羊飼いの憂鬱 | ナノ
金髪の髪をお団子に纏め、青のスカートには不釣り合いな銀の鎧を纏った小柄な少女は、ガタイのいい成人男性と互角に渡り合っていた。視覚化出来ない剣を振りかざす姿は、恐ろしくも美しさが含まれている。きっと、幾つもの戦場を駆け巡ってきたのだろう。彼女には恐れなどないのか、自分の頭が二、三個分も上の相手に攻めの姿勢を崩さずに向かっていた。対する男は赤と黄色の槍を上手いこと使いながら、隙を見ては反撃を繰り返す。


セイバーさんの後ろに控える、白銀赤目をした人間離れした美しい女の人はマスターだろうか。


…それにしても、セイバーさんは五次だけじゃなくて四次の聖杯戦争にも出ていたことに驚きが隠せないというか。なんというか。


「…ギルガメッシュさんが惚れ込む理由も分かりますね」


凄いもの。迫力が。
セイバーさんのストーカーを日課としているギルガメッシュさんの気持ちが、今ならそこそこ分かる。(超強いし超可愛い)女の子を伴侶にしたくなる気持ち。スクリーンから目を離すことなくそう言うと、聖杯くんはおかしそうに笑った。


「ちょっとちょっと、聖処女ちゃんを見てるのもいいけどこの主役はディルムッド・オディナだってこと、忘れられたら困っちゃうんだけど」
「ああ、すいません。でも、顔見知りが出てくるとは思わなくって」
「ま、気持ちは分かるけどね。聖処女ちゃんことセイバーとディルムッド・オディナの初コンタクトはこのコンテナ置場。此処で何やかんや…ライダーやバーサーカー、アーチャーが途中乱入してきたりでカオス状態で収拾つかないから全面カットしちゃうけど…まあ、二人は同じ騎士道を志す者として馬が合っちゃったわけ」
「ああ……」
「もしどこか違う世界で仲間として出会ってたなら、さぞ良いコンビになっただろうに。神様も最高なシナリオを考えるよなぁ」
「……」

「流石神様!オレ達に出来ないことを平然とやってのけるッ。そこにシビれる!憧れる〜ってね」
「…あ、はい」
「反応悪くねえ!?」


聖杯くんにいちいち反応してたら疲れる。スルーだスルー。

スクリーンには、乱闘が終わり静寂を取り戻した場で静かに言葉を交わす二人の姿があった。騎士として戦おうと約束をした彼らの目には澄んだ闘志の他に、尊敬の念が混じっている。



──『互いに敬い、信じていたとしても…元を辿れば敵同士。殺すか殺されるか。それしか道は残っていない』
『………互いに互いの苦労を理解して、仲間意識を持っていたとしても?』
『…尚更自分が傷付くだけだ。理解しあうほど、裏切られた時の傷は深くなる』



公園での会話が蘇る。
嫌な予感は当たるものだ。きっと、私の予想している事態は外れることなんてないだろう。何とも言えない心境になった私に気付いたのか、聖杯くんはにやつきながら顔を覗き込んできた。


「名前ちゃんは無知な癖に察しがいーや。ディルムッド・オディナの魂に疵を付けた奴のうち、その一人はこいつだよ」
「……」
「ケイネスの奴もそりゃあ騎士じゃなく礼装──道具扱いしたのも悪かったけど……キャスター討伐の時だって共闘して?聖処女ちゃんの宝具を開放しなきゃいけないが為に、一度目の戦いで自分が負わせた必滅の呪いを解くべく、騎士として命と同じくらい大事な宝具を壊して?

その末路が──これだぜ?
ああ、セイバーにその気はなかったにしろ、報われねえったら…!」


舞台役者のようにオーバーリアクションで顔を伏せるその姿はノリノリ以外の何でもない。「共闘」や「呪い」などと気になるワードが聞こえたが、何よりも気になることがある。


「……セイバーさんに裏切る気はなかったんですか?」
「客観的に見ればね。でもディルムッドからしてみれば裏切り以外の何でもねーよ、って感じ。第三者からするとセイバーも性格捩曲がったマスターから裏切られたも同然なんだけど、さ。その辺は上手い具合に当事者らには有耶無耶になってんの」


