羊飼いの憂鬱 | ナノ
「ちゃんとお代払いたかったのに…」
「気にすることはない。私が無理に付き合わせてしまったのだからな」

あれからまた下らない話から真面目な話に耽りそれから下らない話をし、遠坂さんの二度目の電話がかかってくるまで私達は話を続けた。電話がくるまで気付かなかったが、時刻は既に夕暮れ時を示してものだから、思わず彼と顔を見合わせてしまった。会計時は激しく抵抗したのだが、その抵抗虚しく珈琲は全額アーチャーさん持ちになってしまったので、私は恨めしげな目で彼を見上げるも彼は何処吹く風といった感じだ。

くそ…。


「今度は私が払いますから。…それじゃあ…」
「アパートまで送らせてくれ」
「え、そんな──」
「私が凛に怒られてしまう。さっきの電話で送るよう命じられたのだ。私は彼女の命には従わざるを得ない身でね。大人しく送られてくれ」

尤も、彼女に言われなくとも送るつもりだったがね。
アーチャーさんの最後の付け足した言葉は流すことにして、私は渋々頷いた。アーチャーさんは遠坂さんの執事か何かなんだろうか…。

「…まぁ、最近ここの地域一帯物騒ですもんね」
「………まあ、そうだな…」

歩き出しながらそう言うと、アーチャーさんは微妙な顔で頷いた。過去に何か事件に巻き込まれたことがあったのかもしれない。

「君のアパートはどこのあたりだ?」
「結構近いですよ。このまま真っ直ぐ行って、左に──っ?!」

激しい、爆発したような衝撃音が鼓膜にびりびりと響く。一瞬何が起こったのか分からなかった。私の腰には逞しい腕が回っており、私を引き寄せてきた張本人であるアーチャーさんを振り返る。彼は険しい顔で空を見上げていて、私もつられて見上げる。そこにいたのは──



「ギルガメッシュ、貴様一般人に何をしている」
「…ギルガメッシュさん何してるんですか…」
「おい名前、貴様贋作者と並んで何をしている」

電柱の上に腕組みをしながら立っているのはどう見てもギルガメッシュさんだった。そんな支えもない場所にいて危ないと思うのだが、今は突っ込んではいけない気がする。私のいた場所には剣やら斧やらが何本も突き刺さっており、アーチャーさんがいなければどうなっていたかと思うと鳥肌が立った。

「…?!名前、ギルガメッシュを知っているのか?」
「知ってるも何も…この人ですよ、金ぴか」
「な…っ!まさかとは思っていたが…」

アーチャーさんが驚きの声を上げ、ギルガメッシュさんは鼻を鳴らすと電柱から飛び降りて歩道に軽々と着地する。体の構造どうなってんだ。骨折れないのか。折れるとか折れない以前に普通なら即死である。

「名前、今まで何をしていた」
「え、頼まれた買い物…と喫茶店で珈琲飲んでましたけど。あ、雪見だいふく売ってませんでした」
「我は貴様に喫茶店で珈琲を飲めなどと言った覚えなど塵ほどもないぞ!ええい、そのような贋作者と一緒にいるな!贋作がうつる!」
「うわっ」

贋作って伝染するのか?

つかつかとこちらにやって来た彼は私の腕を思いっ切り引っ張り、私は勢い良くコンクリートの地面とこんにちはする羽目になってしまった。顔面とひざ小僧が特に痛い…。鼻血が出ていないか鼻を抑え、何ともないことを確かめてからギルガメッシュさんを見上げる。反省の色が全く見せていない金色の彼は、地べたにはいつくばっている私に向かって湿っている何かをぶん投げた。………出かける前に私が彼に渡したタオルだ。すっかり冷えてしまっているそれは、目を休ませるには向かない代物になっていた。

「贋作者よ、今後我の僕に手を出してみろ。その時は貴様の命、ないと思え」
「……ギルガメッシュ、お前に名前の自由を決める権利はないと思うが」
「王は全ての下々の命を握る存在だ。こいつが生きるも死ぬも全て我が決める」
「……ギルガメッシュさん庶民王になるんですよね?そんなどこぞの独裁者みたいなこと言う権利あるんですか」
「雑種風情が黙っていろ!」

思い切り私の首ねっこを引っ張り、ギルガメッシュさんはずんずん歩き始めた。私は彼に引きずられるような形になる。
服が、服が汚れる…。
上手く息が出来ずに、何度か私を掴む手を叩くが彼は一向に足を動かすことはやめてくれなかった。少し藻掻いていると、ふと首を圧迫する力がなくなる。私とギルガメッシュさんの間には、無理矢理引き剥がしてくれたらしいアーチャーさんが少し怖い顔つきで暴君を睨んでいた。

「彼女は人間だぞ」
「ふん、それがどうした」
「………」
「……あの、アーチャーさん。私こういう扱い慣れてますから。私を気にかけるよりも遠坂さんのこと気にかけてやって下さい。きっと彼女心配してますよ」
「だが…」
「今度また珈琲飲みましょう?私のケー番なら衛宮が知ってますから、もし良かったら連絡下さい」
「………ああ、では…そうするよ」
「その時が貴様の一生の終わりだな、贋作者」
「では、お気をつけて」

アーチャーさんは心配そうな表情で私を一瞥すると、一瞬の内に消えてしまった。
最近こういう身体能力が異常な人ばっかりと知り合っている気がするぞ…。
ギルガメッシュさんがすたすたと歩き始めてしまったので私も慌てて歩き、決して隣には並ばないように気をつけながら後を追う。

「…贋作者のような雑種とつるむな」
「私がどんな人とつるもうがギルガメッシュさんに何の支障もないですよね」
「貴様は我の言うことをきいていれば良いのだ。……セイバーとならつるむことを許可するぞ」
「……はぁ…」
「それよりも早くその布きれを温めろ。なかなか気持ちが良かった」
「家に着いたらやりますよ」

そんぐらい自分でやればいいのに。そんな意味を含めてギルガメッシュさんを見遣る。金髪が秋風によって軽く靡く後ろ姿はとても絵になっていた。王の気品ってやつか。

「それよりもギルガメッシュさん、ずっとタオル持ってうろちょろしてたんですか?」
「……貴様がいつまで経っても命令した品を持って来ないのが悪い」
「答えになってないですよ…」
「今度から紅茶は常備しておけ」
「あんなのたくさん飲んでたら糖尿病になっちゃいますから控えた方がいいと思いますけど」
「黙れ、痴れ者が。病などを怖れて王なんぞ名乗れるか。…それよりも冷える。少し寄れ」
「は?」
「王が風邪を引いてもいいというのか貴様は!本当に貴様という奴は雑種の中でも最悪な部類だな!」
「怖がってるんじゃないですか。風邪という名の病を。」
「それ以上その減らず口を閉ざさぬのなら、ここで貴様の短い生涯は終わることになるぞ」

………理不尽だ。不条理の塊だ。
自分が言い返せなくなったらすぐ殺す殺すーってお前は子供か。
確かに上はジャケット一枚しか羽織っていないようなので、寒いことは確かだ。数歩離れていたギルガメッシュさんの隣に並び、そっと傍にくっつくと、少し経った後「全然温まらんな」と余り刺の入っていない言葉が聞こえた。