TL:83 | ナノ

 平和島さんを静雄くんと呼ぶか、静雄さんと呼ぶかという問題の答えはまだ出ていないが、とりあえず放課後を迎えた。
 今日は毎日昼食を一緒に食べている(らしい)女の子達とどこかへ寄ろうという話になっているので、それに同行する予定でいた。
 まあ、この状況でよく遊んでいられるなと、呆れに近い物も感じるけれど。

 あの部屋に帰るのは少し嫌だなぁと思いながら、いざ校門を出ようとした時だった。


「あ」


 明日提出しなければならないプリントを、教室へ忘れてしまったことに気がついた。
 

「どうしたのー?」


 くるりと振り返った女の子達にプリントを忘れてしまったと伝え、後で追い付くからと私は急いで校舎の中へ戻り、教室の前までやって来た。
 教室を出たときに残っていたのは、日直の人達だけだったはずだ。今いるのもその人たちだけだろう。
 そう大した警戒もせず引き戸を開ける――と同時に、勢いよくそれを閉めた。

 一体、どこまで不意打ちを狙ってくるんだ、あの人は……。

 教室の中から近づいてくるような足音は聞こえないので、扉の前で頭を抱えた。
 まあ、言わなくても通じるような気がするけど、中にいたのは折原さんだった。しかもオンリー。さっきの二人は、どこに行ったのだろう。

 ……ここで、私の前には二つの選択肢がある。

 @今日は諦めて、明日の朝早くに学校へ来て仕上げる
 A折原さんとの接触を極力避けて、素早くプリントを回収する

 どちらかしかない。というか、もう私の中での答えは決まっていた。
 私はうんと頷いて、教室の扉に背を向ける。もう二年が経っているとはいえ、私も高校生だったんだ。朝来てできない内容じゃないだろう。
 おまけに得意科目の現代文だったし、大丈夫。数学なら悩んでいたところだけど。
  
 ――ん?

 スタートダッシュを決めようとしたところで、何か重要なことを忘れているような気がした。
 数学、何か、それ関係で忘れているような……。
 そうして今日の授業を振り返ってみると、とても残念なことに、数学のプリントも現代文のプリントを挟んでいるファイルと共に置いてきたことを思い出した。
 いや、これは残念すぎる……。

 渋々、また扉の前に立ち止まり、どうしようと首を捻った。早くしないとあの子たちを待たせてしまうことになるので、考えている時間もない。
 ここは、腹をくくって中に入るべきか……。そう考えて、引き戸に手を置いた時だった。
 どこかの教室から、ガラリと誰かが出てくるような音が聞こえた。何となく気になり、振り返ってみると。


「…………」
「…………あ?」
 

 私の食い入るような視線に気づいたのか、その人は驚いたように足を止めた。

 帽子をかぶっていないその人なんて見たことがなかったから、一瞬誰だか分らなかったけれど……間違いない。

 門田さんだ。

 やはり少し若いその人は、折原さんと同じ学ラン姿だった。ただし、長さは普通。これだけ学ランが似合う人も、稀だと思う。
 何だか感動してしまってしばらくそのまま立ちつくしていれば、ふとある考えが思い浮かんだ。
 せっかくこっちの門田さんと知り合いになれそうな機会なんだ、折原さん対策もできるし、一石二鳥。

 そうとなれば、早く行動するに越したことはない。


「ちょっと、時間いいですか」


 街頭アンケートのような声のかけ方をしてしまった。あまり気にしないでおこう。
 状況が呑み込めていないように首を傾げているその人は、周囲を見渡して自分以外の誰かに話しているのではないかというような反応をした。

 いえいえ、あなたです。


「時間は構わねぇが……」


 用件は何だと言う視線に、


「この教室へ、一緒に入ってほしいんです」


 正直にそう言った。
 すると、門田さんはさらに不可解そうに眉を潜める。
 ……確かにいきなりこんなことを頼むのは変かもしれないけれど、そこまで怪しまれるとは思っていなかった。


「どうしてかっていいますと、ね」


 門田さんの警戒心を解くために、ひとまず理由を話すことにした。


「教室に忘れ物をしてしまって取りに行きたいんですが、中に凄く苦手な人がいまして。それで、その人と二人っきりのが、耐えられないといいますか……」


 言えば言うほど、お前は折原さんをどれだけ嫌っているんだという内容になっていった。いや嫌いじゃないです苦手なんです。
 さすがに罪悪感を感じたので、早々口を閉じて相手の反応を伺う。しばらく考えるように黙っていた門田さんが口を開いた。


「わかった」


 そう若干疑心に近い物を残しつつも頷いてくれた。
 ここまで怪しまれている理由がいまひとつ不明だが、ありがたいことに変わりはない。やっぱり門田さんは良い人だ。
 心の中でグッと拳を握りながら、私は控えめに頭を下げた。


「ありがとうございます」
「頭下げられる程のことじゃねぇよ。中に入るだけだろ?」
「それは、そうなんですけど……」


 時間の経過というのをすっかり忘れて話している最中、再びガラリと扉を開く音が聞こえた。

 しかも、目の前から。

 突然の出来事に声も出せず驚いていると、

 
「誰かと思ったら、ドタチンか」


 目の前の扉から出てこられる唯一の人は、そう言って平坦な笑みを浮かべていた。
 

「その呼び方やめろって」
「いいじゃん、親しみやすいし。それでさ、野崎さん」


 例にならって、いきなり声をかけられたことに数歩退いた。
 自分でもオーバーリアクションだとは分かっているのだけれど、何だか慣れないのだ。
 いや、慣れるも何もまだ二日目だけど。

 
「そこまで露骨だと、さすがに傷つくなぁ」


 そう少しも傷ついていなさそうな笑みを浮かべているその人は、


「これ、取りに来たんだよね?」
   
  
 私のプリントが入っているファイルを差し出した。

 ……どうして分かったんだろう。
 折原さんはいつでも何か見越しているような言動をする人だが、私がこの教室に入ろうとしただけで分かるものだろうか。
 とりあえず、ファイルの中身を確認されていることは間違いない。
 そう思えば納得したような頭が痛くなるような、言い表しにくいものを感じた。

 とはいえ、ファイルを受け取らないわけにはいかない。そろりと手を伸ばして差し出されたものを掴み、


「ありがとう、ございます……」


 やはり忘れられない敬語を使って、そう言った。


「いいよ。それじゃ、また明日」


 そして、折原さんはあっさりと教室内へ戻ってしまった。
 あまりの引きの良さに目を瞬かせていて呆然としていると、隣から小さな溜息が聞こえた。


「ま、確かにあいつと二人きりは嫌だろうな」

 
 同調するような門田さんの言葉に、私はきっと引きつった笑みを浮かべていたと思う。
 結局、呼び止めただけになってしまったけれど、その『呼びとめただけ』でも随分と助かった。


「しつこいようですけど、ありがとうございました」
「俺は何もしてねぇって。それより……」


 それより、と言いかけて、門田さんは再び考え込むように首を傾げた後、


「悪い、何でもない。気をつけて帰れよ」


 どう聞いても不自然なことを言い残して、さっさと廊下を歩いて行ってしまった。
 




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