懐かしい声がする。
懐かしい感覚が身体に触れる。
それが何か思い知らされ、はるなは少し鬱屈な気を打ちながらなんとか目を開けた。
目の前に広がる無に、息を吐く。

(……ああ、また”ここ“か)

海のように広く広大で、空のように涼しく青い。
意識を持ちながら尚もはるなを立たせる力の存在を一度経験しているはるなは、鮮明にその時を思い出しながら静かに納得した。こうして夢の中に介入し、自分の意識を引きずり回し、いとも容易く世界を変えられる人間───存在はひとつだけなのだ。
それが何なのか知る由もないのだから、はるなには受け止めることしかできなかったが。
「ゲームオーバーで元の世界でも戻るんですか?神様」
はるなが静かに言葉を発し後ろを向けば、またしても何時現れたか知れぬ男の姿をした何かが、そこに佇んでいた。男は訝しげに首を曲げる。睨むようにはるなの身体を上から下に見下ろした。
「怪我は痛かったか?」
言われて、はるなは自分に負っていた傷が塞がっていることに気がついた。けれどそれも彼の戯れなら無闇に驚くことすら滑稽だろう、はるなは跡の残った左肩の火傷の、僅かな皮膚の盛り上がりに触れて、足下に広がる海を見た。
「……生憎、戦争とはほど遠い生活をしていたので」
「誰だってそうさ、戦争など望む者におりてくる事じゃない」
「私をどうするつもりですか」
「さて、どうしてくれよう」
男の顔が未だに不愉快そうに引き締められている理由がはるなにはわからなかった。
「力を与えてくれたのに無駄死にしたことですか」
「何が」
「怒っているでしょう?」
「お前の方が怒ってんだろ」
安い切り口で返されて、はるなは努めて冷静でいようと思った心すらも弄ばれている気になった。不愉快を隠す気丈さすら見失った。
「ッ、私をどうしたいか聞いてるんです!!」
「お前はどうしたいんだ」
「……私は死んだ身です」
「死んでねえよ」
「え?」
「誰が死んだなんて言った」
焦りに顔を男へ向けると、先ほどとは一変して愉快そうな顔で、男は続けた。
「まだ死んじゃいねえ、だからお前をここに連れてきたんだ」
「……どういう」
「”なんでここにいるんだ”って思っただろ?」
「………」
「ここに無理矢理に落としたのは俺だ、だからここでお前を返してやっても良いかなと思って」
「じゃあさっき怒ってたのは」
「いやなに、お前はもう少し強いのかと思ってたからな」
呆れたような声に反論できるほど、はるなは幼くなれなかった。

「……帰るか?」
その一言が胸にこだまし、はるなはとっさに、考えることもせずに首を横に振った。それをさも意外そうな声色で男は両手を振り上げて、驚いたポーズで応える。
「即答か?これは予想外だ」
「……もう一度行かせて下さい」
「そんなに現実が嫌いか?」
虚を突く発言が男の本性を見せ、はるなは目をそらした。はじめから見通されているのだから、言葉を変えても全ては伝わるのだろう。
――私の“現実”も、わかっての事なのだろう。
「……言い訳をしても構わんが、ここで生きても強くならなきゃ繰り返すだけだ」
「……わかってます」
「海賊になるんだな」
「はい、」
はるなの脳裏に、胸の中にあった麦わら帽が蘇った。
私の手から渡す事も、出来なかった。
すり抜ける肩を掴む事も、落ちていく腕を抱きとめる事も出来なかった。
すべてが目の前で起きていたのに、それに手を伸ばす事すら許されなかった。
あれは私の夢なんかじゃない……。

(どちらだって現実だ、)
(帰らない)
(帰りたくない……)

貴方の手をとれないまま、消えてしまいたくない。


男は一度口を閉ざしたが、少し考えるように頭を振り、やがてため息と一緒に一歩前へ歩みでた。
「まあいいや……今度は死なないようにしてやるよ」
男はそう言うと、はるなのほうへと手をかざす。
「自己治癒能力をあげてやる。頭にマグマ食らっても死なないようになりたいだろ?」
あの男みたいに、男が笑うのをはるなは見、静かに首をふった。
悠長に語る男の目をはっきり見つめ、今度ははっきりと言った。
「違う力を下さい」
はるなが続けていった要望を聞いて、また男は可笑しそうに眉を歪めた。

「それじゃお前が死ぬぞ」
「目の前で人が死ぬよりいいです」
「そんなに強くなりたいのかよ?」
「当たり前でしょう……!」
「当たり前?」
「……こんな世界で、弱いままルフィたちに追っかけじみた事がしたいだなんて、夢に見るのも恥ずかしいくらいなのに……」
「現実だけどな」
「ッ……!」

男は言ったあと、少しだけはるなを見つめ、途端大口を開けて笑い出した。
突然のことにはるなは何が起きたのかわからず怪訝な顔で男を見つめていたが、ひとしきり笑い続けるとやがて満足そうに数回頷き、男ははるなをもう一度見る。
「始めて会ったときとはえらい違いだな」
「……あ、」
「あの時は、こんなにつらいと思わなかった?」
図星を付かれ、その情けなさにはるなは俯いた。
穏やかになった男はその顔を見、やがて静かに言った。

「はるな」
「?」
「……もう一度言ってやるよ、頑張れな」
懐かしい言葉を聞いて。はるなも漸く顔を緩めた。
「………はい」












そしてすぐ、体中にあった浮遊感が失われるのがわかり、はるなは顔を青ざめた。

「……やっぱこれなんですねっ!!、」
「おう、………っあ」
「えっ、な、」
「落とす場所間違えた」









は?












そう、はるなが言葉にしたときには、身体は男より遙か下へと下降中だった。

そして目の前に広がるのは地面ではなく、
見渡す限りの広大な海だった。











「うぎゃあああああああああああああ!!!!!!!!!!!!」




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