「………勝負、ですか」
ランサーさんの頼みが、まさかそのようなことだとは予想だにしなかった。
アーチャーさん曰く、女癖が悪いそうなのでてっきり「女の子紹介してくれね?」とかそんな感じのことばかり想像していたのだが。
「………三度の飯より戦いがお好きなんですか?」
「ま、そんな感じだな。──で?どうなんだ?『はい』か『いいえ』か。アンタの答えが知りたい」
ランサーさんはしっかりとこちらを見据えたまま、私の返答を待っていた。
私は両手を缶で転がしながら、オディナさんのことを考える。
…この申し出は好都合かもしれない。
「──じゃあ…一つ条件があるんですが」
「おう、何だ?」
相変わらずのさっぱりとした雰囲気は、普段から言峰さんに虐められているのだとはイメージし難い。ギルガメッシュさんより彩度が高い瞳を見返しながら、ダメ元で口を開く。駄目ならそれで構わない。自力で地道に、調べればいい話なだけだ。
「第五次聖杯戦争に参加したサーヴァントの真名とマスターの名前を教えてください」
「…!………へえ…そいつが知りたいってことは、つまりはよくよく聖杯くんの野郎が出現させるかもしれねえ聖杯を手に入れてえってことか?」
「……手違いで召喚してしまったサーヴァントの方に申し訳ないので…少しでも戦況を良くしておかないと」
条件を言うと目を細め、少し冷たい空気を纏わせるランサーさんだったが、私の言葉に呆気にとられた表情に変えた。今までに会ったどのサーヴァントよりも表情豊かだ。
そして人間くさい。
「…あ?嬢ちゃんの意思で召喚したんじゃねえのか?…ま、とりあえずこの話は後だ。嬢ちゃんの条件は飲んでやってもいい」
「! ほんとですか?」
「なに驚いてんだ。自分から出した条件だろ」
まさかこうもあっさりと快諾されるとは思っていなかった。
驚く私を見て英雄は声を出して笑い、缶を口に付ける。細かいことは気にせず、竹を割ったような性格は、うちに我が物顔で堂々と居座る我儘大王と過去のことをネチネチと引きずる女々しい家政夫(仮)にも見習って欲しいところだ。ランサーさんの爪の垢なり全身からとれるありとあらゆる垢を煎じて飲むべきである。
「ランサーさん、生前ではモテてたでしょ」
「んー? まあ、英雄に色事は付き物ーってな」
「ああ…成る程…」
「で、何から知りたい?オレが知る範囲でなら話してやるよ。そのサーヴァントの名前と使用される宝具。こうも長く召喚されて何度も衝突してりゃあクセも分かるからな…とりあえずオレの紹介でもすっか?」
真名を明かすことに抵抗がないらしく、ランサーさんは生き生きとした表情で私に話し掛ける。きっと今まで戦ったことのない英霊と槍を交えることに喜びを隠せずにはいられないのだろう。
だが、
「……あの、ランサーさん。条件を飲んで下さったのはとても有り難いのですが、当人に話を通してからでもよろしいですか?もしかしたら乗り気ではない場合もあるので」
「……別に構わねーけど……そんなに扱い難い奴なのか?お前のサーヴァント…」
「…………正直に言わせていただきますと、ギルガメッシュさん以上です」
「マジで…」
「つい先程愛想を尽かされました」
「………」
私の言葉に、ランサーさんは暫く「あー」「えー」と意味のない音を漏らした後、無言で私の肩に手を置いた。
特別同情なんて必要ないんですけど。
「慰めて欲しかったらいつでも教会に来いよ。くるなら夜が──」
「行きません」
「……まあ、口説くのはまた今度にしてだな…金ぴか以上っつったらお前…どこの暴君だよ…?」
「…あの人は王とかの地位にいた方ではないっぽいです。騎士です、騎士。本人もそう言ってましたし」
あとちまちま節約するのが好きそうな顔してるんだよな…。五百円貯金とか。
勿論こつこつと五百円玉貯金をする節約好きなオディナさんは、私の中の想像にしか存在しない。単なるフィクションであり、実際に存在するオディナさんとは一切関係ない。あるわけがない。
「……ふーん…騎士か…そりゃあ気になるねぇ。金ぴか以上の聞かん坊…そこそこ骨がある奴だと嬉しいんだけどな………お」
その時ランサーさんがゆっくりと空を見上げたので、私もつられて見上げれば、その瞬間頬に冷たいものが触れた。雪だと理解する合間にも次々と、休む間もなく頬に、唇に、額に。触れればすぐに消えてしまい、音もなく、ただただ地面に落ちていくだけのそれは、儚ささえ感じる。
