やべーやべー今日提出の資料を危うく忘れるところだった。犯罪者のプロフィールやら罪状やらが記載されたリストをしっかりと胸に抱いて私は目的の部屋まで早足で進む。偶然通り掛かった上司は私に何か言いたげな視線をくれていたがそのまま無視を決め込むことにして立ち止まることはしなかった。どうせ走るなとかそんな学校の先生みたいなことを言いたかったんだろうが私のスピードは格段走っていると断言出来るようなスピードでもなかった為に注意するべきか迷ったんだろう。お前みたいなハゲの考えていることは私には手に取るように分かっているのである。 確かユーリ裁判官の部屋はこっちだ、と廊下を左に曲がる。 彼とはそれ程仕事上係わり合うことはそんなにないのだが、ある時こうやって書類を届けた際の何気ない会話から時々社内で出会うと立ち止まり話をするくらいには仲が良かった。…彼が私と仲が良いと思っているとは到底思えないが。 あまり人気のない廊下にぽつりと一つだけある扉は、喧騒が苦手で静寂を好む彼にはぴったりだと心の中でひっそり思った。そのまま扉の前に立ち、ノックをしようとした瞬間扉越しから聞こえた彼の声に一瞬躊躇う。…誰かと話しているようだ。あれ、今来客の時間だったっけ?…いや、ユーリ裁判官は基本的に職務室には人を入れない筈だ。知り合いか誰かでも来ているのか、だったら一度部署に戻って時間を置いてもう一度来た方がいいだろうか。そう考えていると突然ダン!とデスクか何かを叩くような音の後にガチャン、と何かが割れる音が静かな廊下に鈍く響いた。 何があったんだと考える暇さえなく私は彼の部屋の扉を開く。鍵はかかっておらず、好都合だった。 「ユーリ裁判官大丈夫ですか?」 「……っ……なまえさん…?」 扉を開けてすぐに目に入り込んできたのは床にじんわりと滲んだ紅茶と無惨に砕け落ちた高級そうなカップだった。ユーリ裁判官は肩で息をしていて、顔色はいつも以上に悪い気がする。資料を適当にデスクに置いて彼と向き合った。一体何があったかは別として、とても体調が悪いようだ。 「え、えーと、ノックもなしにすいません。大丈夫ですか?とりあえずソファーに横になって下さい」 「いえ、大丈夫です…いつものことですから」 「でも顔色悪いですよ」 「…いつものことですから」 「いや、いつも以上に悪いですよ…」 「……」 無言で黙り込むユーリ裁判官に肩を貸しながらそんなに離れていないソファーに向かい、彼に横たわってもらう。あ、紅茶とカップ片付けないとな…何か拭くタオルはないかと辺りを見回す私にユーリ裁判官は「そのままでいいですよ」と私の顔を見て言った。 「片付けますよ。このままだとお仕事出来ませんしね」 「……すみません。掃除用具ならそこの廊下の突き当たりのロッカーにあります」 「了解です」 彼の言った通りに廊下を進み雑巾やカップを片付ける為のちり取りをとって来ると、ユーリ裁判官は額に腕を押し当てながら私を見つめていた。目が合うと薄く口元が緩んだ。そんな顔も出来るのか。 「本当すみません…本来私がやるべきことなんですが」 「私が好きでやってるんで。ユーリ裁判官は休んでて下さい。ほら、連日の勤務でお疲れでしょう?」 「ええ、まあ…」 「…あ、そうだ。さっき犯罪者リストの資料そこに置いておきましたから」 「ああ、ありがとうございます。後で確認しておきます」 紅茶を含んだ雑巾は少し甘くていい匂いがした。そういえば最近紅茶なんて全然飲んでないな……そもそも家にあったっけ。インスタントのグリーンティーならごっそりあるんだけど。 そう考えながら箒を手に取り砕けたカップを片付ける。後で掃除機でもかけた方がいいかもしれない。 「ユーリ裁判官っていっつも紅茶飲むんですね。グリーンティーとかは飲まないんですか?」 「…飲む機会がないといいますか…」 「じゃあ今度持ってくるんで昼休憩の時一緒に飲みません?家にいっぱいあって消化出来ないんですよ」 「じゃあ私は菓子でも持っていきます」 「そんな気とか使わなくてもいいですよ。頭とか冷やさなくても大丈夫ですか?体調とか…」 |