etc | ナノ
時刻は午前一時三十分──……をまわる十五分前。つまり、一時十五分である。ようやく行動開始の時がきた、と私はソファーから素早く起き上がり、ハンガーにかけていた上着を適当に羽織る。電気は元より消していた為、窓から差し込む月明かりに頼りながらの行動だった。目は既に暗闇に慣れていて、何処に何があるのかは大体分かっていたので、特に苦戦することなく行うことができた。

何故電気を消していたかというと、「一時前には既に、みょうじなまえは就寝していた」というアリバイ工作だ。夜時間に出歩くと、色々面倒臭いのだ。此処、ジャバウォック島は広くて閉鎖的ではないので忘れそうになるが、男と女(と得体の知れないウサギ)が共同で生活を送っている。というか、送ることを強いられている。高校生といえば多感なお年頃であるし、それを意識しているにしろいないにしろ、共に生活している者の中に、一部「性」に関して人一倍敏感な人間がいた。ちょうど一週間前、とうとうそいつが「虐めないなら何でもやります」という気弱な女の子に夜這いをけしかけた為、素材収集を一度やめにして話し合いを行うことになる事態にまで発展してしまったのだ。数時間の話し合いの結果──左右田のありえもしない幻想を論破したり、反論やら何やらでなかなか白熱した──夜十時以降から日の出までの時間を「夜時間」と称し、その夜時間の間は、異性同士での外出は禁止されることとなったのだった。勿論、コテージの鍵の施錠は絶対だ。規則を破れば、該当者で一日ホテル内の掃除をしなければならないのと、夜は正座でウサミのお説教を聞かなければならない。ウサミの説教はどうせ迫力もクソもないだろうが、問題は掃除だ。日頃収集にばかり駆けずり回っている私は、掃除の効率がよろしくなかった。

なので、こうして「私は大人しく寝てましたよ」と幼稚園児でも出来るアリバイ工作を行うに至ったのである。窓はカーテンで締め切っているものの、念には念を入れて布団カバーの中にクッションを数個敷き詰めておいた。見た感じ、誰かが布団の中で丸まって寝ているように見える。完璧だ。これで後は外出するだけだ。

掃除をしたくないのなら出歩くなという話だが、今日はそうもいかない。やむを得ない事情というやつである。

極力音を立てないようにドアノブを捻り、コテージから足を踏み出す。ざっとコテージを見回せば、全てのコテージに明かりは灯っていなかった。誰もかもがすやすや夢の中なのだろう。最近素材集めばかりしていて疲労が溜まっていた様子だったから無理はない。明日…いや、時刻的には今日か。今日は久しぶりの休日だ。そのまま朝までゆっくり寝てなよ、と心の中で呟きながらそろそろと移動する。


向かう先は砂浜だ。

多分、もう待っているだろう。彼が、見た目に反して素は真面目な人間なのはこの数週間で分かっていた。


雲一つなく、星が瞬く夜空を見上げて足を進める。コテージからそう遠くない砂浜に辿り着くと、そこには一つの足跡が続いていた。その足跡の先には、こちらに背を向けて座る姿がある。髪型が独特である為、シルエットも独特なものへとなっていた。約束の時刻よりもだいぶ前からいたのだろうか。


押しては返す波の音が、静かに私の鼓膜を擽る。


下手をすればホテル内掃除と、くだらないお説教が未来に待ち受けているかもしれないのに、こうしてコテージを抜け出す私は阿呆だが、真夜中に待ち合わせの約束を取り付けた田中眼蛇夢こそ、一番の阿呆だろう。
足音に気付いたのか、田中はこちらを振り返るとニヤリと悪人のような面をつくった。


「クク、待ち侘びたぞ。星も煌めく今宵は、さぞ貴様の血をたぎらせるのだろうな?邪悪なる星遣いよ」


いつもと変わらない天気だと思うけど、と言いたくなるが下らない諍いで時間を潰すのは御免被るので、一言肯定し、少し間をあけて隣に座る。破壊神暗黒四天王が体育座りをする田中の膝の上やら足やらで小さく鳴きながらちょこまかと動き回っていた。目についた子の目の前へ静かに手を差し伸ばせば、私に気付いたゴールデンハムスターが手の平に移動してくる。親指でそっと頭を撫でれば、もっともっとと言うように頭を指に押し付けてきた。かわいい。


「早速“侵略する黒龍”チャンPに目を付けるとは…貴様、なかなかの手だれと見たぞ。いいだろう、この一時だけ…貴様に、四天王が一角、チャンPの力を貸してやってもいい…」
「いいの?」
「だが気を付けるがいい。慢心し過ぎるとこいつらはすぐに牙を向く」
「あー……うん。気を付ける」


