etc | ナノ
昼休みに入る頃には、とっくに弁当は腹の中へと入ってしまっていた。日当たりの良い窓際の席は睡眠を誘うにはもってこいの席で、俺は腕を枕にうとうととまどろみかけている最中である。今日は絶好の昼寝日和であり、野球日和で気分がいい。空はからりと快晴で、余計な風もなく。ぽかぽかと暖かな陽気が辺り一面に広がっていい気分だ。


「今日天気いいから昼寝に丁度いいよね」
「……そう思うなら邪魔するなよ」
「じゃあシカトすればいいのに」

シカトしたら揺さ振って起こしてくんだろ。
折角の昼寝を邪魔されて嬉しがる奴などこの学校にはいまい。前の席に座っているみょうじは椅子を俺の方に向けてよっこらしょ、と年寄りみたいに腰掛けた。舌打ちだけするがみょうじは気にしていないのかサンドイッチを包んでいるラップを丁寧に開き始める。もしかしなくてもこいつ俺の席で食うつもりか。折角の寝る時間がと思っていたが、サンドイッチの、あの美味そうな匂いが鼻孔を刺激した。みょうじが持っているサンドイッチを少し除くと、残りは五つ、ボックスに入っていた。実に美味そうである。じっと見つめるとみょうじは口を動かしながら俺を見、ごくりと口の中の物を飲み込むと「…なに」と一言こぼした。

「……何でもねー」
「食べたいならあげてもいいけど」
「…いいのか」
「いいよいいよ。っていうか始めから言えばいいのに」
「お前ケチじゃん。そういや友達は?」
「今日休みなんだよね。で、誰がケチだって?」
「みょうじ」
「死ね花井」
「お前が死ね」

行儀が悪いなと思いながら互いにサンドイッチで口をもごもごと塞ぎつつも話していると教室にがやがやとうるさくしながら入ってきた集団にわりかし静かだった教室にいたクラスの奴らは皆それに注目する。ケバい化粧が目立つ女子がいっぱいいて、心なしか少し萎えた。何故学校にまで化粧をしてくるのか、そんなになってまで振り向かせたい男でもいるんだろうか。気持ち悪ィったらありゃしねえ。目の前の席に座っているみょうじはそんなもんには目もくれずサンドイッチをひたすら頬張っていて関心すら示さない。何があった。余りにも態度に出過ぎな無関心ぶりが心に突っ掛かり、その集団を横目で見る。その中に一人顔見知り、というか、友人がいて思わず顔をしかめてしまう。だがこんな窓際に座ってる俺の顔の表情なんて誰も気付く筈がなく。此処から少し離れたケバい女の集団の中に一人混ざっているのは我が野球部のレフトを守っている水谷だった。笑った顔は無性に殴りたくなる奴である。ムカつく奴とでも言っておこう。(実際に泉にウザイって言われてたし。)(俺もウザイと思っている。良い奴だとも思うけど。)

「なぁ」
「なに。サンドイッチまだ欲しいなら別にいいよ。部活で動くもんね。野球部だし」

俺が話そうとする話題の内容に薄々気付いたのかみょうじは俺に目もくれず言葉を返す。話す気は殊更無いようだった。それでも俺は彼女がタブー視してるだろう話題を無理矢理引っ張り出した。性格が悪いのなんて元々重々承知の上だ。

「水谷」
「………」
「水谷。お前ら付き合ってるんじゃねーの?」
「………」
「まぁ答えたくなかったら別にいーけど」
「…んなもん私が聞きたい」

みょうじと関係上は恋人であろう水谷は複数の女子と購買に行って来たのかわいわいと喧しく騒ぎ立てながら教室に入り、口の止まることの知らない女子と話しながら飯を食っていた。水谷のくせにうざいこと極まりない。いや、水谷だからこそうざいのか。ケバい女のその中では比較的化粧の薄い(他のクラスの奴だ)女と仲良く話している。

「浮気?」
「部活ない日とか女の子と遊びに行ってるの友達が見たって言ってた」
「…お前水谷とメールとかしてる?」
「送っても返ってこないから送ってない」
「あー……何つーか…悪い」
「えっ、花井が謝ることじゃないよ」

歯切れ悪く謝るとみょうじはぶんぶんと手を振る。まさかこんなにもほぼ自然消滅寸前な交際が続いていたとは誰が思おうか。両者共々沈黙し、サンドイッチを食べる作業に移り出す。こんな空気になると分かっていてみょうじはこの話をしたくなかったんだろう。申し訳ない気持ちが出てきたところでみょうじが口を開いた。

「私が悪いんだと思う」
「思い当たる点あんの?」
「そういうんじゃないけど、何て言うかさ…他の女の子に目移りしちゃうくらい私は駄目な女だったんじゃないかと」

俺が思うに水谷が女見る目ねーだけじゃねーの、そう言いそうになって言葉を紡ぐ。

「みょうじはこれからどうすんの」
「なにが?」
「どうしてーの?これ以上あいつと付き合っててもどうにもなんねーだろ」
「さぁ」
「さぁって。自分達のことだろ」
「私達のことだから花井には関係ないことにもなるよね、それ」
「………」
「まあ…両方もうそういう気とかないからさ。このまま自然消滅するんじゃないかな。まぁもうほとんどそんな感じだけど。別れるならあっちから言ってくるでしょ、多分」


ああ見えても結構やる時になったらやる奴なんだよ。
今更になって惚気を言うみょうじは少し可哀相な奴だと心の隅で思った。そして水谷も。そんな男好きそうな女子と、何でそんなに一緒にいたがるのだろう。水谷の考え方が全くわからない。
それが、人間ってやつなのか。
無言が続いて、みょうじのサンドイッチを取り出す音がやけに耳に入る。向こう側は人の声でうるさい。

「…寝る」
「あ、そう。おやすみ」

机に突っ伏して目を閉じると水谷の声が鮮明に耳を通って苛々した。俺は何でこんなに苛々してんだ。友人が堂々と浮気をしてるからだとか、そんな、人として信じ難い行為をするのが許せないんだろうか。いや、違う。そういうんじゃない、もっと、こう、



ずずっ…と鼻の啜る音が微かに聞こえる。顔は上げずに、耳をそばだてた。別に顔なんて上げなくとも、彼女が、みょうじなまえが泣いているということ位すぐに分かった。きっとみょうじは今だけじゃなくて、今までずっと、泣いていた。

俺が水谷に苛々した理由はきっと、みょうじが陰で泣いているのに、肝心な水谷は気付かないからだ。それに気付いたのはチャイムが鳴って夢うつつのまま顔を上げた時だった。

(俺から見た彼女の背中は確かに悲しみで溢れ返っていたのに、水谷はそんなことにも気付かない。)


言葉で尽せぬ想いは沈黙に変わる

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