Sequere naturam.



はるなが目を覚ましたときに、目の前に居たのはトラファルガー・ローだった。
はるなは彼の姿が目に入った途端に自分の体が反射のように強ばり、怖れで緊張するのが分かったが、そう思っても自由に動かない体は上手く身動きする事が出来ず、ただ寝かせられた自分の体を見るローの瞳を、ぼんやりと見返すことしかできなかった。
ローはそのはるなの緩慢な仕草に気付くと、組んだ足の上に乗せられた、深い入れ墨が濃く浮かぶ指を揺らせつつ淡々とした口調で言う。


「脱水症状、極度の疲労、栄養失調、ストレスが肌に出てるうえ、虫に刺されて腕は赤いな……見事に不健康の塊だ」


少しだけ愉快そうな笑みが見えた事で、はるなは自身に充てられているのは怒りではないという証明のように思えて、ローの罵るようかその嘲笑にすらも安心してしまった。

「ごめんなさい……」
「ベポにペットを飼わせるのはまだ早ェんだよ、なあ」
「ベポは友達感覚でしたよ」
「友達ねぇ……」

椅子に座るローの横に立っていたペンギンは、冷めた目線で身動きの取れないはるなの体を見つめている。それに気付き視線を逸らせば、はるなは自分の腕に注射が刺さり点滴を打たれていることに気がついた。とっさにその点滴の価値に不安が募り、はるなは情けなくふらつきながらも弱々しい体をあげる、頭を動かしただけで脳がぐらぐらと揺れるのがわかったが、とてもそんな事を気にしてはいられなかった。
じっとりと動きを見ている二人に、落とした視線をあげられないまま重たく呟く。

「ごめん、なさい……」
「……」
この注射ひとつの見返りに、私はどれだけのことをしなければならないのか。
はるなは言葉が返ってくるのが恐ろしくてローの顔を見ることも出来ず、ただまくり上げられた腕に添えられている注射器を滲む視界で捕らえていた。

「次は、倒れませんから、その、……私、」
「いいか」

ビクリ、と肩が揺れて、はるなははっきりと向けられた視線にどうしようもなく緊張しながら目を向けた。その目は怒りというよりも、もっと理性的な色を帯びていた。

「5日間ろくに栄養も水分も取らず密室に閉じこもって、筋力をまともに使わなかったら、突然の労働で倒れるのくらい不思議な話じゃない」
「…………」
「まあそれは、お前が“一般人”と仮定しての話だがな……」
「、あの」

ローは少し間をおいて、はるなの痩せて青くなった顔色を眺めている。それがまるで死にかけの野良猫を見つめるような軽薄な眼差しであるのが解り、たまらずはるなは俯き唇を噛んだ。
一般人と信じ切ったわけでもないローの言葉の端々には、好奇心のような殺意が込められていた。恐怖で言葉は出なかった。

「……働くことを誓ったんなら、とにかく完全に体調は直せ、変に病気にでもなってみろ、いつでも海に捨てるぞ」
「……は、い」
「それと、」
ローは言うや、はるなの顎を片手で軽く掴み、立ち上がると同時にその手ではるなの顔を無理矢理に上へ向けさせた。有無を言わさぬ力で目を合わせられ、囁くような脅迫をローは静かに言う。

「人の顔を見て返事をすることを知らねェのか?」

「……ご、めんなさい」

髪の毛一本残さず震えきったはるなの姿に納得したのか、ローは目を細めると興味が失せたように踵を返し部屋からさっさと出て行ってしまった。続いて出ていくペンギンがちらりとはるなの様子を伺っていたのには、放心状態だったはるなには知る由もないことだ。




最後に見せたローの瞳は、何もかも屈服させるような、絶対的強者の持つ目だった。



まるではるなを迷い込んだ獲物のように捕らえて、遊び半分に食い殺して、半身を噛み千切るような残忍さを秘めた瞳。

体中で震えながら、胸が焦りでバクバクと波打ちながら、はるなはその瞳がやっぱり綺麗で、もう、悔しいくらいかっこいいのだと、打ちのめされた気になった。

たとえあの目に殺されても、何も文句を言わせない力が込められている。それに今の状況下では、この程度の扱いくらいでは文句を言える訳がなかった。

悪いのは私なのだから。
早く直して仕事に取りかからないと、いつ気が変わってこの身が海に投げ出されるかもわからない。
せめて早く体調が直るようにと、はるなは焦るような気持ちでベッドの中へと滑り込んだ。
瞼を閉じたらもう一度浮かび上がるあの何もかも見下したような冷徹の瞳が、はるなの中で火傷のように何時までも尾を引いて体を蝕むようだった。








(自然に従え、)そして主に誓え

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