多分、動物だからとテキトーな扱いをすれば痛い目をみると言いたいに違いない。遠回し過ぎる言葉に少々頭痛を感じながら、チャンPと呼ばれたゴールデンハムスターの腹を撫でる。


「で…星が知りたいんだっけ?突然だね。神様が星に暗号を宛てて寄越しでもした?」


軽く、冗談のつもりで言っただけだった。それなのに田中はニヒルな笑みを引っ込ませ、酷く驚いた顔をつくる。


「…ッ!き、貴様、何故それを知って…まさか、みょうじなまえよ…貴様は聖域に存在する伝説の騎士団の一員だったのか!?」
「いや…単なる星好きな一般市民だから、田中の警戒するようなモノではないよ…伝説の騎士団は白髪金目だって聞いたことがある…確か」
「………フ、そうだったな。どうやら俺様は疑心暗鬼という魔物に取り憑かれていたようだ…。貴様の言う通り、神の審判が下る時が来た。だが神は畏れたのだ。制圧せし氷の覇王たる俺様がその審判を邪魔するのではないかとな。そして神は考えた。星を使い、この腐敗した人間界で動き回る神の使いにその審判の内容を伝え──」
「ああ、分かった分かった。要するに、力無き人間の言葉に訳すと私が星に詳しいから、教えてくれってこと……」
「そうとも言う。見込んだ通りだ。理解が早い貴様は、もしかすると俺様と同じ力が眠っているかもしれん!」


んなわけないだろう。
田中の真剣な表情に、無粋なツッコミは飲み込むことにした。

それにしても、意外だ。動物にしか興味がなく、常に自分の世界に閉じこもりきりな田中が星に興味を持つなんて。まあ昔に生きた人々が名付けて半ば無理矢理つくっていった星座にはそれぞれ昔ながらの逸話だの神話だのがあるし、たまたまそれを偶然知って、新たな中二知識を取り入れようとでも考えているのかもしれない。田中とは素材集めの場所が一緒になることが数回あったものの、事務的な話しかしたことがない。なので希望のカケラの個数は未だゼロと、絶望的な数字だった。田中がこんな非常識な時間帯に私を呼んだことに対し、二つ返事で承諾したのはこの理由が最大の理由でもある。もし仮にこの場をウサミに発見されたとしても、この現状を武器にして戦う算段は立てていた。


チャンPが手の平から腕へゆっくり移動しているのを視界に収め、どう説明しようかと考える。田中は色の異なる瞳で私の顔を見つめていた。私を見るより星を見ろ。


「えーと……とりあえず、ずっと首上げて見てるより寝ながら見た方が見やすいから…ちょっと移動しよう」

このまま寝転ぶと髪や服に砂が付く。それは避けたい。深夜にシャワーを浴びれば、あの無意味なアリバイをつくった意味がなくなってしまう。

田中は私の提案を鼻で笑い、その魔改造された学ランの懐に手を突っ込んで何かを取り出した。星明かりに照らされている為に目を凝らさずとも見えるそれは、多分、レジャーシートだ。

「流星に紛れし闇市に流通していた代物だ。無論、手に入れる際に雑種共に気付かれるようなヘマなどしていない…」

多分ロケットパンチマーケットで探してきたのだろう。砂浜を指定したのは田中だったし、こうなる事態を想定していたに違いない。準備の良さに呆気に取られていると、田中はシートを広げるとその場に寝転んだ。シートはわりと大きさがある。これなら体は汚れずに済む。いつの間にか肩に乗っていたチャンPを手の平に乗せてから同じく横になった。チャンPは手の平から私の腹へと軽くジャンプを決めて、腹の上で丸くなってしまった。

「チャンPは貴様が気に入ったようだ。喜べ、星遣い!これは名誉なことなのだ!」
「…ああ、うん」


まあ、可愛い動物に好かれて嫌な気はしないし。ハムスターはデリケートな生き物で、あんまり構い倒すとストレスが溜まる…とかなんとか、聞いたような気がする。このままで暫く放っておこう。

「……じゃあ田中、早速だけど今日は夏に見える星座で基本的なものを押さえよう。夏の星座で代表的なものは三つあるんだけど…分かる?」
「クク……その問いに答える義務など無い…」

知らないなら知らないって言えばいいのに。

「…こと座、わし座、はくちょう座ね。で、その各星座の中で一番輝きの強い星…ベガ、アルタイル、デネブを繋ぎ合わせたものが“夏の大三角形”って呼ばれてる」
「光の女神も西へと沈む頃、灼熱の常夜に浮かされ現れるは朱炎により三つ通りに引き裂かれし魂がそれか……昔、未だ覇王としての座に就いていなかった頃の話だが…耳にした記憶がある」
「メジャーだからね。…それで、ほら、田中。あそこに…真上の方に一番光ってる星、見えない?」

