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ノボリさんはとても出来た大人だった。仕事に一切手は抜かず、真面目にしっかりとこなすし、部下からの信頼はとても厚い。人への配慮も怠らない。徳のある人をそのまま具現化したような人間だといっても、ノボリさんを知る人はあながち間違いではないと口を揃えて言うかもしれない。ノボリさんは、そんな人だ。
だからだ。だからこそ、彼が私と付き合っている理由がよく分からなかった。


「なまえ、どうかしましたか」

上から降ってきた声にいつの間にか下を向いていた顔を上げると、そこにはいつもの仏頂面を貫いているノボリさんの顔があった。
そうだ、ギアステーションに向かう途中だった。

新しい年を迎えてもバトルサブウェイは平常通り運行を行うということは何年も前から分かっているので今更になって特別不平不満もない。何もないですよという意味を込めて首を振り、真っ白に染まっている地面に足を踏み入れる。ノボリさんは私の歩くスピードに合わせてくれているのか、雪道なのも手伝って少し歩きづらそうであった。足取りがいつもより覚束ないのが何よりの証拠だ。また自分は彼に迷惑をかけているのか、と重い溜息の代わりに白い息を軽く吐き出しながらそう思った。私の全てが彼の負担になっているのだ。


スポーツ観戦や遊園地、ミュージカルと楽しんで過ごすにはもってこいの場所であるライモンシティは大きな賑わいを見せていた。
ノボリさんは早朝から弾ける体力がある一般客を見詰め、「今日は挑戦者が来ますでしょうか」と一言漏らす。毎年この時期に思うが、新年早々、しかも朝っぱらから挑戦者なんて来ないのに何故普段と変わらない運行なのだろうか。「どうでしょうね」と小さな返事を返して人混みの中を掻き分けていきながら歩く。ノボリさんも私の横を無理矢理歩幅を合わせながらついて来る。こんなにいる人の中でもノボリさんはとても目立っていたので何人かに声を掛けられてたのだが、仕事に遅れたくはないのか適当にかわすと私の方を向いた。

「なまえ、貴方手は冷たくないのですか?」
「…大丈夫です」
「手袋も何もしてないのに大丈夫な訳ないでしょう」

喧騒から少し歩き、離れた所でノボリさんは立ち止まった。手袋なんて去年から一度もつけていないのに、今更になって何を言うのだろう。「お寒いでしょうに」と近付いてくる手に、頭より体が先に動いた。すっぽりと手をコートのポケットに入れて「大丈夫ですから」と繰り返し、彼の顔を見る。彼は、少しがっかりしたような、困ったような、悲しそうな、それら全てが混ざりきった表情を浮かべながら私を見下ろしていた。それを見て罪悪感がどろどろと駆け巡る。嫌な感じだ。寒さの所為で若干赤くなった手首に付いた腕時計を確認すると、そろそろギアステーションに着いていなければ遅刻してしまうかもしれない時刻を示していた。

「…急ぎましょう」

そう小さく漏らし、踵を返して歩き出すと、やや間があってノボリさんが歩き出した音が聞こえる。彼の出す足音は私を責め立てるかのようにざくざくと鼓膜を震わせた。彼が私の隣に来る気配はなく、逆にそれは私を安心させる。ほっと軽く溜息をついても、きっと彼には分からないだろうから。


ギアステーションの裏口にある自動ドアは無音に近い音を立てながら私を迎え入れ、閉まる直前に入ってきたノボリさんも迎え入れた。此処からは、私は清掃員や駅員が使用する専用ロッカーへ、ノボリさんはサブウェイマスターが使用する専用室へ向かわなければならない。事実ノボリさんとは此処でお別れなのだ。軽くお辞儀をしてロッカー室へ向かおうと足を踏み出す。

「なまえ」
「…何ですか」
「………今年も、お勤め頑張りましょうね。それでは、お気を付けて行ってらっしゃい。では後ほど」

私を見るノボリさんは、少し微笑んでいた気がした。ほんの少し、口角が緩んでいるような、そんな、気がする。その顔を見て、私はノボリさんと付き合っている理由が益々不透明に、分からなくなってしまう。訳も分からずに泣き出したい衝動に駆られながら、私はぎゅっと霜焼けになりかけの手を握り締める。


感覚の感じなくなったそれは、いつかの消えた私に違いなかった。

ふと指を見ればぽっかりとあなたがいなかった