Chastity


長い睡眠で体が完全に起きてしまっていたために、はるなは真っ暗になった窓の外を眺めながら数回目の寝返りを打ち、ふと目の前で座っていた男の顔を見た。

「……寝れねェか、」
「……ごめんなさい」
「いや、別にさっきまで寝てたんならしょうがねぇよ、」
「やっぱり私、何か手伝います、」
「やーいいって!それで倒れたら今度こそアンタ放置されるぞ」
はるなは至極正当な意見にわざわざ食ってかかる威勢などなく、両手両足を組んだままやけに躊躇いなく声を張る船員にぎこちなく体をあげ清潔なベッドを撫でつける。素足の両足がベッドの絹のような滑らかさに擦られるのが心地よかった。

「あの、すみませんが私の着ていた服は……」
「ん?、あー……船長がベッドが汚れるから捨てろって言ってたから、代わりの患者用の服着せたんだが……、言っとくけど着替えさせたのは俺じゃねえぞ?」
「ああいえ、ごめんなさいお手数おかけしてしまって」
「いや、一応あの、武器隠し持ってねェか調べる必要あったからよ、……まァ」

そのわかりやすいどもり方に、はるなは自身が眠っている間に起きたことは大体理解したが、先にローの言葉を聞いていたのでさして驚くことはなく、記憶にない醜態を想像する羞恥を綺麗に隠すことが出来た。

「ベッドに寝かせていただけただけで感謝してもしきれません」
「……そういえば、服がねェな、それは応急として着せたけど、そのカッコで倉庫に戻られちゃあ船長にどやされるな……なんか」
「…………」

ならば何故捨てたのだろうとはるなはローのがさつなやり方に疑問が出たが、そんな事を目の前の彼に言うわけはない。
少なくとも目の前にいる彼は名前も知らないが、同じく何も知らない自分の為に今頭を使っているのだ。親切心でなく船長を恐れて故の行動であるが、言葉が穏やかなだけはるなは俯かずにいることが出来た。

「ペンギンにつなぎの古着あるか聞いてみるか、待っててくれ」
「わ、私も行きます!」

一人で行くと言い出せなかった臆病さに呆れ、はるなはとことん、人に迷惑を振りまいて居座っている事にため息をついた。














「返り血が染みて捨てる予定の物があったな、だがこいつだと引きずるサイズだぞ」
ペンギンは部屋に入ってきた二人の話を聞くや、少し考えるように眉に皺を作りつつ床においてあった箱に詰められたボロボロのつなぎを数着引きずり出して見せた。
それは男性用しかなく、泥に汚れた服ははるなの体を二周りほど上回る大きさの物が殆どであった。

「まあまあ、手足切ればなんとか着れるんじゃねぇの?」
「誰にやらせるんだ、」
面倒そうに服を広げたペンギンの声に、はるなは手を伸ばして男の後ろから前へ踏み出した。

「わ、私自分でやります、大丈夫です」
「裁縫が出来るのか?」
「一応、繕う程度でしたら……」
ペンギンは少し言葉を止めたが、すぐに服をしまいこむと座っていた机の引き出しを開け、一番下の棚から小さな木箱を取り出し机の上へと置いた。僅かに埃を被った箱は、久しく人目につかなかったのかペンギンが触れた指の跡を沿うように汚れが払拭された跡を残している。

「ここに一応道具はある。戦闘で切れたのを直す程度だからそれほど揃ってはいないが、」
「いえそんな!洋服を頂けるだけで、あの、本当にすみません……」
これ以上答える言葉もなく、はるなは自分の立場から考えられないほどの優遇を受けている事にいたたまれなくなり、早くこの場から去りたい一心で弱々しく箱を取ると一番上に置かれていたつなぎをサイズを見ることもなく手に取り、一礼して扉へと振り返った。
男の静かな背の後ろで、ペンギンがそれを静かに制する。

「どこへ行く」
「……部屋に、戻ろうかと」
「ここでやれ、針を持ってるんじゃ信用ならねぇ、」
もっともな考えであったけれど、それを言われるまでそれほど些細な反逆の方法など考えもしなかったはるなには、従う以上にやるせない思いがわいた。
おとなしくペンギンへと視線を戻したはるなを見て、男は何とはなしに口を挟む。
「なんで?俺がいるからいいじゃん」
「…………駄目だ、ここでやれ」
そのペンギンの意図は男も読むことが出来なかったのだろう、少しばかり不思議そうに首を傾げ、黙って近くの木箱へ腰を下ろした。
はるなは、男の意見ならまだしも自分一人の発言など意味を成さないことは解りきっていたので、大人しく近くの椅子に腰を下ろし汚れの乾き泥色に変色したつなぎのを膝の上で静かに広げた。幸いにもMくらいの肩幅だったので腰の紐を調整すればなんとか着れるもののようにも見えたが、足と手足を計る事がこの場で出来ないとなっては、サイズの具合は適当にするしかなかった。

