──まるで、映画でも見ているかのようだった。
聖杯くんがディルムッド・オディナを主人公としてキャスティングし、エキストラというかりそめに過ぎない人間達を創り出し、一人一人操ってそれを撮影したような。
「これ、オレが撮影したんだよ」と本人に言われたら、きっと納得してしまうだろう。
だが、これはずっとずっと、私がまだ母親の胎内に存在すらしていない以前に、実際に起きたことなのだ。紛れも無い事実。
「…………」
オディナさんの瞳が、とてつもなく澄んで輝いている。
私の知るディルムッド・オディナは目が死んでいる。瞳の色は濁っていて、泥水のようだ。勿論、輝いてなどいない。
無表情で、険しい顔ばかりしている。この世の全てを憎んでいて、不本意ながら私に付き従うと言って、渋々私の命令をきく英霊。
捻くれまくり、その結果ちぎれてしまったものが私の知るディルムッド・オディナである。
スクリーンに映し出されたディルムッド・オディナは、まるで別人だ。
瞳は蜂蜜を色濃くしたような、琥珀に近い色をして、爛々と希望に満ち溢れている。
穏やかな笑みを浮かべ──だが、戦いになると引き締まる薄い唇。
「全然違ぇよな。これがあんなんになるとかさあ…やっぱ人間って面白ェよな。超COOL…」
ポテトをつまんだ聖杯くんは無邪気な顔で笑う。
もしこれが聖杯くんの創り出したものだとしたら、きっと「こんな超ヤバい映像創ったオレまじCOOOOLじゃねえ?!」と称賛の声を上げてくる筈だ。
それをしないということは、つまり、そういうことである。
これはノンフィクションであり、実際の団体とは関係ありありありまくりの映像ということで間違いない。
映像の中に映し出された彼は、仲間達と楽しそうに杯を合わせて笑っていたり、狩りをしていたり、仲間と手合わせしたりと場面がころころ切り替わる。
杯を合わせる場面の彼らがいる場所は、私達が此処に来る前に立ち寄った酒場の雰囲気に似ていた。
「ディルムッド・オディナはフィアナ騎士団──……フィン・マックールっつー団長が率いる優秀な騎士の集団の一員だった。その中でもディルムッドは群を抜いて勇敢で、器も大きい男で…フィンをはじめとする騎士団の連中からアツーい信頼を得てたわけ。
おまけに妖精に付けられた魅了の呪いがある黒子の所為で婦女子の皆さんからモテるの何のって!本人にその気がなくても女を魅了して、虜にしちゃってさ。モテるのも考え過ぎってくらい、モテてたんだぜ?スゲーよなァ…」
聖杯くんが「この体の持ち主もモテてたみてーだけど、ディルムッドと比べれば可愛いもんに思えてくる」とこぼす。私は彼から押し付けられたホットドックを頬張りながら、適当な相槌を打った。
お前の外見の話は聞いていない。
顔に出てしまっていたのか、彼は顔を顰める。
「キョーミねーって思ってるっしょ」
「実際、ないですからね。横道逸れないで続きをどうぞ」
「つれねーな…まあ、そんなモテモテ人生を送っていたのが運の尽き。悲劇の始まりだったわけよ。名前ちゃん、何が起こったか分かる?」
「……いえ…」
私の返答に、聖杯くんは何かかわいそうなものを見るような目で見つめてくる。そんなの分かるわけないだろ…。
「名前ちゃんの平々凡々な頭じゃ分かるわけねーよな。じゃ、次の映像ー!ハイ!」
彼が指を鳴らせば、スクリーンには年老いた男の人と、可愛い系に分類するであろう若い女の人が並んで椅子に腰掛けていた。男の人は嬉しそうな表情だが、一方な女の人はどこか浮かない顔だ。そんな対照的な二人の前では沢山の男女が飲んだり食べたりしている。その中には勿論オディナさんもいた。ということは、この男の人達は騎士団の人間ということだ。女の人は伴侶といったところか。
それにしても、この二人は誰だろう。
「聖杯くん、この人達は…?」
