Dramatic...25









焦熱地獄を抜け、最下層へと降りてくると、そこは先ほどのようにつんざくような囚人たちの悲鳴は聞こえてこなかった。漸く収容所らしい所についたようだ。
はるなは少しほっとして周りの牢を見たが、目線の先にいた人物とふと眼を合わせて、すぐさま自分のした事に後悔しばっと前へと向き直った。刹那に、背筋に汗がつたるのがわかった。

「どうしたはるな?顔色が悪い様じゃが……」
「いいいいいいえ!!、別に……!!」

(今、わたし、見てはいけないものを見てしまったような………)

「そうか……確かに醜い景色じゃ、匂いもひどい……気分が悪くなったらすぐいうのじゃぞ」
「ありがとうございます……」

二人はハンニャバルの後ろへと立ち、暗い牢獄の前へと立たされた。ひとつひとつの牢に明かりがついているわけでもないから、その中にいる人間の様子は確認できなかったが、やけに大きそうな鉄がいくつも上からぶらさがっているのを見て、はるなは確信した。

「特別面会だぞ……エース!!誰が来たと思う……?」

エース、という言葉に、はるなは瞳を凝らし牢を見つめた。
……暗がりには、血の湿った匂いが鉄と混じりひどい空気が漂っていたが、その牢の中心には確かに男性が一人、両手を固定されている様に見えた。
ポートガス・D・エース。
彼が目の前にいる、はるなにとって彼に会える事は願ってもない、――まさに現実では夢でも見なかった事なのに、その歓びは今表情どころか、心ですら上手くだすことが出来なかった。重たい息がまわりから聞こえ、署長達が勢ぞろいとなった場に周りの囚人たちは興味深そうに檻の前へと顔を近づけていた。

「ジンベエ……貴様ですら面識ねェからわかる訳ないんだが……名は知れ渡るも姿は見せず…… 戦闘部族『九蛇』の皇帝王下七武海がその一角……強く気高き世界一の美女!『海賊女帝』ボア・ハンコックその人だ!!ヒュー ヒュー!!あっ、こちらはおつきのはるなちゃんね、ヒュウ!」

ご丁寧に私まで紹介に添えてくれた事はありがたいが、エースは二人の存在など自分にとってまったく無関係だと思っているのだろう、訝しげに前へと視線を向けた。

「ウォオ〜!!本当かよい〜い女が揃ってると思ったぜェ!!」
「あれが”九蛇”の海賊かァ!オウこっち向けェ!」
「ハンコックちゃ〜〜んっ!!」
「なあそっちの付き人ちゃん俺の相手してくれよォ!!」

ざわざわとハンコックの正体に慌ただしくなる周囲を置いて、ハンコックは静かにエースを一瞥している。その視線を少し苛立つように見るエースの顔を、……はじめて見る、エースの瞳に、はるなはずきずきと胸が痛むのを自覚した。

(初対面が、こんな形だなんて、……)

「俺に何の用だ……」

エース周りの騒々しい喚きの中重たそうに一言を出す。怪我の状態を見る事はできなかったが、足元が赤黒く一面に染まっていたのがちらとはるなの視界に入れば、ろくな治療すらされていない事が嫌でもわかってしまう。

「用はない……一目見ておきたかっただけじゃ……わらわも参加する"戦争"の引鉄となる男を……」
「いい見世物だな……」

最早余計な気を起こす事すら出来ないのだろう、ハンコックの一言を聞いて、エースは緩く言葉をはいてまた深く首をもたげた。こんな場所に長くいたせいだ、私が知っているエースの強さも、雄々しさもなく、まるで目の前の瞳は、小さく消えてしまいそうな陽炎のようだった。

「不動の"女帝"が……この時に限って政府に手を貸すとは……"七武海の"称号でも惜しくなったか!?」

(ジンベエ、確か彼って七武海の一人だったはずなのに、どうしてこんな所に…)

「……そなたがジンベエか…そうキバを剥くな……」

ハンコックも初めて会うのだろう、静かにその巨体へと話しかける。ジンベエと呼ばれている彼も、何があったのか酷く暴行を受けたかのように体中血だらけのまま鎖に繋がれている。
彼は少なからずまだ覇気があるのか、息を荒くして、同じ七武海のハンコックを強く睨んでいる。同じ牢にいるということは、エースと仲でも良いのだろうか、同じ名を連ねていても、ジンベエが海賊として白ひげ関わりがあるのなら、これから白ひげを敵として戦うハンコックの存在を良く思えないのは当然の事だ。

