Dona nobis pacem.


はるなが案内された場所は、完全な物置小屋だった。木箱が所狭しと並び埃の被った場所は明かりは裸電球のみで、それを付けることなく自分をそっと下ろしたベポに、一応ありがとうと感謝を述べる。

「なにが?」
「ここまで、運んでくれて……」
腰が抜けていたとわからなかったのだろう。ベポは はるなが動く気がなくあの場に留まっていようとしたのかと思っていたので、その礼に不思議そうに頭を傾げた。
理由をぽつりと言ってのけるはるなをじろりと大きな瞳で見つめて、ベポは少し間をおいた後に、ぽつりと呟く。

「……おれがこわくないの?」
「……どうして?」
「だって、……クマなのに喋ってるし……」
ああ、漫画通りの根暗なのだろうか、と はるなは少し俯いたベポの、小さな鼻先を見つめながら思った。

「……どうして、自分が喋ったら怖いと思ったの?」
「……だ、だってみんな、俺をみて熊なのにって、驚くよ?、みんな……」

恐怖心で竦んでいた足が立っていたことで力を取り戻してきたからだろうか、はるなは先ほどから人が誰もいなくなった倉庫の方が心が落ち着けていることに気付き、そしてそれは目の前のベポという存在がアニメの通り少し暗く、重たい喋り口で自分を和ませるかのように喋ってくれるからでもあるのだと、 はるなは少しだけ気が緩まれた。

「……じゃあ、怖いのはあなたじゃないよ」
「え?」
「あなたは怖くないよ、……あなたをそう言った、……人間のほうがきっと怖い。あなたは優しい子だよ」

気を取り戻すように優しく言うと、その口振りにさらに不思議そうに顔をあげて、ベポは はるなの顔をじっと見つめ返した。
熊にこんなに見つめられるというのは、本来命の危機を感じるものなのだが、ベポの瞳は、トラファルガー・ローのしたそれよりもずっと、ずっと穏やかに自分を見ているのがわかった。
それが、 はるなには嬉しかった。

「おれ、優しいの……?」
「うん、私にはそうみえるよ」
「……おれもおまえ、優しい奴だと思う」
「……そう」

思っていたよりずっと、ベポは冷たい熊じゃないんだな、とはるなはアニメで受けた衝撃が取り除かれるように、大きな体をきゅっと、縮めて離すベポに優しく笑みをこぼした。まだ体は強ばっていたから、その笑顔をろくなものではなかったはずだろう。
けれど熊のベポにはそういったものを逐一考察するような思考はなく、まして抵抗も何もしない はるなを本能的に敵ともみなしていなかったのか、あっという間にベポは気を抜き、はるなの前で緩やかに肩の力を抜いた。

「お前なまえは?」
「小嶋 はるなだよ」
「じゃあ はるな、あと二週間で次の島に着くから、それまでここにいてね」
「うん」
「変なことしたらキャプテンに殺されちゃうから、大人しくしてた方が良いぞ」
「……ありがとう」

忠告、大事に胸にしまっておきます。
はるなは電気をつけ扉を閉めると、ガチャリと鍵の重い音がして、どすどすとベポが走り去っていく足を聞きながらゆっくり倉庫を見渡した。

「人の住める場所じゃないけど……」

奥の方まで広がる部屋自体は十分な大きさを持っているのだろうが、その部屋に積み重なった 一メートル四方の木箱の山は、部屋の中の隅から並べられ部屋の隙間を二畳ほど残して埋め尽くしていた。天井まで綺麗に積まれた木箱の中身を想像することはないが、簡単な思考で寝かせてある酒や奪った武器等と思って静かにその場に腰を下ろした。
本当に銃火機か何かが積まれているのなら、そこに閉じこめる危険性をあのトラファルガー・ローが案じないはずはないのだから、ここを無意味に探索する事は得策ではないこともなんとか落ち着いた思考で判断することが出来た。

「……二週間じゃあ……私死んじゃうよ……」

本来、人が餓死するのは1ヶ月あたりと聞いたことはあったが、この環境下で二週間飲まず食わずにしていたら、間違いなく自分は狂ってしまう気がはるなはした。

理解できないことだらけなのだが、少なくとも。生きるために犠牲にしなければならないことが出来たのはわかった。
確信に変わるよりも先に、恐怖心がそれについての悪夢が脳裏に浮かび上がらせるのだ、瞼を閉じても描かれる映画のような闇に、はるなは浅く息を吐いた。

命の代わりに差し出すもの。……それが己の身であるということを、 はるなはまだ確かな実感をもって理解できてはいない。
トラファルガー・ローの言葉通りに事が進めば、私はこれからこの扉の向こうから来る船員たちを、彼らの望むままに慰み者として体を受け渡さなければならない。
扉がこのまま開かれなければ良いと思った。

もしかしたら、食事の代わりと言葉を代えて現れるクルーもいるかもしれない。
たとえ一週間この部屋に引きこもり空腹に耐え抜いても、その時にはもうどうしようもないのだろう。
想像を絶する状況を宣告され、 はるなはコレが悪夢であるという事にすらも納得がいかなかった。何もかも不条理の元に流されて、這い寄る掌に陵辱されるかも知れないという世界。

彼がトラファルガー・ローであるにしても、そうでないにしても、彼が悪人であることに違いはないのだ。
何故私はこんな所にいるのだろうか。

冷たい木目に情けなく倒れ込んで、はるなは埃の混じった冷たい空気を吸い込んだ。肺に流れていく湿った酸素は、体を拒むように鋭く血へと浸透し、静かに体を蝕んでいく。
体が冷えていくことに一々思考は回らないまま、はるなは疲労感に耐えかね、目を瞑ったまま眠るように意識を手放した。






(私たちに平和を与えよ)、神様

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