羊飼いの憂鬱 | ナノ
湖ほどの面積がある麻婆豆腐の中に身投げするという、夢占いをしようにも出来なさそうな夢から目が覚めて、のろのろと身を起こす。
眠気で重い状態の瞼を擦り、暫くぼんやりと何も貼られていない真っ白の壁を見つめた。

麻婆豆腐の夢を見た原因はどう考えても昨日から私と寝食を共にすることになった──遥か昔にこの世界にある富やら何やら全てを手に入れた王、ギルガメッシュの所為だろう。
どうやらあの駄々っ子ぶりは、私の脳に強い刺激が与えられる程のものだったらしい。


欠伸を噛み殺して完全には覚醒しないままベッドから床に足を下ろす…と、床の硬い感触ではなく柔らかい感触が足に伝わった。目を向ければダンゴムシの如く縮こまり、掛け布団を頭から被ったギルガメッシュさんがいた。


あっ、これはまずい。


慌てて足をよけるも何も反応はない。熟睡しているようだ。
爆睡しているのであれば、王を足蹴にしたとか何とかで怒鳴られる必要はないなと胸を撫で下ろす。


…朝から心臓に悪いな。

昨晩本気で此処で寝るのかという私の問い掛けに、ギルガメッシュさんは「当たり前のことを言うな」と眉間に数本つくりながらそう言ったので、奥にしまい込んだ布団を引っ張ってくると、彼は直ぐさまそれに包まって寝てしまった。ちなみに私のベッドで寝ようと思っていたらしいが硬くて寝心地が悪いんだそうだ。

居間に引きずっていこうとしていたのに…こうして不本意ながら異性と同じ部屋で一夜を過ごしてしまったわけだが、ギルガメッシュさんをほとんど異性だと認識だと意識できないのは、この人が余りにも自己中心的だからだろう。どんなに顔が良くても性格が破綻していれば異性として意識できない、というか願い下げだ。



***



「……おい、何処へ行くつもりだ」


軽い朝食を終えて、いつものように出かける為の身支度をしていると、頭に幾つかの寝癖をこしらえたギルガメッシュさんが大きな欠伸をしながら居間にやってきた。どうせなら私が出て行ってから起きて欲しかった。案外見かけによらず規則正しい生活を送ってるらしい。

昨日も布団入って数分もしない内に寝息立ててたしな…。

「何処って……勤務先ですけど」
「…貴様はあの雑種と同じ齢ではなかったか?学業の方はどうした」
「…雑種…って衛宮のことですか?昨日も言ってましたけど」
「我の問いに答えろ」
「……義務教育終わってすぐに働きに出たんで、高校は行ってないんですよ。朝ご飯は台所にありますから。あんま時間ないんで詳しくはテーブルにあるメモ読んで下さい。……口に合うかは保証できないんでまずかったらそのままにしておいてくれると助かります。では」


ギルガメッシュさんはまだ少し眠いのか瞼を擦りながら返事をする。多分この人話半分にしか聞いてないな。

……まあいいや。



「精々死なぬ程度に励んでくるのだな」
「…あ、はい」
「道中見知らぬ神父に麻婆豆腐を渡されても無視するのだぞ」
「はあ…」

………「仕事頑張れよ。知らないおじさんにはついて行くなよ」と言っているのだと受け取って懐から鍵を取り出す。
…そういえば。
日中出歩くなら合鍵の場所くらいは教えておいた方がいいだろうか。鍵をかけないまま出歩かれて空き巣に入られては堪らない。個人的には日中ずっと部屋にいて欲しいところだが、ギルガメッシュさんの自由はギルガメッシュさん自身が決めることだ。私が決められることではない。


「合鍵はそこのコルクボードの裏にかけてありますから、外出するならそれ使って下さい」
「うむ」



履き古した靴を履いてドアを開く。今日も一段と寒いな…そろそろ炬燵の用意をするべきかもしれない。それなら蜜柑も買わなければ。


「行って来るがよい」
「…! ……行ってきます」



………見送りの挨拶なんてされたのいつ振りだろう。