pleraque facilia dictu sunt, sed factu difficilia.


トラファルガー・ローの乗るこの船が他の海賊船と違い潜水艦であることは知っていたが、それについての知識などは皆無で、実際にこの潜水艦の形態など単行本に載っていたとしてもそういった細かい雑学を読まず飛ばしていたはるなの記憶には薄く、さらに船単体にこれといって好奇心を持ちよったことのないはるなには、連れ出され歩き出した廊下の先々にある部屋が何であるのか全く想像もできず、ただ前を歩くローとベポのあとをついて行くだけだった。
想像以上に広い廊下を歩いていると、迷子になるような感覚にもなる、これは暫くは誰かの後ろについていなければならないと、はるなは一人考えていた。

そして今は私に私語を許さないためにか、ベポとローが隣になって前を歩いており、ローという存在がベポの隣に並んでいてはひなはその間に入り込むことは出来ず、後ろに居るであろうシャチとペンギンは逃げ出さないように後備としてはるなの監視を兼ねているのだから、はるなは部屋からでれた喜びを強く胸に感じていながら、それを表情に表すことも許されないような心境だった。


「炊事、洗濯、掃除……そうだな、当番の割り当てに全部突っ込んでおけ、全部押し付けてもかまわねぇが、結果の責任は連帯にさせるからな、遊びすぎるなよ」
その言葉はどちらかといえばシャチに向けたような物言いだったが、ローの知らぬ間に生まれていた同情心を人知れず育んでいたシャチは、ローの言葉に気休めに頷き、するわけもないことをさもローと同じ顔を真似るようにして頷いた。

「ハイ」
「今日、お前の担当何だ、」
「武器整備の後食堂当番です」
「……ベポが洗濯だったな、ベポに付けろ、終わったら食堂に回せ」
「アイアイ!」
やっと一緒に居る機会を見つけて嬉しくなったのか、ベポは人一倍声をはっきりあげて手を礼の形におでこに宛てた。ローはそれをあえて見ないかのように再びシャチへと視線を向ける。

「毒盛られないようにチェックは念入りにしろよ」
「え」
「クッ………、なに、”はずみ“で殺しても誰も怒らねェよ……」
「………」

ベポの不思議そうな顔から去っていくローの後ろ姿を見送って、ふとシャチはひきつった笑みのまま、戸惑うようにはるなの顔を盗み見た。
その時のはるなの表情は能面そのものと言ったもので、それを勝手に戦慄からくるものと深読みしたシャチは気まずげにその場を立ち去り、気付けば後ろにいたペンギンもいなくなっていたので、廊下に残されたのははるなとベポのみになっていた。
ベポはやがて少し考えるように口を開いた後、

「まず、洗濯物を取りに行くんだ」

と、思い出したように言い出した。





それからはるなはベポの後ろを陰のようにかたくなについて歩き、途中出会う船員の顔も見ずに幾度と頭を下げながら浴室から洗濯物をかき集め、桶を取り甲板後部へと洗濯に向かった。
総員がどれだけいるのかを大凡予想もしていなかったせいで、はるなは無言で浴室へと踏み入れたとき、籠に溢れんばかりに積められた一日分の洗濯物の量に不意にも声が出そうになる程の不安がこみ上げてしまい、ベポが隣にいるという事が、この時ほど有り難く思えたことはなかった。
もしこの量を一人でやれと言われていたのならば、はるなはベポに泣き言をこぼしたかもしれなかっただろう、あくまでそれを分かっていてベポを洗濯から外さなかったのか、トラファルガー・ローのやけにしっかりとした的確な分担には、はるなは嫌みどころか関心すら覚えそうにすらなっていた。


大きな籠を一人で持ち上げ楽々歩き出すベポの後ろで、同じく深みのあり重たい桶を二つ慣れない手付きで持ち上げる。暫く使っていなかったせいか体は衰え、歩く度に片方は落ち嫌な音を立て廊下にぺたりと這ってしまうので、はじめ前を歩きそれを逐一待っていたベポは廊下を半分過ぎたところで慣れないのではなく大変なのだという筋力の差を理解して、それからは彼がいつものように二つとも片手に乗せて再び歩き出して行ってしまった。
礼を言うはるなの緊迫すら理解していないのは、流石にはるなにとってはやりづらいもののようにも感じられた。

ふらふらと覚束ない足取りで階段を上りゆっくりと海を進む船の外へでると、穏やかな風と太陽が体中を絞り尽くすようにぎゅうと照りつけ、はるなの体を硬直させた。

(あれ、なんだろ、くらくらする……)

5日ぶりの日差しというのは、こんなにも刺激が強いものなのか、はるなは自分でも何が起きているのかわからないまま突然の熱気に立ち眩みを起こし、ベポが後部最端に行くのを目で追いながらも彼に声をかけることも出来ずにぺたりとその場に座り込んだ。
せめて小屋の中で運動くらいしておくべきだったと、はるなは洋画によく描かれる密室で男がひたすら腕立てをし続けるシーンを思い出しながら、助けを求めることも出来ずにその場にうずくまる。
頭がどうしようもないほど痛かった。
ガンガンの殴られるような刺激が何時までも脳の中に虫が這うように暴れ回り、落ち着くことが出来ない。

(あ、これやばいかも)


「はるな………?」


ワンテンポ遅れたベポの声が聞こえたときには、 はるなは意識を保っていなかった。






( 多くのことは言うには易しいが、為すには難しい。 )

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