……」

その、記憶よりも濃く浮かぶ隈すら懐かしく、はるなは上半身を起こす。腕に刺された管と、肩に巻かれた包帯から……ここが”ポーラータンク号”なのだと理解する。
……戻って、きたのだと。
あの、小さな空の旅路から。

「……私、まだ生きてたんですね……っ?!」
自嘲気味にローに笑いかけた瞬間、ベッドの隣に座っていたローが即座に立ち上がり、体を起こしたはるなの上半身を抱きしめた。強く、でも傷に触れないようにそっと、冷え切った体には熱いほどの体温が染みて、はるなはぎゅっと唇を噛む。
どれくらい、寝ていたのだろう。
そして何が起きて、……何が終わってしまったのだろうか。
何も言葉が思いつかないはるなを差し置いて、ローの指先ははるなの体を確かめるように肌を寄せ合ったまま離れない。
そしてその体温に…はるな自身も不安げな存在自身を寄せるように黙って受け入れるしかできなかった。

暫く黙り込んだ2人の沈黙を助けるように、ぱたぱたと足音が近づいてきた。
すぐに扉は開かれて、おそらく集中治療室であろうこの部屋にペンギンとシャチが点滴のパックを持って現れたのだ。

「船長〜…在庫残りこれでラストだった…って!はるな!」
「あ、あの……おはようございます……」
2人は目を見開いて、ローの背中ごしに頭だけ彼の肩に乗せたはるなの顔と対面する。
そこで彼女の顔色が良くなったことを確認できたのだろう、ほっとしたような表情に変わり、そのままロー越しに言葉を交わす。
「……元気になったみたいだな」
「おかげさまで、ご迷惑おかけしました」
「いやいや俺達は別に、全部船長の指示さ」
「…………」
「……………」

それで、ここまで会話が続けば流石にローも何か言うだろうとその場の3人は思っていたのだが。
依然としてローは離れず、はるなを抱きしめ固まったままだった。抱きしめられた彼女どころか…背にされたまま動かないせいでシャチとペンギンも表情は窺えない。
ほんの数秒の沈黙の後、2人はなんとなしに空気の悪さを感じて、おそらくローに言われて用意したのだろう医療器具の備品をデスクの上に置いた。
「じゃあ、ま、俺達は仕事に戻るから、困ったことあったら船長に言ってくれな」
「はい、あ、ありがとうございます…」

ひらり、手を振られ2人はまた扉の向こうへと消えていく。
またしても静寂が戻ってきたとなっても、はるなはさすがにこのままにはして置けないと小さな唇でローの首元に囁いた。
息を吐いた瞬間に、ローの指がぴくりと動くのがわかる。

「あの、ローさん?私元気ですよ、もうどこも痛くないですよ……」
「……」
「ローさんのお陰です、本当、船長のベッドってやっぱり寝心地いいんですね、私寝過ぎちゃったみたいです。本当に、もう…………」
言葉を紡ぎながら、繋がれていく記憶が一本の道になっていく。
「ね、……ローさん」
何度も、その時を覚悟しては、打ちのめされてきたというのに。
「……私……死ななかったんですね」

その言葉だけは、自嘲気味な笑みが含まれてしまったのかもしれない。
ローはやっと顔を引き、腰をかがめたまま抱き合った顔を寄せる。
はるなにはそのローの顔が、いますぐにでも泣いてしまいそうなほどに不安そうに見えて、胸が軋んだ。
「……死なせるわけねェだろうが」
「……えへへ、ありがとうございます」
そうだ、わかってる。
この人が繋ぎ止めてくれたんだ。
はるなはゆっくり笑って、自らローに腕を回した。
優しい腕が自分の頭をそっと撫でる。
それが嬉しいのに、はるなは次第に現実みを帯びていくこの世界の事を思い出し、ローの胸に腕を突き立てた。
「……ごめんなさい、ちょっとだけひとりにしてもらえませんか?」
「断る」
「っ……」
なんで、とはるなは驚いて口答えしようとしたというのに、それすらも許さずローは手のひらを伸ばしてはるなの顔を片手で包む。親指がそっと目尻に触れて、自分が泣いているのだと、気がついた。

「一人で泣こうとするな」

ぼろぼろと涙が溢れてくるのに、こんな姿見られたくないと思っても、胸の中から込み上げる痛みが、はるなの視界を埋め尽くしていく。
「……ま、」
ローは眉を顰めて、もう一度はるなの頭を引き寄せて胸に押しつけた。
胸元がじわりと熱くなっていくのと、静かに悲痛な声があがるのは同時だった。
「守れなかった……!だれも、わたっ、し、たすけて、あげられなかった……!」

エースは 死んだんだ。

あの時、あの、まるでつい数時間前の出来事だったはずだ。
ティーチを止めることが出来れば それだけで全て変わっていたはずなのに!

「あんな近くにいたのに……!」

知っていたのに 

「何も出来なかかった……!!」

黙って聞いていたローだったが、はるなのしゃくりをあげる泣き声をあやすようにそっと肩をさすり、やがて静かに声を落とした。
「はるな……麦わら屋が目覚めた」
その言葉に、はるなはがばりと顔をあげる
「……ルフィ………」
「……あいつも、心に負った傷は深い」




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