「この年食っちゃったジイさんはフィン。可愛くて思わず殺したくなっちゃいそうな子はグラニアちゃん。この日は二人の結婚式が挙げられた日。…でもグラニアちゃんは若さもなく性欲しか残ってねえジジイとなんか結婚したくなかったんだよ…」
「あ、何となく展開読めました」
オディナさんは女性を魅了する黒子を隠すこともせず、生活している。スクリーンに映っているグラニアさんとやらは、熱っぽい視線を彼に送っていた。そこから導かれる答えは一つ。
なんとオディナさん、上司の伴侶を魅了してしまったのである。
杯を片手にぐいっと一杯やっているオディナさんを見ながら、お嫁さんを魅了しちゃう事態とか考えてなかったのかなと思ってしまう私は、間違ってはいないだろう。
「その表情からしてもう分かったっしょ?そそ、アンタの考えてる通り、グラニアちゃんはディルムッドに魅了されちゃったわけよ。そんで、その胸を焼くような情熱に動かされるまま──」
次に映し出されたのは、グラニアさんとオディナさんのキスシーンだった。オディナさんを壁に押し付け、半ば強引に唇を押し付ける彼女の瞳は何かに憑かれたように恋情に燃えているように見える。
オディナさんが老若問わず女の人をアパートへとぞろぞろ引き連れてきた時も驚いたが、この女の人の人生を簡単に狂わせてしまう魅了がこんなにも凄いものだとは。出会って間もない人間に接吻を交わしてもいいとすら思ってしまうほど、彼女は魅了されている。
初めて会った時に私に対して忠告してくれたのは、こんな背景があったからなのだと改めて理解した。ギルガメッシュさんからいただいたアクセサリーがあって良かった。これからも大事にしよう…。
「お子様には過激な内容じゃねえ?名前ちゃん大丈夫?」と真面目な顔で言ってきた聖杯くんには、肩をそこそこの力で殴っておくことでチャラにしておいた。
「いてぇよ…暴力反対だって!」
「キスシーンぐらいドラマでも映画でもぶちゅぶちゅやってますけど」
「あー、ハイ、ハイ。そうだね!…えーっとぉ……そんで、どこまでいったっけ…そうそう、グラニアちゃんは嫌がるディルムッドに自分を連れて逃げるようにゲッシュを立てた。破滅して死ぬよりも生きることを選んだディルムッドはグラニアを連れて偽りの愛の逃避行へ──…っていうのが今までのハナシー」
なるほど、オディナさんは自分から駆け落ちしよ!と言ったわけではないのか。しかし、グラニアさんもよくやる人だ。……気持ちは分からなくもないが。ジイさんより若くてかっこいい人の方がいいよな。私は切嗣さんだったらジジイだろうが若かろうが何でもいいけど。
アメリカンドッグを無事に腹へ収め、この空間へ入る前に手にしていた赤黒いベリージュースを口に含む。
この時、オディナさんはどんな気持ちだったのだろう。仲間を裏切るなんて、騎士道に反する行為だ。
だが、一番この中で同情の視線を送られるべき人物は…いや、オディナさんも充分同情される人物だが…彼ではない。
「……団長さんも赤っ恥ですね。信頼してた部下に伴侶奪われちゃって。しかも式挙げた直後にですよ…」
「そりゃあ怒ったよ。メロス並に激怒しちゃってさー、魔女を頼ったり騎士団総出でディルムッドを殺しにいくよう命令したりね。まあ、そこはディルムッドの知略と戦略で返り討ちにされたし、騎士団の連中もやる気そんななかったりで」
「ああ……」
……普通そこまでするか…?とも思ったが、そこは女には理解できないプライドとか面倒臭いものが関係しているのかもしれない。
「…………」
目の前のオディナさんは武器を持った人に囲まれていたが、落ち着いた表情で全員倒していた。その槍捌きを私の目で捉えることは出来なかったが。
そうしてオディナさんとグラニアさんが色々な場所を渡り歩く映像がただただ流れる。クラシックでも流せばハリウッド映画に様変わりだ。
「ディルムッドはグラニアちゃんを連れて逃走を続けてたんだけど、ながーい年月を経て、遂にフィンも同志の提言を受けて二人を許すことに決めたわけ。そうして戻ってきた二人は結婚して四人の子供を儲けた……COOLっつーよりHOTな話じゃねえ?アーティストであるオレとしてはこういう話より血飛沫ぶしゃぶしゃで──」