「おい蛇姫ェ!女ヶ島は男に飢えてんじゃねェのか!?」
「そっちのコだけでも俺達にくれよォ!」

会話の最中でも容赦なく飛び交う下品な言葉を黙って聞いていただけだったハンコックは、少しエースから距離を置き、はるなを置いて他の囚人のほうへと歩み寄った。

「……そなた達!そんなに獰猛な声で怒鳴られては……わらわ、こわい……」

その止めの一言を聞いて震えあがる様に興奮しきった囚人たちは、とめどなく出る言葉を見境なく檻の向こうへと吐き出していった。余程普段の鬱憤がたまっているのか、歯に衣着せぬ物言いは下品としか言いようがない。
見ているモモンガもあまりの惨状に苛立つように辺りを睨んでいた。

「お前達、あまり調子にのるなよ……」

その場に署長がいる事も忘れて騒ぎ立てる囚人たちに、ついにマゼランは苛立たしそうに体を揺らし、ハンコックの近くの囚人たちへと体を向けた、どんな業かわからなかったが、異様な毒の苦い匂いがまわりに立ち込め始め、モモンガやドミノたちもその場から離れんと足を動かした。静かに後ろへさがったはるな以外、全員マゼランの毒の壁のむこうにいる。

(……今しかない……!)

はるなは振り向いて、目の前で顔をかしげ何も言わずにこちらを睨みつけるエースと目を合わせた。
何も感じて等いない、冷たい視線に胸がズキズキと鳴るのが収まらない、はるなは痛みをこらえながら手をのばして、黒々強い牢へと手を伸ばした。
冷たい鉄がはるなの肌にふれた途端、はるなはがくりと腰をついて言葉もなく目を見開いた。

(力が入らない……)

ぽたりと、汗が頬を伝って地面に落ちたのが目に入ったと思うと、エースが囁く様にはるなにむかって言った。

「お前、能力者なんだろう……その牢も海楼石で出来てるから、触らない方がいい」
「エースさん……」

荒く息を零しながら顔を起こせば、やっと目の前に彼の顔が見えた。薄暗い闇の中で何も感じていないかのように、能面のように生気のない瞳ではるなを見るエースに、はるなは溢れそうになる涙をこらえ、地に手をついて震える唇を開いた。

「もうすぐ、ここにルフィがきます……」

静かな一言を聞いた刹那、人形のように固まっていたエースの肩がぴくりと揺れた。静かにあげられる顔は、はるなの想像を裏切って強張っていた。

「ルフィが……?」
「私は、……ルフィの仲間です、きっと彼がここに来ます、だから……、だからそれまで、……諦めないでください……!」

心が震えそうになるのを抑え、はるなは牢を掴んだ、体の自由が奪われるのを一々気にしている余裕もない、唖然のはるなの顔を見るエースは、どうしようもなく頭を振り、苦々しげに息を吐いた。

「嘘じゃねェよな……」
「あなたの弟なら、……これくらいするって、思いませんか」
「……違ェねえ、……」

ゆっくりと上げられたエースの、どこか寂しそうな顔がはるなを責める様に追いたてた。


もし――もし私に力があったなら、この場から今すぐ逃がす事が出来たのに。
こんな風に何もかも捨てた様な彼の前にちゃんと立って、その姿に向き合う事が出来たのに……!

「――よろしいですか?」

コツコツと近付いてきたドミノの声で、はるなは力なく立ち上がる。見えないように溢れそうになった涙を擦り、はるなはエースへと目を向けた。

「私も諦めませんから」

そっと肩を押され、はるなはその場を後にする。囚人たちがマゼランのヒドラにやられたのだろう、呻く様な声が牢から漏れて、はるなは耳をふさぐように両手をあげた。

何もかも、無力な私の前では当たり前に進んでいくのだ。
今はルフィを祈る事しかできない。なんて非力なものだろう。
はるなは心配そうに肩を抱くハンコックの胸元に額をあて、騒ぎのやまないフロアをあとにする。あの、冷たい牢獄の中ではるなに見せたエースの顔が、頭に焼き付いて離れなかった。

すべてが手の中からすべり落ちていく、私の弱さを見せつける様に、乱暴なほどに烈しい時間が、当たり前のように過ぎている。……




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