persona non grata


朝方から仕事にかかってしまえば、自然と昼食前にはイッカクの元にいかねばならなくなる。ペンギンは十一時を指した短針を見、粗方整頓された部屋でファイルを棚にしまいながら向かいに座るはるなに言った。
「昼食が終わったら、一時を過ぎても構わない、船長に軽い軽食を持って行くんだ」
淡々と発せられたその言葉に、思わずはるなは胸を擽られたように顔を歪める。顔色の変化を著しく見てとったペンギンは、目の前の女の不貞しさにも近い態度に、呆れがちに続ける。

「……お前が何もしなければ、何もない」
その顔を見て宥めるためか、或いは言いつける為にいったのかもしれない言葉を受け取り、了解のためはるなは静かに頷いた。あくまで要件を伝えるのみのペンギンはけしてその声に怒りを含まなかったが、叱りを拒む幼い駄々のようだ。あからさまな態度をしたのを、はるなは即座に後悔した。
問題ないと言葉を足したのち自由を渡され一息つく暇を与えられたが、部屋を出た瞬間、一人になってはるなは思わず重たいため息をついた。


昼食は朝働いた男達の夜までのエネルギーなので、それは力の付くスタミナがあるものがいいと肉肉しいものばかりを作った。メンチカツやそれらしき挽肉の揚げ物と唐揚げに手羽先揚げを同時に出す。ついでに焼きハムを何本も。メンチカツというのははるなの世界独自の料理だったみたいで、メニューを口走ったときに作ってみてくれとイッカクにお願いされたのだった。
「なんだこの揚げモン!食べたことねぇ味だな!!」
「うっっめえ〜〜!!!」
「ほんとにやべえ!おかわりあるか!?!」
「米いくらでもイケるぞこれ」
評価は上々、のようで、 はるなは人知れず胸をなでた。居酒屋経験が長いのだ。どちらかといえばつまみを作る自信の方がはるなにはあった。
あとは温かい日本茶と、三種のおかず入りおにぎりセットを(お新香付き)船長に渡しに行くだけだ。
何度も出来上がった盆を見ては、広い厨房の端に置いて眺めては問題がないか確かめる。
唐揚げ、昆布、おかか、
無難なものを選んだつもりだ、けれどもし彼の嫌いなものがあったら……。

「文句なしだって」

イッカクは見かねて、その背を軽く叩いた。
「あ……」
「行ってきな、大丈夫さ機嫌悪いのは寝起きくらいだからよ」
今日は比較的早めに起きたらしい。それなのに朝食を食べに来てはくれなかったのかと、はるなは思う。
口にする気になれないんだろう。それは仕様がないことだ。事実はるながよそうのは断り自ら奪うように皿へとおかずをもっていく船員は何人もいた。それを冷たいと罵れるほど、はるなは図々しい性格ではない。
静かにうなずき、そっと盆を抱えて食堂をでる。廊下を歩いて一番奥にある大きな一室が、彼の部屋だそうだ。
どうか、何事もなく渡せますように。

「…………」
はじめに言葉もなく、ノックをした。
「入れ」
名乗ろうと思う手前にそう簡潔に返されたので、 はるなは一瞬躊躇い、そして扉を開けた。
「…………何の用だ」
部屋の真ん中に置かれた大きな机に両足をかけて、長い足の先を不作法にこちらへ向けている。深くイスに腰掛けてもたれた曲線が静かに揺らし、やけに分厚い本に目を落としていたトラファルガー・ローは、視線をあげる事なく言った。
「昼食を、おもちしました……」
言うと、漸くローは顔をあげた。はるなの手にあるそれを見て、僅かに間を置く。
「……ここに置いておけ」
「は、はい」
小さく顎で僅かに指された机の上へ、はるなは緊張で微かに震える両手を叱咤しながらそっと置いた。すぐにからだをぴんとのばしそれではと彼に背を向ける、その時。
「おい、ここの片付けをしろ」
さっさと言うやトラファルガー・ローは足を下ろすこともせず添えられていたお絞りを掴み手を拭くとはるなが振り向いた頃には白米に噛り付いていた。
ここ、と差されたのは彼の机の下に山積みになった本のことだった。埃を被っているわけではないが、すぐ近くの本棚から抜かれた本たちは、無造作に積み重なり彼に読まれたことで用無しかのようにだらしなく寝転がっている状態だった。棚にしまうだけなら確かにはるなでも出来ることだが、それは決して簡単なこととは思えなかった。はるなはしゃがみ、こちらに見向きもしない男の靴の先を見る。
「触ってはいけないものは」
「特にねえ、ただ落とすなよ、」
「は、はい」
それだけ交わせばあとははるなも余計な口を挟む気は起きず、淡々とした作業になった。先のペンギンと同じ、雑用のみに専念するだけの時間。
大勢の場で仕事をさせられている時はどうしてもはるなをよく思わない人間の歯に衣着せぬ声を聞かなければならなかった。それもここにはない、平穏と対して違いのない彼のページをめくる音だけが聞こえてくる。
元々男大所帯に慣れてなどいなかったはるなが、それに先程よりは幾分の安心を感じてしまっても、それは仕方のないことだった。
「……おい」
びく、と肩が揺れた。はるなが振り向くと、真後に自分より頭三つくらいは大きいトラファルガー・ローが立ち塞がっていて、はるなは思わず息を飲んだ。彼の影に自らが覆われている、鋭い瞳を闇で覆うような隈すらいまは威圧感を帯びている。
真っ直ぐと自分を睨む灰の瞳、あの、有無を言わせない冷酷な顔つき。はるなは胸を鷲掴みにされたようで、とっさに震えて、指先が痙攣を起こした。
持っていた本があっけなくすべり落ち、床に叩きつけられる、その音に、はるなは青ざめた。
「す、みませんっ……!!」
拾い上げようと即座に曲げた腰を許さず、トラファルガー・ローははるなの腕を掴み引き上げた、唐突な力にはるなは小さく声を漏らし、ローの力になす術なく体を揺らした。
「これはなんだ」
トラファルガー・ローの冷たい声が聞こえると、同時に左手に嫌な感触がした。
一本の線を、トラファルガー・ローの親指が撫でている。決して傷付けるためでなく、あくまで眺めるような、静かで、強引な手つきにはるなは目をそらした。
「あ、朝ナイフで切ってしまって……大丈夫です、血はもうとまりましたから、汚したりは」
「なんでそのままにしてんだ」
治療させてもらえると、誰が思うのだろう。
はるなはその疑問を抱えていたせいで、少しばかり反応が濁り、言い訳がましい口調になった。

