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さく、さく、さく

足を地面に一歩踏みしめると共に聞こえる雪の音は、週末以外は喧騒とは無縁なこのカナワタウンに、静かに響き渡った。年末な所為もあるのか今日はやけに一段と静まり返っている。電車に優しさと安らぎを込めた笛を吹く少女も、今日ばかりは姿が見えない。皆帰るべき居場所があるのだ。そして、私にも。肩にかけている鞄を一度かけ直し、少し離れた駅まで歩を進めた。今日は、とてもさむい。



帰省ラッシュはとうに過ぎたのか駅には人っ子一人見当たらなかった。淋しさを感じながら、冬独特の澄んだ酸素を大きく吸い込み、そのまま二酸化炭素に置き換える。白い息が口から出てきてすぐに消えていった。寒い。電車はまだ来ない。腕時計を見遣ると、到着予定時刻まであと5分は余裕があった。あと5分もこの寒さの中で立ってなければならないなんて辛いにも程がある。まだ10分じゃなかっただけマシなんだろうけど。
首に巻いたマフラーに顔を縮こまらせて腕を組んでいると、駅員専用舎として設置されている小さな建物の扉が開いた。年末まで仕事なんて駅員さんも大変だろうと思う反面、たった一人で列車を待つ私の所為で暖かくなっているであろう専用舎から出てこなくてはならなくなったという事実にどうしようもなくなる。申し訳ない気持ちになりながら、近付いてくる駅員さんを見ると、いつもの親しい駅員さんではなかった。イッシュ地方の地下鉄の中心となるギアステーションで何度か見かけたことがあり、実際一度だけお世話になったことがある人だ。多分普通の駅員とは格好が違うから地位が上の人間なのだろうと初めて見た時にそう思った。私の顔を見て、その仏頂面は「おや、貴女様は…」と淡々と声を発する。


「こんにちは。この前は本当にお世話になりました」
「こんにちは。あれからポケモンの管理はきちんとなされていらっしゃいますか?」
「はい。何とか…」


苦笑混じりで頷きながら脳裏に蘇るのは出会った時のことだ。以前ライモンシティに行く際にギアステーションに向かった所、突然肩でじっとしていたバチュルがひょいと地面に降り立ち恐ろしい速さで何処かに向かってしまったことから始まった。半泣きになりながら車掌室を訪ねて、目の前にいるこの人に事情を説明し、一緒に手分けして探してもらったのだ。(ちなみにバチュルは一体何処へ行ったかというと、この人にそっくりな人が連れていたデンチュラにぴっとりとくっついていた。仲間の気配を感じて起こした行動なんだろうが、私にはとっても心臓に悪い出来事だったのでそれ以来ギアステーションに行く時にはボールに入れるようにしている。)

冬になってからというもの外出する度、ボールに篭りきりになってしまうようになったバチュルは今も鞄の中にあるボールの中でじっとしているから、特に心配するようなことはない。そのようなことを説明すると「バチュルの弱点に氷タイプは入ってなかった気がするのですが」と微かに天然が入り混じった言葉が返ってきた。もしかしたらこの人はポケモンバトルのことしか考えていないのかもしれない。

名前を知らないこの人は、懐中時計を懐から取り出して時刻を確認しながら「あと三分程で電車が参ります」といつもの駅員さんが言っている常套句を呟いた。


「そういえばいつもの駅員さんはどうかされたんですか?」
「高熱を出したとのことで自宅で療養中で御座います」
「年末ですし皆さんお忙しそうですもんね」
「幾つかの電車は点検の理由で運転の予定はないのでそれ程でもありませんが」
「そうなんですか」
「……実家に帰省なのですか?」
「はい、ヒウンの方に両親がいるので」
「…てっきりフキヨセ辺りかと」
「?」
「バチュルはフキヨセ近くの洞穴にしか生息していないのだと知り合いが、」
「あー、この子は友人から譲り受けた子ですから」
「成る程」


納得したのか無表情ながらこっくりと頷く彼(「駅員さん」と呼ぶのは少しだけ抵抗があるし、「この人」と呼ぶには他人行儀過ぎだと考えた末、「彼」と呼んだ方がどこかしっくりきた。)は些かどこか可愛い気があった。無口な人だと思っていたけど、案外そうでもないようだ。そうこうしているうちに、遠くから小さくではあるが電車が線路の上を走っているのが見えた。彼は私に少し下がるように言うと、段々と近付いてくる電車を変わらない仏頂面で迎え入れる。電車はゆっくりとスピードを落としながら、私と彼しかいない駅に到着した。


「それでは、どうぞお入り下さいまし」
「有難う御座います。…あ、良いお年を」
「…!…良いお年をお迎えなさることと、再びこの電車をご利用下さることを心より願っております」
「それじゃあ」
「どうぞ、行ってらっしゃいませ」


電車に乗り込むと、彼は笛を取り出して笛を鳴らした。電車の扉がゆっくりと閉まっていく。それから少し経って電車はまたゆっくりと動き出した。最後に彼を扉越しから見ると、彼は私を見ながら口にくわえていた笛を懐にしまい込みながら、空いているもう片方の手で微かに帽子を傾かせた。彼なりの最後の挨拶なんだろうか。小さく頭を下げると、彼は専用舎へと戻って行った。


今更名前をきくというのも色々気が引いたけど、やっぱりきいた方が良かったかもしれない。そう思いながら、真っ白に染まる木々を窓越しに見つめた。


永久冷凍のノスタルジー