「……ここ、どこ」
目が覚めると、普段寝起きを共にしているはずの自室の天井が、別の天井に変わっていた。
かといって、マンションのリビングでもないし、あり得てほしくはないけれど折原さんの部屋でもない。
いや、単に馴染みがないと言うだけで、見たことはあるのだ。どこかの夢の中で、私が一人暮らしをしているというアパートの天井として。
……………………………………………………。
「って、いやいやいやいや!!」
寝起きだと言うのに、目一杯叫びながら飛び起きた。
近所迷惑だ。
いや、近所なんか気にしていられるかっ。
慌てて洗面所へ向かい、鏡を確認すると、そこに映っている私は夢で見た『私』と同じ、高校生時代の容姿をしていた。
なんだこれは……なんだこれは!?夢落ち二段構え?夢だと思ったらそれも夢の中で見ていた夢とかそんな……。
これならまだ、誘拐されて数年若返る薬を飲まされたと言われた方が現実的だ。もう自分でも何を言っているのか分からないけれど、とにかく私は混乱しているようだった。
そうして鏡の前で呆然としていると、背後からカサっという軽い音が聞こえてきた。
……こんな状況でGが出てきたときには、もう泣くしかない気がする。いや、泣かないけど。
泣くまではいかなくても嫌いなものは嫌いなので、恐る恐る振り向いた。
「……封筒」
落ちていたのは、封筒だった。白い長方形の、宛名も送り主の名前もない封筒。
さっきまでこんなものあったっけ。しげしげと手にとって見つめていると、封がひとりでに開いてしまった。のりづけが甘かったんだろうか。
まあ、『私』のものとはいえ私に送られてきたことに変わりはない。中を確認しよう。
そこには便箋が一枚だけ入っていた。そして、
『今は普通に生活してください』
と、それ一行だけが書かれていた。
……なるほど、わからない。文章の意味は分かるけれど、何かもういろいろとわけが分からない。
やっぱり夢なんじゃないか、これ?そんなことを思って首を傾げていると、再び背後からカサっと軽い音が聞こえた。
なんなの、ここには手紙を書く幽霊でもいるっていうの?
あながち否定できない可能性だったため、さすがに顔が引きつった。
それと同時に昨日(一昨日?)に折原さんと見た映画の内容を思い出してしまい、サーッと血の気が引くような感覚がした。
×××
「おはよう、今日は早いね――って、なんで朝からパン?早弁じゃなくて、朝弁?」
「……家に何もなかったから、朝コンビニ寄った」
「へえ、やっぱり一人暮らしって大変なんだね。そういえば、キャラチェンやめたの?」
「うわぁ……」
本当に昨日の夢から続いてるのか……。
そう思うと、もとからだるい体がさらに重くなったような気がして、思わず机に顔を伏せた。
あれから妙に怖くなってしまった私は、急いで制服に着替えた後、鞄を引っつかんでアパートを出た。
そして学校途中にあったコンビニに寄ってから手洗いで軽く身支度をして(入店した時、あまりに寝癖が酷かったからか店員さんが目を丸くしていた。恥ずかしい……)、
朝食用のパンとお昼のサンドイッチ、そしてペットボトルの水を買った。コンビニで身支度を整えたなんて初めての経験だ……ちっとも嬉しくないし、感動もしないけど。
で、そのパンを教室で食べていたら、新羅さんがやってきた。ちなみに私が教室へ入ったときには誰もいなかったので、新羅さんは二番ということになる。
個人的に新羅さんはギリギリまでセルティさんと一緒にいようとして、遅めに登校するのかなと思っていたんだけど……。
「うわぁって……。その反応はさすがに傷つくな……」
「すみません……」
だってもうどうすればいいか、わからないんです。
誤魔化すとか誤魔化さないとかそういうことを考えている余裕はなかった。きっとそのせいで敬語も曖昧になっているのだと思う。
だって、夢から覚めたと思ったらまだその夢は継続中。おまけに幽霊からの手紙なんて、洒落になってない。
「昨日、あれから何かあった?かなり疲れてるように見えるよ」
「ちょっと……埼玉まで行って」
「埼玉?」
