deus ex machina


医療器具や精密機器が多くやたらに清潔感を保たれたその潜水艦は、昼方よく海上へと顔を出した。はるなはベポとシャチと三人で揃って朝方に洗い尽くしておいた洗濯物の山を抱え、甲板に出るとてきぱきと素早く一面に紐を引いた。元々、はるながこれを昼の準備までに終わらせるのが船長より課せられた仕事だった。けれど何十人分と積められた洗濯物の量と朝の食器の片付けに終われれば、やはり作業の流れが必ず思い通りになる訳はない。四苦八苦を表に出さずともその自分たちと違う力のない手が必死に動き回るのを見つけて、ベポが進んで手伝いに名乗りを上げたのに便乗し、シャチもはるなが体良く断ることができないのをいい事に、その後ろへと続いたのだった。
紐をピンと張りフックにかけ、大量の服が入った桶に戻れば、もうシャチは何枚か取り出し洗濯用のピンを手にとっていた。
「本当にすみません……でも、やっぱりお二人にも仕事が」
ぎこちなく言葉を濁しながら伝えるものの、シャチは表情ひとつ変えることはない。
「あー大丈夫大丈夫、おれらのはそんな時間に追われる事じゃないから、」
続いてベポも服を広げる。
「気にしないで、はるなもこの方が楽でしょ?」
「……それは、そうだけど……」
そういいながら、二人の横に並びピンと強く張ったヒモに白いシャツやツナギをかける手は、やはり躊躇いを隠せていない。先日ローに言われた言葉を思い返せば、やはり彼は自分が部下たちと関わることをよく思ってはいないはずなのだ。
こうして、優しくされる事も、あの船長の声がいつ背にかかるかと思うと笑顔で振り向くことすらできない。
「さっさと終わらせちまえばいいだろ?」
「………」
自分の隣でバサバサと適当に服をかけていくシャチの、その遠慮のない口調にはるなはまた目をそらした。いっそ愛想のない女だと罵られた方が、彼は喜ぶのかもしれない。
「……わッ」
ぐっ。と、突然シャチが自分の顔を覗き込んだので、はるなは驚いて綺麗にかけられた服のカーテンの中に落ちるように後ずさり、慌ててシャチと服一枚隔てた向こう側に移る。白くなびく清潔なシャツ達で遮る視界の中、向こうにいるシャチの反応を待つのに耐えられず、すぐさまベポを探そうとした時、シャツが翻った。
風になびく服の隙間から、シャチは静かに手を伸ばして、はるなの手を捕まえた。
お互い顔が見えないせいで、咄嗟にはるなは、逃げ出したことを咎められるのかと息を飲んだ。服の隙間から伸びる、自分より太い手首の表面に、やけに大きな古傷の痕を見つけて、はるなは僅かに動くのが遅れる。
「はるな」
「は、い……」
「俺のこと…やっぱ嫌いか?」
一拍、返事を返すのに間が空いた。
「へ?」
ぱさりと服をめくり顔を出したシャチの様子は、明らかに怒りとは違う険しさを、…子供っぽい睨み方で、はるなを見つめていた。
「そのさ、もう俺とかベポにはそんな構えなくてもいいんじゃねーかな…とか、思ってさ」
「………」
「まあ、もちろん船長の前で同じような感じになるのは難しそうだけどよ」
なら、別に最後までそんな事を思う必要はないのではないだろうか。
彼の、こうした互いの心情をよくも把握しないで投げかけてくる言葉に、どうしようもなく苦しい、という気持ちが湧き出てしまう。
はるなは苦しかった。
わかってくれていない。わかりあえない。わかってはいるはずなのに、どうしてそれを、よりにもよって私に向けることができるのだろうか。
はるなはせめて、お互いを傷つけないような言葉を必死で脳から紡ぎ出す。
「嫌いな、わけでは……」
「まだ怖いのか?」
そういう事じゃない、喉にでかかった言葉を飲み込み、はるなは俯く。
気兼ねない言葉をこれ以上受け取れるほど、はるなは余裕がなかった。捕まえられた掌が熱くて、どうしよう、と頭がぐるぐる回っていく、有る意味単純な馴れ合いだったらどれだけよかったか、「お疲れ」そう、言葉を投げかけてくれるだけで、自分にとっては明日まで仕事をやりきれる勇気になるのだと、そうわかってもらえたらどれだけいいだろうか。
「……手伝ってもらってありがとうございます、もう大丈夫です、すみません…」
静かに手を引けば、思ったよりすぐにシャチの指は離れて行った。鈍いお辞儀を軽く見せて、くるりと背を向け歩き出す。
「あ、ッ、はるな!手伝うって!俺たちがやるから!」
「ほんとに大丈夫です!あの、」
「俺がやりたいんだよ!はるな」
「そうか」
突然、低く響くようなトーンが洗濯物のシーツの向こうから2人に届き、思わず同時に固まった。
「来いはるな、それは”全部”やりたがってるそいつにやらせろ、ベポお前は部屋に戻っていい」
「アイアイ…?」
シャチは完全にやらかしたという顔をしていた。はるなが振り向くと、風で揺らめくシーツがめくれ、ローの鬱陶しそうな視線が2人に向けられる。太陽の影で帽子のしたにコントラストを落とし、こんな陽が出ていても不健康そうな隈がより浮き彫りになるだけで、まるで彫刻が見つめているかのようだった。

ローが踵を返し歩き始めるのと同時に、はるなはびくりと肩をゆらして慌ててその後に続いていった。背中では取り残されて愕然とするシャチと、不思議そうにこちらを見送るベポが立ち尽くしている。
たまたま、きかれてしまった。
その程度の顔でリアクションをするシャチが、はるなには正直、羨ましく思えた。



(機会仕掛け)の指先


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