羊飼いの憂鬱 | ナノ


「おうおう!道のど真ん中でイチャイチャするたぁ羨ましいねえ」


聞き覚えのある快活さを感じる男の声が至近距離から響くと同時に、背後から肩へ腕がまわる。


「ッ…!」


こんなに近くに近寄るなら普通足音がするだろう。ましてや今はどこも氷が張っている。一歩歩けば必ず音がする筈だ。人間では到底出来ない芸当で、そんな人間では出来ないことをいとも容易く行えることができるとしたら、サーヴァントくらいしか有り得ない。


急なことに固まる私を他所に、アーチャーさんは困っていた顔を引っ込めると途端に不機嫌な顔を浮かべた。器用な人である。


「何故貴様が此処に…」
「バイト終わって暇なもんでぶらぶらしてたんだがよォ、なーんか見知った気配がすると思って来てみたらいけすかねーヤツが嬢ちゃんといるじゃねーか。こりゃ邪魔しないわけにはいかねーってな。
よお、数日振りだな!そんなに緊張しちまってよぉ…オレのこと忘れたとは言わせねーよ?」


そう言って顔を覗きこんできた人物──ランサーさんは私に邪気のない笑顔を寄越した。黒の革ジャンは、見た目がだいぶチンピラな風貌である彼によく似合っている。


「…話の邪魔だ。失せろ」
「…あ?話なんて元からねーだろ。少なくとも、この嬢ちゃんの方にはな。…なあ、ちょっくらアンタに用があんだ。付き合ってくれねーか?」
「なっ…!」
「…用、ですか」



訝しげな表情になった私の顔を見て、ランサーさんは笑顔を崩さないまま私の左手にある令呪をとんとんと指で軽く小突きながら話を続ける。どうやら早くも私の変化に気付いていたらしい。

ただの世間話をしにきたようではないようだ。


「なーに、とって食うわけじゃねえ。殺そうなんて魂胆はこれっぽっちも持ってねーし、信用ならねぇってならこの場でゲッシュ……誓約を立ててやったっていいぜ」
「誓約……」
「詳しいことは後で話す。とりあえず、オレの誘いを受けるか、受けないか。どうする?…勿論、無理にとは言ってねえ。嬢ちゃん次第だ。この弓兵さんと話を続けてーってなら大人しく引き下がるけどよ」


目の前にいるアーチャーさんに視線を向けると、彼は何か言いたげな顔で私を見ていた。


……私をひどく気にかけるアーチャーさんの正体が分かるいい機会になるかもしれない。

だが彼は自分のことを話したくはない素振りを見せている。


「……あの、アーチャーさん。今日アーネンエルベから出てからのことは忘れませんか」
「っ!」
「…何だか…何て言ったらいいか分かんないですけど…その方がお互いの為になると思います。深く関わり合うのはアーチャーさんも望んでないでしょう?」

「…………」


アーチャーさんは、じっと私の顔を見ていた。その目にどういった感情を含めて私を見ているかは、分からなかった。彼は本音を隠すのが上手だ。真名は知らないが、英雄なのだから、様々な真実や秘密、感情を隠して生きる生活を送っていたのかもしれない。


「……そうだな。済まない、今日の私は少しおかしかった。気を悪くさせてしまったな」
「いえ…」
「…今度会う時は、また今までのように──………いや、聖杯が出現し、君がそれを手にするまでは近付かない方がいいか」
「…………」


答えない私に対し、アーチャーさんは口を歪めた。


「私は君と争うつもりはない。ないが…私は所詮主人には逆らうことの出来ない傀儡だ。君の言った通り、凛の言葉次第で君の喉元に矢を放つことも有り得ない話じゃない。……私としては、再び聖杯が出現しないことを祈るしかないようだ」
「…………」
「……そこの槍兵は女癖が悪い。気を付けてくれ。…おい、名前には手を出すな。出せば殺す」
「へえへえ喧しいお母さんだねえ……あー、ハイハイ、分かりましたよっと。出さねーって」