頭上に見える星を指差すと、田中は「…フン。俺に見えぬものなど何もない。星どもめ、俺様から逃れられるとでも思ったか──?」などと言って得意げに鼻を鳴らした。会話のキャッチボールが出来てるんだか出来てないんだか。良い人なのは普段の生活から見てて分かるんだけど…。

「あれはこと座α星、名前はベガ。α星っていうのは、その星座の中で一番明るい星のことね。この星は七夕で有名な織姫様なんだ。で、七夕には織姫の恋人である彦星様──わし座がいないとはじまらない」
「女に現を抜かしたが故に怠惰を喰らい、罰を受けた愚者のことか」
「……うん…そう。あってる。イチャイチャしまくった所為で織姫様と彦星様は離ればなれになっちゃったから…織姫様から向かって東の方に彦星様はいる。分かる?」
「俺様の眼力(インサイト)は全てを見透かすッ!みょうじよ、続けろ。貴様の力で勝利の女神がこちら側に振り向く刻も近い──…」
「………で、その二つの星と繋がっているのははくちょう座。あの二つ以外に強く光ってるの、見える?あそこなんだけど…」
「見える、見えるぞ…あれこそ…ゼウスが身を変えた姿…!」
「あれ、知ってるの?」
「ハッ!みょうじ!俺様を誰と心得る?俺は世界を征する破壊者だぞ」


確かに、神話は中二心を擽るものが多い。まあ、ゼウスの出てくるギリシャ神話はどこの昼ドラだよってツッコミたいものが多いけど。


「その三つを繋げると“夏の大三角形”になる」
「これが──神が記した暗号……面白い…ククク…!」

「フハハハハ!」と寝ながら高笑いする破壊者に「皆起きる」と一言告げれば、高笑いはぴたりと止まった。

「…………」

「…………」


暫く、沈黙が続く。
ちらりと田中を横目で見ると、包帯の巻かれた指で優しくハムスターを撫でながら星を眺めていた。その表情は中二的発言をする時よりだいぶ気迫がなく、毒気が抜けている。年相応と言うべきか。その背格好や服装、言動であやふやになってしまっていたが、彼だって私や皆と同じ高校生の一人なのだ。そりゃあ静かに星を眺めたくなる時だってある。


「田中」
「…何だ」
「誘ってくれてありがとう。ここに来てから素材集めとか皆と交流しなきゃとかでそんなじっくり星見れなかったからさ。久しぶりにこういう時間とれた気がするよ」
「……れ、礼を言われるほどのことではない。俺が貴様の力を利用しようと誘い出しただけなのだからな…!」


口元をストールで覆い隠してもごもごと話す田中は、多分照れているのだろう。照れるようなことを言った覚えなどないのだが。


「……極楽浄土の如く、美しい景色だ」
「ね。ここまで鮮明に見えることって都会に住んでたら絶対ないし、ここに来て良かったのはそこかな。こんなに綺麗な星空はそうそう見れないよ」
「…儚げに輝く姿は…この現世に存在する生きとし生きるものを連想させるな。面白い。………みょうじよ、今日はこのくらいで勘弁してやる」
「え、まだ夏の大三角形見付けただけなのに?」
「そうだ」


折角だから、ベガ、アルタイル、デネブについての話もしようと思っていたのに。

私の言葉に田中は険しい顔で肯定し、私の腹の上で丸まっていたチャンPを呼び寄せると私に起き上がるよう促す。本当にお開きにするつもりらしい。
不完全燃焼ながら渋々起き上がりレジャーシートを畳む田中を見ていれば、彼は一度自分を見つめる私を見返すと直ぐさま背を向けた。見過ぎたかなと反省する私を余所に、田中はぼそりと二言三言呟く。

あまりの小さな声に聞き取れなかった。


「…何か言った?」
「…………今宵と同じ刻だ」
「……?」
「明日も、此処で待っている。何故神がその星々を暗号に使ったのか、俺様には知る由もない…。みょうじ、貴様は俺様に知識という名の力を貸す義務がある!故に、俺に星の逸話を語るのだ…拒否などすれば…この世は瞬く間に永久凍土の世界へと変わり果ててしまうだろう…」
「えーっと……つまり明日は星の詳しい話をしろってことでいいんだよね?」
「この世界を救いたいというのなら──貴様は、またここに来なくてはならない」
「うん、分かった。じゃあ何話すか色々考えとく」
「理解したのなら話は早い。さあ、己の巣窟へ戻るのだ。これ以上覚醒していれば、力無き人間にとっては害になる!」
「ああ……じゃあおやすみ」
「…!…待て、星遣い。この時間は悪魔が蔓延る。この俺様自らが貴様を見送ってやるとしよう。あの失楽園へとな」
「…ありがとう」


