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二、三日鳴海探偵社に不在の後、ようやく戻ってきた葛葉さんは鳴海さんに一言二言何か言うと、私には目もくれずに、ふらふらとあまり覚束ない足止めで奥の部屋に閉じこもってしまった。彼に日本茶を炒れようと思っていた私は茶葉が入っている袋を棚から手にしたところで無駄に終わったのである。
それを見ていた鳴海さんは苦笑混じりに「俺に炒れてくれない?」と優しい言葉をかけてくれたが、鳴海さんの机には先程炒れた珈琲が白い湯気を出しながら呑まれるのを待っているので無言で棚に袋をしまう。ぱたりと棚の扉を閉じた時の音が何だかやけに虚しく感じた。


「なまえちゃん酷いね」
「鳴海さんには珈琲があるじゃないですか。水腹になりますよ」
「それもそうだけど…」
「葛葉さん最近忙しいですね」
「ここんとこ立て込んでるからなぁ…さっき少しの仮眠とったらまたすぐ出るって言ってたし」
「そうなんですか」


その時私達の足元でにゃあ、と聞き慣れた鳴き声が響いた。てっきり葛葉さんと一緒に閉じこもってしまったのだと思っていた私は、帝都一番の賢さを持つであろう黒猫をまじまじと見詰めた。


「ん?ゴウトちゃんそこにいたの?俺てっきりライドウの所にいると思ってたよ」
「珍しいですね」
「もしかしたら遂にゴウトちゃんが俺に懐いてくれたり?よーしおいでゴウトちゃん。俺が抱っこしてあげよう」


わざわざいつも座っている椅子から立ち上がり、ゴウトちゃんを抱き上げようとした鳴海さんにゴウトちゃんは顔面へと猫ぱんちを喰らわせた。その拍子でよろけた鳴海さんは机にぶつかり


──がちゃん


と陶器が砕け割れる音が探偵社内に響き渡った。一斉に皆の顔が珈琲と陶器の破片が混濁している床に向き、和やかだった雰囲気が段々と消えて無くなっていくのを肌で感じ取る。暫く沈黙したのち、一番はじめに声を上げたのは鳴海さんだった。


「あぁ…ああぁー!!」
「鳴海さん、怪我は?珈琲撥ねたりとか…」
「それは大丈夫だけど…そんなことより、これ高かったんだぜ……あーあ…おいおいゴウトちゃん!どうしてくれるんだ!?」


ゴウトちゃんは自業自得だと言わんばかりに鼻を鳴らし、見下したような目つきで鳴海さんを一瞥した。これは喧嘩が勃発しそうである。猫対人間の、何とも滑稽な。見る限りお互い怪我はなさそうなので、とりあえず雑巾を持ってこようと台所に向かおうと踵を返す。その時、キィと音が立ちながら奥の部屋のドアが開いた。


「葛葉さん」
「……どうかされたのですか」


葛葉さんは普段の無表情に近い表情ではなく、珍しく眉間に皺を寄せながら疎ましいと言わんばかりの顔で私を見る。仮眠の途中だったのか、普段被っている帽子は被っていないようだった。彼は順番に鳴海さんやゴウトちゃんを見、それから床に広がる珈琲とカップの破片に視線を漂わせると軽く溜息を吐く。


「またですか」
「あー…起こしちまったか、悪いなライドウ」
「悪いと思うなら初めから騒ぎ立てないで下さい」
「ならゴウトちゃんにちゃんと言ってくれよなぁ…」
「ゴウトにも好き嫌いがあるんです」
「俺今ちょっとグサッてきたよ」
「雑巾取ってきます」
「あ、掃除なら私がやりますよ」
「…自分がやりますから…」「でも葛葉さん、」
「なまえさんは座ってて下さい」


強い口調と共にこちらを振り返った葛葉さんは今まで見てきたどの表情よりも人間らしさが滲み出ており、そしてこの室内にいる誰よりも不機嫌だった。