めんどくせーとぼやきつつも頷くランサーさんを睨んでから、少し心配そうな表情を浮かべて私を見る弓兵に「大丈夫ですから」と念を押すと、いい加減観念したらしい。アーチャーさんは私に別れの言葉を告げて一度も振り返ることなく私とランサーさんの前から立ち去ってしまった。



「何だぁアイツ?やけに保護者ヅラじゃねえか。…あ、もしかして金ぴかだけじゃままならずアイツも落としたのか? 坊主と揃いに揃ってとんでもねえテク持ってんだな」
「衛宮のことを言ってるなら一緒にしないでください……で、私に用ってなんですか」
「ああ。別れの余韻を邪魔するようで悪ィが、頼みがあんだ」


貴方の言葉で余韻なんてとうに宇宙の彼方に消えていきましたけどね。

そう言いたいのを堪えて、とりあえず肩にまわされた手を叩き、離れてもらうことにする。ランサーさんは「手厳しいんだな」と叩かれた手をひらひら動かしながら離れた。手厳しいというか、家族でも恋人でもないのにこんなに密着されたら困る。

「とりあえず、こんな道端で話すのもアレだ。近くに公園あったよな?」


あそこ行こうぜ。
公園がある方向を親指でくいくいと指すランサーさんに、これといった他意は見受けられない。だが相手は戦場を駆け回ったであろう男だ。幾つもの修羅場や死線をかい潜ってきたならば、殺気を隠すくらい朝飯前に違いない。

一歩も動かない私に、ランサーさんは私が何を考えているのか察したのか、「あー」と間の抜けた声を出した。


「話の前に…アンタに危害を加えねーって意志を示す必要があったな」
「……すいません」
「いや、オレから言ったことだしよ」


信用出来そうな人だと分かってはいても、一度疑い始めれば何もかもが嘘に見えてしまう。聖杯戦争の関係者には何事も疑ってかからなければならなくなった自分の立場に嫌気がさした。

私が自己嫌悪に陥っている中、何も知らないランサーさんは静かに右手を上げた。何か赤く光ったと思えば、次の瞬間、その右手の掌の中には赤く長い槍が収められている。

これがランサーさんの武器、なのだろう。


っていうか何でこの人槍なんか出してくるんだ。

射程圏内から離れようと数歩下がるが、相手は人間じゃないし、足音を立てることもなく背後をとることが可能なヒトなのだ。一気に間合いを詰めて心臓を一突きすることは造作もないだろう。こんな数歩下がったところで何も変わらないのは分かっていたが、下がらずにはいられなかった。せめてもの抵抗だ。
そんな無駄な足掻きをする私に、「今からやる儀式にはこいつが必要なんだよ」と言いながらランサーさんは槍を担いだ。


「なんにしろ、その態度を見る限り敵のサーヴァントに対する警戒はしてるみてえだな。聖杯戦争の参加者である自覚は持ってる。てめえのサーヴァントを連れていない時点でそんな警戒は無駄としか言いようがないが、その警戒心は評価してやるよ」
「…どうも」
「いーえ?…ま、とりあえず……ゲッシュ、って知ってるか?」
「いえ…」
「ゲッシュってのは、ケルトの方に伝わる誓約や義務…簡単に言うと決まりごとだな」


話によると、ランサーさんの生きていた時代には、ゲッシュという、神へ誓いを立てる風習があったらしい。風習とはいってもそれは騎士だけが許される行為なのだそうだ。誓いを立てて、その誓いが守られるならば神による加護が与えられ、破れば身に危険が及ぶほどの災厄、破滅をもたらすという。
以前の私が聞けば「おまじないか」程度の認識にしかならなかったが、魔術だ英霊だと実際に幾つもの有り得ないものを見てきた身からすると、守らなければ本当に身に災厄が降り懸かるのだと、言葉通りに信じてしまうしかなかった。


死ぬまで解放されることのない呪縛を使って私に危害を加えないと誓えば大丈夫だろう、という話を終えると、ランサーさんは槍を持っていない方の手を顎にあて、何か考え込むような仕種をする。