これがディルムッド・オディナの最期だよ、なんて付け足すように言った彼はスクリーンを指差す。カチャ、カチャと場面が切り替わり、黄槍を折るオディナさん、何やら黄金の剣から凄まじい光を出すセイバーさんのワンシーンが映り、暗転した。



***



『惚けるなよランサー。どうせ貴様がソラウを焚きつけたのであろうが』



夜明けも近いのだろうか。うっすらと白み始めている空は、人工的な明かりのない室内をぼんやりと照らしていた。場所は……何処だろう。廃墟の一角だろうか。その中に男が二人、自らオディナさんの魔貌に堕ちていった婚約者の姿は、何処にも見えない。

最初に見た時とは一転し、整っていた髪も乱れ、血走った目には狂気の色さえ浮かぶこの人は確かケイネスなんちゃらとかいう人だった筈だ。この聖杯戦争を通じて一体何があったのかと考えずにはいられない程の変貌っぷりに内心引いていれば、頭を垂れていたオディナさんが慌てて否定の声を上げた。


『なっ…!断じてそのようなことは……』
『はっ、白々しい!貴様の間男ぶりは伝説にまで名を馳せる有様よ。主君の許嫁とあっては、色目を使わずにはいられない性なのか?』


一方的な精神攻撃を浴びせるマスターに、サーヴァントはただただ成す術もなく追い詰められていく。
私の横でつまらなさそうに大きな欠伸をひとつかました人間もどきは、何もない空間からアイスを取り出しながら「錬金術の原則って何か知ってる?」と問いを投げてきた。

何なんだ急に。


「あの有名な漫画読んでりゃ誰でも分かるって」
「………ギルガメッシュさんなら多分分かると思いますけど」
「ハァ……やっぱさぁ、オレは思うわけ。最近二次元の規制がキビシーけど、二次元のメディアを通じて得たりする知識は道徳とかいうクソつまらねー授業よりも役に立つことばっかだって。名前ちゃん、ゲームもいいけど漫画も読みなよ」
「……で、錬金術の原則がこの関係崩壊寸前の二人と何の関係があるんですか」


こっちはオディナさん達の会話を聞いていたいのに、邪魔しないで欲しい。耳障り窮まりない。そんな意味を込めて睨めば「いいからいいから!」と軽くあしらわれた。全然よくない。



「…魔術と錬金術に共通してんのは"等価交換"って原則でさぁ。ケイネスせんせーは物心つく前から魔術師としての道にどっぷり浸る運命だったから、等価を必要としない一方的なモノ……忠誠心だの信念だの、親切心やら高潔さを掲げた騎士道なんざ理解出来るわけがなかったんだよ」
「……はぁ」
「だからケイネスせんせーは聖杯に叶えてもらう願いもなく、騎士道騎士道言ってひたすら自らに尽くそうとするディルムッドに不信感を抱くのも仕方ねーってわけ。

これがこいつらランサー陣営の敗因の七割占めるっていっても過言じゃねえ」
「……要するに価値観や立場の違いってやつですか」
「一言で言えばそうなんね」


一度深く話をする為の席を設け、互いの言い分を聞いたのならばどうだったのだろう。
…多分、話し合ったとしても分かり合うことより分かり合えない確率の方が高かった筈だ。根本的に持つ思想を変えることは難しい。人の理念や主張を理解することは、簡単ではない。


私が、奉仕ロボットの如く動き「正義の味方になる」と豪語する衛宮士郎のことを理解できないように。



『ケイネス殿……何故、何故解ってくださらない?!私はただ、ただひとえに誇りを全うしただけのこと!貴方と共に誉れある戦いに臨みたかっただけのこと!主よ、なぜ騎士の心胆を解してくださらぬ?!』
『利いた風な口を叩くなッ、サーヴァント!』



「──ちょっと待って」


激昂し、オディナさんを罵倒し始めるケイネスの声が響く中、弾かれたように聖杯くんが立ち上がった。また何か下らないことを言うのかと白い目で見上げれば、そこにはあると思っていた道化のような余裕の表情はない。真剣な顔で宙を仰ぎ見、そして大きく舌打ちをかます。額に手を当てて、ぐしゃりと髪を乱しながら私を振り返った。



