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ぎしぎしと骨の軋む音がなまえの霞む意識の中に鈍く響いた。口は無意識にぱくぱくと酸素を求めていて、これでは水中から離れてしまった魚のようだとなまえは今はもうほとんど働かなくなった思考回路の中でそう思った。
先程までじたばたと動かしていた両腕は既に動かす力さえなく、ただただだらりとぶら下がっており、何の役にも立っていない。彼女の口からは飲み込むことが出来なくなった唾液が顎を伝い、自身の服を湿らせていく。
靄のかかった視界で見える帝都の守護者は相変わらず無表情に、いつの間にか口を動かすことをやめたなまえの顔をじっと観察していた。無表情であれどその鼠色に濁った瞳は爛々と輝いており、それは些か人とは違う何かを漂わせている。彼の細い手は何分も前からなまえの首を握り締めて離しはしない。探偵社の中はなまえの骨が悲鳴を上げる他に何も聞こえず、しんと静まり返っていた。

「なまえさん、そろそろ死んでしまいますか」

低い声が探偵社に一つ響く。その問い掛けになまえは何も反応せず、彼は怪訝そうに見遣ると今まで離さなかったその手を静かに離した。その顔は不満足そうではあるが、急に首の圧迫から開放された途端、倒れこみながら大きく咳き込むなまえの姿を見ると少しばかり微笑を浮かべる。彼は唾液を垂らしながら苦しそうに首を押さえるなまえの傍にしゃがみ込み、優しい手つきでなまえの背中を擦りながら話し始めた。

「なまえさん、自分が…この十四代目葛葉ライドウが、帝都に住む貴女を殺してしまうと思いましたか?」
「…げほっ…けほ…う、っぅ…」
「自分は帝都に住む人間全てを守らなければならない。それなのに貴女を自らの手で殺してしまっては元も子もないでしょう」
「う…げほ…  ライ、ドウ…さ…」
「何ですか?」
「こん、な…こと……たのしいん…です、か」

赤く痕のついた首元に手を当てながら後ろにいるライドウと呼んだ青年の顔を憎しみの篭った目で見つめたなまえだったが、不思議そうな顔で自身を見つめ返すライドウにこれまで以上の恐怖心を抱いた。
ライドウは暫くなまえの顔を見ていたが、へらりと歪んだ笑みを浮かべると共に体を震わせ笑い出す。その端正な顔に不釣り合いな不気味な笑い声は彼への憎しみで溢れていた彼女の心を瞬時に凍らせた。
嫌な汗が項を通るのを感じた瞬間、突如両肩を掴まれ無理矢理体を反転させられたかと思うとそこには物静かで美丈夫だと評判な彼の面影は無いに等しい、人の形を模した悪魔だと思わせるような笑みを浮かべた男がなまえを殺気と狂気で彼女を囲んでいた。

「人を殺してみたいという願望は人知れず誰もが一度抱くものでしょう。殺してみたいと。この世界から生きているものを息絶えさせてみたいと。なまえさんは思ったことがないのですか?自分はなまえさんで試しているだけなのですよ。人殺しというものがどんなものであるのか。殺してしまえば自分は葛葉ライドウとしての名前を奪われてしまうので、あくまで擬似的に、ですが。そもそも自分が守らなければ消えてしまっていたかもしれないこの命。言うなればなまえさんの命は自分のものです。
生かすも殺すも自由。試してみて何が悪いというのです」
「……、くるってる」
「…………ねえ、なまえさん。呼吸も大分落ち着いたようですし、」
「!」

さっきの続きはどうですか。
両肩を掴んでいた両手が、ゆっくりと、なまえの首に近づく。彼が次に何をやろうとしているのかを理解したなまえは慌てて力の篭らない両手で胸板を押し返し抵抗しようとするが、日々悪魔を退治している彼にとっては何の効果もなく、ライドウの両手はなまえの首に巻きついた。彼の目は、前よりも強く輝いている。まるで玩具を見つけた童子の瞳のような、純粋な輝きで。

「自分は、なまえさんをお慕いしておりますから。どうかこの愛、受け取って下さいね」

再びやってきた苦しみと共に耳元で囁かれた言葉に、なまえは一粒の涙をぽろりと落とした。


ある日のひみつごと



尊敬してやまないCさんへ