「例えば…オレは生前から幾つかのゲッシュを立ててる。『目下の者から食事を誘われたら断らない』とかな。あと『父親の女を奪わない』なんてゲッシュを立てた奴もいたみたいだ。要するに約束守らなきゃ死にますよ、って話。理解したか?」


ギルガメッシュさんに当て嵌めるとバイオのナイフ縛りみたいなもんか。ナイフ縛りしないと死ぬ、みたいな。


「でも、いいんですか。少し話をするだけでそんな誓い立ててしまって…」
「いーんだよ。元々手出しするつもりもねえし。そもそも女子供の命獲ったくれーで何が楽しいんだって話だ。仮に嬢ちゃんの命でも奪ってみろよ。あの金ぴかに唾付けされてるんだから考えるだけで恐ろしいね。流石の俺も命が幾つあったところで生きて帰れそうにねえ」



唾って……。
もっと何か良い表現はないのか。


「じゃあ、やるぞ。見てな」

担いでいた槍を両手で持ち、長い柄の部分をこつりと額に押し当てたランサーさんは目を瞑った。

すると彼の体が薄く青い光に包まれる。


「我、何時如何なる時も、かの聖杯に選ばれし乙女・ナマエに我が槍は向けさせぬ。何時如何なる時も、我が槍はその震える心臓を貫くことはなし。この誓い、破る時あるならば、空よ、落ちて我らを打ち砕け。地よ、裂けて我らを飲み込め。そして海よ、割れて我らを巻き込め」


そっと目を開き、静かに唇に弧を描いた英霊は再び誓いの言葉を口にする。


「──空が落ちぬ限り。地が裂けぬ限り。海が我らを飲み込まぬ限り。その瞬間が訪れぬ限り。我が一生を懸けてこの誓い、いざ守らん」


言葉を紡ぎ終えた途端、彼を包んでいた青い光は弾けて消えた。直ぐさま槍を仕舞ったところを見ると、終わったみたいだ。


「…私乙女って柄じゃないんですけど」
「処女だし別にいいだろ!」
「公共の場でそういう言葉を大声で言うのやめてくれません?」


まあ、生憎ランサーさんがゲッシュを立てるまでの間誰もこの通り歩いてなかったけど。慎みくらい持て。


「ゲッシュを立てた今、オレは嬢ちゃん……ナマエには手が出せねえ。っつーわけで、これでいいか?」
「はい。お手数かけてすいません」
「いーっていーって。毎回毎回警戒されんのもアレだしな。一回バーッと済ませておいた方が楽ってもんだ。じゃあ行くとしようぜ」




***




少し歩いたところに「冬木青空公園」という公園がある。この公園は、今の季節だと物寂しい雰囲気ではあるが、春になると満開の桜が咲き誇り、とても雄大な光景を見ることが出来るのだ。来年はギルガメッシュさんと花見にでも来ようか。庶民のやる行事と聞けば、多分あの自称庶民王は飛びつく筈だ。


──まあ、まだ春になってもあの王様がうちに居るなんて保証はないけど。


ランサーさんはベンチに座っているように言うと、どこかに行ってしまった。私は彼の指示通りにベンチへ腰掛け、彼が戻ってくるのを待つ。今か今かと待っていると、突然ココアの缶が視界一面を覆った。


「…わっ?!」
「はは、驚いたか? おら、さみーからこれ持ってな」
「………ありがとうございます」


わざわざ足音を立てずに、私の後ろへまわっていたらしい。心臓に悪過ぎる。

温かくなっているココアを受け取ると、ランサーさんは「よっ」と小さく声を上げながらベンチの背もたれを飛び越えて、ベンチに座った。彼の手には缶コーヒーが握られている。


「んでよ、早速だが頼みがあんだ。…いつの間にかサーヴァントを召喚した、アンタにな」
「………」
「勿論、タダで頼みをきいてもらおうなんざ思ってねえよ?ナマエにはオレの頼みに釣り合うくらいの条件を出してもらう。交換条件ってやつだ」
「………何でしょう」


ランサーさんは缶のプルタブをかちりと開けて、こちらを見た。

その目は、爛々と輝き、闘志が散りばめられている。


「──アンタのサーヴァントと、一戦やらせてくれねえ?」