「昔の知り合いに会って来たんです」
あくまで私の知り合いであって、この新羅さんのよく知る『私』の知り合いではないのだけれど。
それにしたってこの身体のだるさは何だ。昨日寝た時間帯なら、普段より早いぐらいなのに。
そう思いながらもうだうだと起き上がった後、残りのパンを口へ詰め込み、水で喉へと流し込んだ。
「それなら、単なる疲労かもしれないね。でも、その疲労から体調を崩すこともあるんだし、気をつけた方が良いよ」
こちらの顔を覗き込むような体勢で、新羅さんはそう言った。
こういう会話は、やっぱり変な感じがするなぁと思いつつ無言で頷くと、がらりと教室の引き戸が開いた。
ので、特別何か心の準備をすることもなく、視線を向けると――。
「朝から随分仲が良いね」
見慣れていると言えば見慣れている平坦な笑顔に、持っていたペットボトルを取り落としそうになった。
もう言うまでもない気がするが、入室してきたのは鞄を肩で担いでいる折原さん(ver.高校生)。今日も赤シャツに短ランだ……うわー、違和感しかない。
でもブレザーはブレザーで似合わないような……いやでも、なんだかんだ言って何でも着こなしてしまうのが折原さんだから……。
そうしてその人の服装ばかり眺めていると、新羅さんが別段変った様子もなく、笑いながら口を開いた。
「君と静雄くん程じゃないよ」
「ハッ……冗談でもそんなこと言わないでもらいたいねぇ。昨日なんか、危うくサッカーゴールの下敷きになるところだったんだから」
「それでも、その原因を作ったのは君自身だろう?それなら一度くらい、下敷きになってもいいと思うね」
「せっかくの提案だけど、遠慮するよ。――ああ、そういえば野崎さん」
そう急に名前を呼ばれたので、今度こそ本当にペットボトルを取り落としてしまった。
何でさっき手放しておかなかったんだっ。そう後悔しても時間は巻き戻らないので、仕方なく席を立ち、机の下に転がっているそれへと手を伸ばした。
どうしてこうも動揺してしまうのか。それはもちろん、服装や外見のせいもあるのだろう。けれど、一応他にも理由はあった。
高校生折原さんと大人折原さん、二人(という呼称があっているのかは不明)の雰囲気は確かに似ているのだが、
やはり過ごしている年月の差か、高校生折原さんの方に得体の知れない怖さを感じる。
丁度、初めて折原さんと会った時のような、そんな怖さを。
そう思えば、随分私はあの折原さんに慣れてきていたんだなぁと実感した。
少なくとも、今自分の座席へ移動している折原さんとは絶対二人きりになりたくない、ぼろが出そう。
そう溜息をついてペットボトルを拾い、再び席につくと、その折原さんが自分の机に腰掛けて、くつくつと愉快そうに笑っていた。
「そんなに動揺しなくてもいいのに」
「野崎さんが君のことを苦手だって、知った上で言ってるのかい?」
「そりゃ、これ見よがしに避けられちゃねぇ……分からないものも分かるよ。前から気になってたんだけどさ、俺って君に何かした?」
そう言って小さく首を傾げた折原さんだが、私は『私』の記憶なんて持ち合わせていない。
だからどうしたって答えようがなく、新羅さんがいるという状況を利用して、だんまりを決め込ませてもらった。
「話したくないそうだよ」
「酷いなぁ、俺はそれなりに君へ興味があるんだけど」
それは恐怖でしかないんですけど。
「まあ、また機会があったら話聞かせて」
折原さんはそう言って人の良さそうな笑みを浮かべ、机から降りた後、教室を出て行った。
いきなりの接触だった……。やれやれと息をついて、机の上に置いていたパンの袋をくしゃりと潰す。
すると、新羅さんが気の毒そうな目でこちらを見ていることに気がついた。
「あの様子だと、もう駄目だね」
「……何がですか」
「近々僕のいないときにでも、臨也が話しかけてくると思うよ」
頑張って。
諦めたようにそう言って、新羅さんは一限目の準備を始めてしまった。
…………え。
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