「漠然と生きてる気がするけど、知らない間に変わっていくよね」 生温い室内の空気に浸りながら、一定の速度で頁を捲ろうとしていた黒子の指が止まる。 それに見向きもしない幼馴染みは、テーブルに広げた課題に飽き始めたのか、ルーズリーフの角に意味のない落書きを走らせながら呟いた。 味覚なんて、分かりやすいよね。 小腹を満たす為に用意された、小皿に出されたチョコレートに軽く視線を向ける名前を、黒子は文字の羅列から顔を上げてじっと見つめていた。 「これも、不純物だと思ってたのに。チョコレートに他の何かを混ぜ混むなんてとんでもない。そのままだから美味しいんだって」 今じゃ、チョコに混じる酸味を楽しめるようになってしまったけれど。 ブルーベリー、ラズベリー、ストロベリー…溶けるような甘さの中に居座り爽やかさを演出する、ドライフルーツを一つ一つ挙げながら口の中に放り込む彼女は、美味しいけど、と頷きながらも遠退いた感覚に思いを馳せているように、黒子の瞳には写った。 テーブルの上、彼女の手が当たって倒れない位置に置かれたホットミルクの入ったマグカップ。そこから漂う湯気が、いつまでも二人の間で揺れているような気がした。 どれだけの時間が経ったのだろうか。 解説の最後の行まで読み終わり、ぱたりと閉じた本をテーブルに上げながら窓の外を確認する。 部屋の灯りが輝きを増すような体感に、結構な時間が過ぎていることはすぐに分かった。カーテンの向こうには薄暗い色が透けて見える。 時計の方は、確認しなかった。 片付けられたテーブルに顔を傾けるようにして突っ伏した幼馴染みは、今は小さな寝息を立てている。 気紛れな質の彼女は、自分がそうされることを嫌うが故か昔から黒子が本気で邪魔に思うようなことはしない。 よく分かりにくいと言われる表情を細かに読み取って、何かに没頭している最中には一切じゃれても来ない。その間はただ自分のやりたいこと、やるべきことを同じ空間に身を置きながらこなすのだ。 今日も、そのやるべきことはやってしまったのだろう。空いた時間で黒子を待っていたのか、ただ単に疲れて一眠りすることを選んだのか。どちらかは判らないが、すやすやと寝入る名前を覗き込みながら黒子は思う。 成る程、自分にはネクロフィリアの素質はない。 頬に下がり表情を隠そうとする髪に、手を伸ばして掻き上げる。 幼い面影を薄くしていく目尻、鼻の形、耳の大きさ。それらを確かめては彼女が微かに漏らしたぼやきを思い出した。 知らない間に、変わっていく。変わらない為には、時間を止める他に方法はない。 それでも、生きたまま時間は止められない。動かず喋らずな彼女を眺め続けるだけというのも、悪いとは言わないがいつかは飽きて退屈がきてしまうだろう。 白い頬を一度指でなぞり、手を離す。 その瞬間に黒子の視界に入ったカップには、半分より少ない量のミルクが残されていた。 これだけの時間が過ぎれば、カップもとうに冷たくなってしまった後だ。温かいミルクもいつかは冷める。いつまでも湯気を漂わせるように見えても、それは理想で錯覚でしかない。 「…風邪を引きますね」 仕方なしに立ち上がる黒子は、時計を視界に入れずに薄手の毛布をベッドから引っ張り出した。 そして手にした毛布は、成長したと言っても女子らしく華奢な肩の上にそっと、ずり落ちないように掛けられた。 自分の知らない場所で踞ることがないように、こうしておけば傍に置いたままでいられる。 中身の半分ほど残ったカップを引き寄せ、冷めきったミルクは飲み干した。 起きた頃にまた、温かいミルクをいれてあげよう。まだこの先も同じ時間が続くように。 「寂しくなんか、ないですよ」 毛布の感触にもぞりと頬を動かす、名前の頭に再び手を置くと隣の空いた空間に座り直す。 今はまだ二人、子供の時間に浸っていたかった。 彼女は勿論、きっと自分も。 臆病者が夢物語 味覚が変わっても身体が変わっても、ミルクの味や毛布の感触が変わらないように。 いつまでも許される限り、同じ時間を繰り返し続ける。 この距離だけは、手離さないように。 _ |