切嗣さんが、よく雪を見ては、私か衛宮が声を掛けるまでただただぼんやりとそれを眺めていることがよくあった。切嗣さんも、雪に儚さを感じていたのだろうか。
「…初雪ですね。去年よりだいぶ遅いですけど」
「年末も近いからな…稼ぎ時の時期がきたぜ」
青髪の英霊はそう言って笑うと珈琲を飲み干して、少し遠い位置にあるごみ箱の中へ空き缶を投げ入れた。私のようなノーコンとは大違いだ。
どうやらこれがお開きの合図のようだった。
「とりあえず返答だけでも聞かせてくれや。まずイイエとは言わねーだろうなぁ……遅かれ早かれ倒さなきゃ聖杯は手に入らねーんだから」
「……今日話してみます」
「おう。庶民王サマにもよろしく言っといてくれ。…アパートまで送ってくか?」
「いえ、一人で帰れます」
「そうか。じゃあ気をつけてな」
「ありがとうございます。ランサーさんもお気をつけて」
私の言葉を聞いたランサーは軽く噴き出すと、わしゃわしゃと私の頭を掻き回すように撫で始めた。何なんだ一体。不審な目で見詰めれば、彼は「だってよぉ…」と、笑みをこぼしながら言い訳を口から漏らす。
「ケルトの英雄、クー・フーリン様に気をつけろなんて言った奴なんざ久しぶりでよぉ…思わず笑っちまったぜ」
***
「……で、魔女と会うことはなく貴様は悠々と贋作者と茶菓子を喰らい、狗と無駄話をしていたと。そう言いたいわけか」
「…国外に居るんじゃ会えないでしょう…瞬間移動しろっていうんですか」
「我の臣下ならば瞬間移動程度のことはして当然だ」
「無茶振りはやめてください」
「罰としてこのチャーシューは我に捧げよ」
私が一言口を挟む間もなく、端に追いやり大事にとっていたチャーシューは庶民王の手によってどんぶりから消失してしまった。チャーシュー麺からチャーシューを取ったら何が残るというのだろう。答えは簡単、ただの麺だ。私は麺と鳴門が一つだけ浮かぶどんぶりを見つめた。
……なんて暴君だろう。
無言で睨むともぐもぐと咀嚼するギルガメッシュさんは僅かに口角を上げる。今まで見たどのどや顔よりも、破壊衝動を加速させるどや顔だった。
「この我が自ら貴様の減量に付き合ってやったのだ。感謝してもしきれんだろう」
「………」
テーブルに一滴もスープを飛ばすことなく麺を啜る彼にどんぶりの中身をぶちまける想像を繰り返しながら、私もおとなしく麺を胃に収めることにする。
テーブルの上に並ぶどんぶりの数が二つであることと、室内にはギルガメッシュさんと私しかいないという事実が心に重くのしかかる。目の前の王様によると、オディナさんはアパートの屋根に居るらしい。何度か呼びかけはしたが…案の定、無視を決め込まれてしまった。
「あのような優男の雑種すら上手く扱えんとはな…」
「…………」
「というかだな、我のような王の中の王を動かす程口の立つ貴様が、我の小指の爪と比べても価値のない男を動かすことが出来ぬなど言語同断だぞ。我があやつ以下という事実は堪え難い…!」
「…………」
「おい、聞いているのか?」
「…………今日はもう寝ます。食べ終わったらどんぶりは流し台に置いてください」
「!」
鳴門を口に放り込み、残り少ない麺を啜り終えて立ち上がる。メンマを口にしようとしていたギルガメッシュさんは瞬く間に不機嫌顔に変わった。しかし私にはそれを宥める気力はなかった。
自覚はなかったが、とてつもなく疲れていたのかもしれない。
旅行と、聖杯グランプリからの英霊召喚、衛宮との決別。アサシンの登場に、自身のサーヴァントとの関係悪化、アーチャーさんの意味ありげな言葉にランサーさんの戦いの申し出。日記でも書いていればその慌ただしい出来事を一から整理出来ただろうが、いかんせん私は日記を書いていない。何かに頼ることもなく、頭の中で一つ一つの物事を順々にまとめていくなんて、キャパオーバーすることは間違いない。
ふらふらと寝室まで歩き、服は着替えず、化粧もそのままにベッドへ潜り込む。
ギルガメッシュさんのご機嫌メーターがマイナスにまで下降しているかもしれなかったが、そんなことを気にする余裕はほとんどもっていなかった。
「休める時に休んだ方がいい」と、アーチャーさんの声が頭にこだまする。
今だけは、色んなことを忘れて、ただひたすら眠ってしまいたかった。