「ごめん、名前ちゃん。オレ、ディルムッド・オディナのこと…正直何もかも甘く見てた」
「どういうことですか?」
「オレ達ははじめディルムッド・オディナの記憶を情報源とした所にいただろ?それが仇になった。ったく、神様も他の人間よろしくオレにも試練を与えなさるぜ!」



分かるように説明して欲しい。
そう言いかける私に、彼は額に手を当てたまま上を指差した。つられて上を見上げれば、薄暗くてあまり見えないが何かが蠢いている。必死に目を凝らすと触手のようなものが天井を覆っていた。


「…ヤマツカミ?」
「んなわけねーでしょ!…ああ…旦那が召喚してたすげーやつに似てるけどぉ……多分アレは茨だよ、茨」
「茨?どうして茨なんか…」
「オレはディルムッド・オディナの持っていた記憶や情報を一時的に拝借、複製して、少しの間──……あの擬似的な心象風景をオレの中で展開してたわけ」


ふと足に何かが触れ、天井から視線を下に向ける。そこには天井を這っている茨ほど太くはないが、何本もの茨がじわじわと床を覆い隠そうとしていた。


うわ、気持ち悪い。

慌てて床から足を離し、椅子の上へと避難する。聖杯くんの足に茨が絡み付き始めるが、彼は難しそうな顔で今の状況に至るまでの成り行きを整理しようと煩い独り言を呟いていた。


「今の今までこうして聖杯(オレ)の記録を引き出して見てて……あいつの中に一時だけでも入ったことと、記憶や情報を奴から引き出したから侵入されたに違いねえ!雰囲気づくりの為にアイツに干渉しなけりゃこんなことには…」



総括すると、十割聖杯くんの落ち度ということで間違いないだろう。


全体を見渡せば、この部屋全体が茨に浸蝕されていた。扉は、既に茨で見えない。


つまり、残念なことに逃げ道は絶たれている。



「…これからどうなるんですか?」
「オレが考えてたよりディルムッドは呪いや憎悪に囚われ過ぎてる。こんなんじゃオレでも手の施しようがねーっつーか、呪いを持つ身としても身の危険を感じるね!残念だけど、鑑賞回は一旦お開き」



此処から脱出しないと多分死んじゃうし、名前ちゃんだって死ぬにしてもこんな所では死にたくねーだろ?


そう言って手を差し延べてくる聖杯くんの手を握ろうと、手を伸ばす。




「───え?」


次の瞬間、彼の腹からは茨が飛び出していた。手を出したまま固まる私をよそに、「あれ?」と言いながら自身の腹を見下ろし、一撫ですれば何でもないような顔で私の手を掴もうとする。


「あ…やべ──」
「…ッ!……ひっ…!」



状況が全く分からなかった。

瞬きをしたその間に、聖杯くんの、彼の顔が、鼻から上が消えていた。

血の代わりに、泥がびしゃりと茨や私の顔に飛び散っている。あまりにも突然過ぎて、目の前にいた人間の顔が消えるなんて衝撃的過ぎる光景に、叫び声すら上げることが出来ない。聖杯くんはその場に倒れ込む。彼の後方には赤槍が一本深々と突き刺さっていた。きっと、これが聖杯くんの頭を抉ったに違いない。


誰かが意図的に聖杯くんを殺したのだ。
その「誰か」が誰か、なんて、私でも分かる。


「…聖杯くん」


聖杯くんの名を呼べど、聖杯くんだったものはただの泥へと変わるだけで、何も起こらない。私は一人だ。頼りだった聖杯くんは、もういない。


『ランサー、出向いて蹴散らせ。容赦はいらぬ』
『御意』


今までずっと流れ続けていたらしい映像に目をやれば、スクリーンにも茨が纏わり付いていた。そして、それは私の体にも絡み付いてくる。ぎゅうぎゅうと締め付けられる感覚に茨を解こうと手をかければ、棘に触れ、ぷつりと皮膚が裂けた。血が茨へと付着したその時、一段と太い茨が地面から現れる。


「…っ!」


取り込まれる、と。本能が告げていた。逃げ出そうにも、絡み付いた茨は私の逃亡を許してくれない。藻掻く私を難無く捕えた茨は、ずるずると動いて茨の奥底へと移動し始めた。


こんな時、“彼”ならどうするのだろう。
いつだってあの人は、肝心な時に近くにいない。
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