Fluctuat nec mergitur.




それから、はるなの一日のサイクルの基盤は、トレーを持って夜と朝のご飯を一緒に持ってきてくれるベポの存在となっていった。
一日に何度と往復していては他の船員に怪しまれることは免れないので、夜中の見回りの時に残しておいたご飯を二食分ほどトレーに乗せてはるなの元へと運びに行く。それを次の夜に取りに行きトレーを交換する。
その時隙を見ては少し話して去って行くベポの軽やかな足音を聞きながら、はるなは残された部屋で大人しく時間が経つのを待ち続ける。


────どう見ても、こっそりと行われるベポのそれは、侵入者と見なされているはるなに対する親切心としか考えようが無く、更に言えばそれは同情めいた危うい思想よりも、もっと楽観的なベポの判断に思われて、はるなは律儀に毎日現れるベポの行為に感謝しても仕切れない気持ちでいっぱいになりながら、その行いを忠告する気にはなれなかった。

もしこのまま、上手い具合に事が進めば、あとたった二週間……恐らく三日経ったのであと一週間と四日ほど、それだけ待ち続ければ、はるなはこの船から下りることが出来るのだ。
それから先のことを考えるのはあまりに早すぎる話であるが、どうしたってこの暗い倉庫の中に一日中居たのでは考えることは外のことばかりになってしまう。
穏やかな町で住み込みで働きながら、衣住食を確保できるようにしないといけない。
そして、いずれは自分がなぜこの世界にきたのかも調べなければならない気がした。こちらからすればこのはるなへの事故は偉大なる航路の不思議だ、そういった類の寓話が存在していないこともないはずだろう、 はるなは体育座りをしたままひざの頭に瞼を押しつけ、出し切ってしまった涙がもう出ないよう蓋のように重たく沈み込んでいた。 
死後の世界がワンピースだなんて可笑しい話にも思えてくるが、本当に所謂“大海賊時代”の真っ只中に放り込まれることの面倒さを身をもって感じた今は、さっさと夢に別れを告げて元の日常に戻りたかった。
結局、普通の人生が一番豊かであったのだと、はるなは自嘲気味に口角をあげる。

 

すると、突然鍵が開かれようとする鉄の音がして、はるなはびくりと肩を揺らした、重たい木製の扉が開く。
まだ時間じゃない、今は昼のはずだ。

「はるな!」
「ベポ……!、どうして?」

相変わらずそれほど笑うこともなく、(それでも幾分楽しそうな声を出しながら)ベポはどすどすと自分の前まできてその場にどすりと座り込んでくる。

「じんもんしろって、」
「尋問?」
「何者かききだせって」
「……船長さんが?」
「うん」
成る程、とはるなは頷きもせずに納得した。
本来ならこの環境に加え尋問という言葉が出ては、自分はもう少し怯えてもいい気がしたが、現れたのがベポ一匹というのがはるなの精神的に大分気楽に思えたのだろう、はるなは大人しく座って正座の姿勢をとる。

「私もわからないことがあるけど、……出来る限り答えるね」
「なるべく全部聞き出せって」
「んん、参ったな……」
「あー、ほんとに仲良くなってるんだな」
「、」

はるなが前に座ったベポに向き合っていた時に、いつ扉にいたのだろうか、キャスケット帽を被りサングラスをかけこれでもかと顔を隠した男が背を扉の縁につけて、じろりとはるなの顔を見下ろしていた。
びくり、とはるなは咄嗟に瞬きを繰り返してその姿を見つめ返す、キャスケット帽の男は頭を掻いて少し綻んだ様子で近づき、ベポの隣に座り込んだ。

「いや、怒ってるわけじゃねえぞ、うん、暴力はしねぇ、大丈夫だ」
「…………」
「……ま、話してくれよ、出来たらアンタから言ってくれた方がお互い楽だろう」
「………………」

少し間をおいて、はるなは躊躇いがちに目を伏せた。ゆるゆると開かれた口は声を発さず、ただぼんやりと床の木目を見つめている。

「……俺、いないほうがいいのかな」
「じゃない」

緊張感の張られた空気にキャスケット帽の男は気難しそうな女性の印象を受けたのか、少し悩んだように指先で頬を掻いた。恐らくシャチだろうとその容姿を見ながらに考えたはるなには、彼自身に漫画の上でも今日までも恐怖を感じていたことなど無かったので、こちらから拒絶を示すつもりなど毛頭無かった。
ましてそれが全てトラファルガー・ローの耳に入るのなら尚更、印象を悪くしたくはない。

「違うんです、ごめんなさい……私、本当にどうしてここに来たのかわからないんです、だから、なんてお答えしたらいいかわからなくて……」
「ーーん、と、敵にとばされたとか?襲われた的な感じなのか」
「いえ、本当に、私はただ……」

車にひかれて、と、答えようとした口はそのまま声にはならなかった。
ぴたりと止まった声を疑惑として受け取られないように、はるなはすぐさま繋ぐように話を継ぎ足す。

「……ふ、船に乗っていて、……」
「船?貿易か何かか」
「いえ、仲間と島をいくつか回ろうと地元を出ていたのですが、その、……気付いたらここにいて……」
「はあ……観光ねぇ……」

納得も疑念もしていないようなシャチの声色に、はるなは恐縮した。
根ほり葉ほり聞かれるに至っても、答えられないといえば敵意のように取られることだろう。それが尋問から拷問に変わるきっかけになっても可笑しくはない。はるなは微かに震える両手を握りしめ、もう一度顔を俯けた。

「あー……、まあ、海賊とかじゃないんだよな?」
「はい」
「見たところ武器も持ってなさそうだし、この船にきた原因はしらねぇけど、何もしなければ一応死なずには島へ下りれると思うから、我慢しててくれな」
「えー、まだはるなここにいなきゃだめなの?」
「船長が許してねぇよ」
少し納得がいかなそうに渋るベポの顔に、シャチまでもが釣られて口を閉じた。

「あの、本当にすみません……突然こんな、ご迷惑かけてしまって……」
「いや、いや、迷惑っつうか……」

なあ?と伺うようにシャチはベポへと振り返ったが、ベポはベポでぶんぶんと首を横に振ると
、その声はやけに大きく倉庫の中で響き渡った。

「おれはるな好きだよ!」
「おいそれはマズいって……」

はじめて見せたベポの嬉しそうな笑顔を見て、刹那呆気にとられてしまったはるなは、その言葉を素直に受け取るべきなのか悩むべきだったのに、思わずその場にいたシャチの事も気にせず沈み込んだ顔のまま、ゆるりと眉を下げて目を細めた。

「ありがとう……」

まるで自分が二人を裂いているみたいだ。
そう、雰囲気に呑まれ気まずそうな顔をしたシャチは、二人の少し和んだ空気に苦虫を噛むよう口を閉じて、何も言わずにキャスケット帽を深く被り直していた。








(たゆたえど、沈まず) ただ、優しく


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