「あの」
「ん?」
「生前の話はこれで終わりなんですか?」
四人の男の子に囲まれて幸せそうに寄り添っているオディナ夫妻が映り出されているスクリーン。映画ならハッピーエンドだ。『これからのオディナ家に幸があらんことを!』みたいな字幕が出てスタッフロールが流れる。だが、これは映画ではない。そして、これだけで終わらないことは、薄々感じていた。
ポテトを食べていた聖杯くんは、私の言葉に少し目を丸くしてニヤリと笑う。
ああ、意地くそ悪いこの顔は肯定だ。
「まあ、こんなんで終わったらコイツの幸運スキルはあそこまで下がってなかったかも?」
目を細めて、聖杯くんは視線をスクリーンに向ける。
そして画面は暗転した。ディルムッド・オディナの今後の人生を暗示させるように、暗転してしまった。
真っ暗闇の中、聖杯くんがポップコーンを咀嚼する音だけが響く。
「……聖杯くん」
「名前ちゃん、ポテト最後の一本食う?」
「………食う」
……いつになったら次の映像が映るんだ。
ホレホレと言わんばかりにポテトを唇に押し付けられ、口を開きかけた時だった。
口から血を流しているオディナさんの顔が映ったのは。
「……え…」
ポテトがぽとりと服の上へと落ちて消える。そんな、どうでもいいことよりも。
呆然とした顔で、瞬きをすることもせず。微動だにしない。死んでいる。あんなに幸せそうな顔をしていたディルムッド・オディナが、次の瞬間、死んでいた。
「──これが生前の彼の最期。知りたかったんだろ?名前ちゃん」
「…何があったんですか」
「彼は前に“猪に殺される”っていう予言を受けててさぁ。それを知っていたフィンに利用されて殺されたんだ」
「…………」
「フィンには“癒しの手”っつーすげえ力があって…その手で水を掬うと、たちまちそれは傷を癒す水になるわけよ。その場にいたディルムッドの親友且つ自分の孫のオスカに『治してくれよォッ!』なーんて懇願されたけど、結局は見殺し!つまんねえ殺し方だよなぁ。殺すなら殺すで騎士らしく正面きって殺せばいいのにな。やり方が小汚ぇ!」
「………彼女を選ばなきゃこんなことにはならなかったのに」
「だからディルムッド・オディナは聖杯に願ったんだよ。次は愛じゃなくて忠義を選んだ人生を歩みたいってさ。生前の話はこれでおしまい」
「おしまい」の言葉と共に、オディナさんの死に顔はスクリーンから消え去った。
端折ってはいるんだろうが、何とも短い一生だった気がする。
「……それで、聖杯くんは私にどうしろと」
「その本題はまだ後。名前ちゃんは彼が聖杯に願ったことが何なのか知っただけで、戦争中に何があったとかは知らないじゃん?ディルムッドがああなった理由は戦争の中にある。それを見てくんねーと。
だから、まだ帰してはやらねーよ?」
空になったジョッキを逆さまに振りながら聖杯くんは言った。
…これから第四次聖杯戦争の出来事が再生されるわけだ。これは文献を漁っても出てくることはないだろうから、私にとっては良い機会である。
分かったと頷いた私に、聖杯くんは満足そうな笑みを浮かべる。人間の姿になってから笑ってばっかりだ、聖杯くん。元々そういう人だったのかもしれない。
「ちょーっと待っててくんねえ?ディルムッドの記録、案外多くあったから纏めるのに時間かかりそう」
頭に手をうんうん唸りだした聖杯くんをそのままに、私は残り少なくなったジュースのジョッキを覗き込む。
今の彼を見るに、今度は忠義の道を選んだ彼が再び悲惨な末路を遂げてしまうのは間違いない。今から見る記録がろくでもない内容だということは、私でも分かる。
「おかわり欲しいなら言ってくれりゃあいいのに」
「要りません」
そんな、彼の口から流れていたものと同じ赤色をした液体を飲む気には、到底なれなかった。