………どうやら田中は私の体の心配をしてくれているらしい。なんて遠回しな心配なんだ。中二語に包まれ過ぎて見えなくなってしまった田中なりの不器用過ぎる優しさに笑いが込み上げてきたが、ここで笑うわけにはいかない。
夏の大三角形だけ見付けてこれで終わり、ではあまりにも味気が無さ過ぎるし、何より私が受け取った「超高校級」の称号が泣いてしまう。星があったお陰で私は希望ヶ峰学園への入学する権利を得たのだから、少しくらい星の知識をひけらかしてもいいだろう。田中も知りたいと言ってくれているのだし。
田中に再び誘いを受けることに、全くといって抵抗はなかった。若干話が通じないように思えたが、田中はちゃんと人の会話を聞いている。



砂浜からコテージまでの道のりはすぐだった。

私のコテージまで来ると、田中は「安らかに眠れ、人間よ──」と囁き帰ろうとした。それを引き止め、怪訝な顔でこちらを振り返る彼を前に口を開く。


「明日は、ベガの話をしよう。こと座に関わる神話も。きっと田中も気に入る」
「…! 精々俺様を楽しませよ、星遣──いッ?!」


ニヒルな笑みを浮かべた田中の頭に、きらりと輝く何かが当たり、その場に落ちた。それと同じく、私の後頭部にも石ころのような硬い何かが当たる。まるで流れ星でも落ちてきたかのようだ。……というか、実際マジで空から降ってきた。
しゃがみ込んで「それ」を拾った田中が目を見開く。


「……あ、これ…」
「……幾千もの人々が築き上げし希望の集大成…『希望のカケラ』…まさか、空から堕ちてくるとはこの俺様も予想だにしない展開(シナリオ)……!…だが、色がいつもと異なるな…星が砕け散りでもしたか?」


彼の言う通り、形状はどう見ても希望のカケラであることは分かる。だが、通常の水色と透明の狭間にある色合いではなく、金色に近いものへと変化していた。なんだか本当に星の欠片みたいだ。
いつもならふっとその場に現れたり、当人と交流後に戻ったコテージの机に置いてあったりするんだけど。こんな出現パターンと色が変化しているのは初めてだ。



「!…星の精が俺達が手を組んだことを祝福しているのかもしれぬぞ、みょうじ!」
「……!」

田中は空を見ながら弾むような声でそう囁く。私もつられて視線を空に向けた。普通、空から降ってくるなら頭に当たって痛いというレベルでは済まないと思うのだが。まず田中の頭が吹き飛ぶしこの砂浜一帯吹っ飛ぶくらいの被害はあるだろう。


「この希望のカケラは、俺様と貴様が組んだからこそ生まれ堕ちたのだ。貴様もそうは思わないか、みょうじ」


現実的なことを考える私を前に、田中は興奮した顔でそう言いながら私の掌へ一つ希望のカケラを落とす。

………祝福か。


「…そういうキザで非現実的なことサラっと言っても許されるのってこのメンバーじゃ田中くらいしか居ないね」
「…俺様は特別だからだ。特別故に、貴様ら人間では出来ないことが出来る…クク…」


意味を分かっていない田中は喉の奥で押し殺すように笑った。

それを尻目に、もう一度空を見上げる。


──そこにはどこまでも続いている星があった。私と田中が生まれるずっとずっと前から存在していた星達は、その命が燃え尽きる瞬間さえ一言も喋らずに無言で消え去っていくのだ。私がどんなに好きで追いかけていても、星は何も応えてはくれない。ただただ散っていく。それだけだと、そういう一方的なものだと理解していた。


祝福してくれているなんて発想、頭の固くなってしまった私には到底思い浮かぶことさえ出来ない。


「そういうの、とても素敵だ。私は好きだよ」
「…なッ?!」


不敵な笑いはいずこに、一転して顔を赤らめうろたえだす覇王を、今度は私が笑う。


明日も、明後日も、先私と田中の仲が深まることを祝福してくれることを星に願おう。この呑気なサバイバル生活が終わったその先も。



そんなことを考えていた時、私と田中の頭上で本物の流れ星が一つ流れていったことを、私は知らない。



ああ、今日も星が綺麗だ。


明けない夜のふたりぼっち

企画「レグルスの王冠をあなたに」様 提出