(着替えてサイズ確かめたかったのに……)

「マチ針は、と、これか……」

無理にやってるやり方を指摘しないでいる所を見れば、裁縫は知らないのだろう。出て行ってと、言えるわけもない。
はるなは物音を立てないように慎重になりながら、服を自分の腕に当て箱から取り出したマチ針で形をつくっていく、ペンギンは仕事に戻り机の書類へと目を向けていたが、向かいに大股を広げ膝に手をついた男は、その器用な動きが様になっているようにも見えたのか、はるなの手をなぞるように目線を動かせていた。

「……失礼します」
ジョキン、と、はっきりした音と共につなぎの袖口が床へと落ちる。袖口布の縫い目を綺麗に縫い直した方が見栄えがよくなるようにも思えたが、そんな手間をかけるよりさっさと服の形に直してこの部屋から出てしまいたい気持ちの方が強くはるなを押し、はるなはいつこの部屋に当たり前のように現れ自分を見つけだすか分からないローの陰に脅え、黙々と糸で袖を縫っていった。

「………手慣れてんな」
「普通の縫い方でしたら、昔習ったのを何となく覚えていて、そんな、器用なものじゃありませんが……」
言葉の通り、はるながしている裁縫は、小学生で習うような基礎的なまつり縫いのみだった。それすら物珍しい様な眼差しで見続ける男の視線に、小学校、……恐らく学園のひとつも無いこの世界の特異な人間のそれを感じたが、言葉に言い表せない違和感を彼に教えることなど出来ず、はるなは曖昧に言葉を濁し手を動かした。

(ちょっと出して、グルグル巻いて、針を抜く。懐かしいな、……)
服が破れたりしたら、大人しく捨てるようなものだった。コートのボタンを付け直すくらいでしか裁縫などろくにしなかった事をふと思い出して、両足の縫いつけも終わり立ち上がって背丈と合わせようとしたその時、いつの間にか立ち上がってはるなの横に立っていたペンギンが、手に持っていた大分綺麗なズボンをはるなへと差し向けた。

「………これも直せるか」
ペンギンがおもむろにズボンをずらすと、刃物で切ったような鋭い裂け目が膝から腿にかけて穴を開けていた。刀傷のようなそれは掠めた15p程度のものだったので、はるなは人目で縫い直せるものだとわかった。

「はい、」

けれど逆に言えば、この程度ペンギンでも簡単に縫えるような物にも思えたのだが、はるなは大人しく両手でそれを受け取ると、ペンギンが机に戻っていく背を眺め、余計なことを考えるべきじゃないと口を閉じ黙りこんだまま、また木箱へと手を向けた。

「よかったな」
そんな静かなはるなの姿を見て、男はぽつりと言う。
「え?」
「仕事、出来たじゃん」

ペンギンがぴくりと、持っていたペンを揺らせたのは男しかわからなかったが。
はるなは、別に自分の腕を買われてこの雑用を頼まれたものだとは思いもしなかったので、その言葉が胸に落ちた途端、緊張していた指が解けて、ペンギンの思いつきを買いかぶるように気安く返事をしてしまった。

「………はい」

もののついでという物を、こんな風に勝手に解釈されてしまっては角が立たないというのに、ペンギンは内心女に肩入れするようにさり気なく気を許す男の不用心さに呆れたが、それさ今に限った話ではなく、ベポといい、シャチと言い、そしてこのクジラまでも、この女に向き合ってきた物たちは殆どが、その毒気を抜かれたかのように簡単に境界線を取り払い油断してしまっているのだ。
船長の計らいとは別の意味で楽しんでいるような船員たちの顔は、海の上の船乗りが本来見せるような、日に焼けた肌を光らせ静かに構える粋の笑顔で、クジラの白い歯が開き女に口を出す一言一言が、恐らく船長の望むものとかけ離れて穏やかであるのがペンギンには痛ましくすら見え、二人に気づかれないように重たくため息をついた。




(純潔)清く振る舞え

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