「……みずで流して、服で抑えていたら乾いたので」
言うや否や、袖をつかまれ勢い良くまくられる、血がこびりついてた服の内側を見て、トラファルガー・ローは舌打ちをした。その腕を掴んだまま引っ張り、はるなの体ごとソファの前に投げる。なんとか前で立ち振り返るが、トラファルガー・ローは顎でソファを指す。
「……そこに座れ」
「そ、そんな、いいです」
「さっさとしろ」
「……」
威圧する視線に耐えかねてはるなが静かにソファへ腰を下ろすと、その前にトラファルガー・ローはしゃがみこむ、自然と見上げるような形になり自分をみるローの丁寧でいて、やはり冷たい視線には息が詰まるような気がした。ゆっくり、はるなの傷ついた手のひらを広げさせ、大きな手が包む。

「夕食にお前の傷からもし血が入ったらどうする?その細菌で何が起きるか、知恵のないお前の頭でも理解できるか?」
言われ、はるなは情けなく頷いて見せる。頭を上げる余裕もなく、俯いたまま放っておいた所為で乾いてささくれたように薄い皮膚をみせる手のひらを眺めた。
「……ごめんなさい」
ローは特に謝罪を求めているわけではなかったのか、顔を合わすことなくその言葉を流し、おもむろに腕を伸ばしてソファの横に置かれていた白い箱を取り、その中からてきぱきと道具を出し始めた。トラファルガー・ローは順序良く消毒を済ませ、その指に綺麗に包帯を巻く。何か言葉が続くのかと思えば、彼は始終黙ったまま、最初の言葉とは真逆にしっかりとした手付きで、はるなを手のひらを患者らしく扱うだけだった。
「ありがとうございます」
「……ベポに懐かれているそうだな」
反射的にあの時の視線を思い出して、はるなは強張った。

「……あ、あの、ごめんなさい……」
「いちいち出てくる言葉がそれか」
びくりと肩を震わすのも、トラファルガー・ローにはあざとい振る舞いのように映るのか、少しも緊張が解かれる様子はない。伺うように細かに人の仕草を探るローの視線が僅かにはるなから離れたと思えば、ゆっくりと立ち上がる。
「……あいつは、ああ見えて慎重で人見知りで、船員以外に懐く事なんてまずねえ」
「…………」
「どんな手で手懐けたか、あるいは……」
「何もしてません」
ベポとの間に嘘があったなんて思いたくない、自分の立場を理解していながら、はるなは気付けば、両手をポッケに入れ自分を見下ろしていたローの向かいに立ち向かいあった。
「私、ベポにそんな、何もしてませんし、それに、き、嫌われなかっただけで、別にあと、明日になれば、私は……」
帰りますし、というのは流石に言葉が過ぎるかもしれない。口をつぐんだ。
トラファルガー・ローの前に立ったとしても、元々圧倒的な身長差がそこにあるため、はるなは依然目を伏せればローの表情を伺うことは出来ない。
自分に対して余計な詮索をされているわけではないだろうが、だからこそ、ここで余計な傷を自分とベポの間に作りたくなかった。それはこの船の船長の前でと考えればあまりに馬鹿げていて意味のない思考だったが、トラファルガー・ローは、萎縮したように俯き動かないはるなの小さな頭を見つめたまま、それ以上は踏み込もうとはしなかった。
「……そうだな」
「……失礼します、ありがとうございました……」
返事はないが、深く頭を下げてはるなはそそくさと目を見ることなく部屋を出て行く。
丁寧に巻かれた包帯の借りをと思い巡らせるほど、もう余計なことを考える気にもなれなかった。
何を聞きたかったのだろう、
何を疑われたのだろう、
殺意以外の真剣なまなざしは、あのとき確かにはるなただ一人を見つめていたが、そこに映る冷たい灰の色を思い知る以外、視線は射抜くように鋭い針のようだった。




(歓迎されない者)


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