羊飼いの憂鬱 | ナノ
やはりアーチャーさんとの雑談は楽しかった。彼は話し上手であり、聞き上手だ。話す時はちゃんと私の目を見ながら、私が話についているか反応を見ながら話してくれる。
だが一つ気になることがあった。それはほんの些細なことではあったが、何となく心の何処かに引っ掛かるようなことだ。

彼は私の話を聞く番になると、その一見冷たそうな表情を幾許か緩めて、何だかまるで懐かしいものを見るような。そんな顔をするのである。

少し気になりはするものの、何故そんな顔をするのかと尋ねるなんて野暮なことをすることはなかった。
彼の持つ領域に踏み込むことは、相手に私自身の領域への侵入を許すということだ。
「アーチャー」というサーヴァントとは、ただのお茶のみ友達という関係性で成り立っている。それだけでいい。そう思う自分がいた。本能的に、直感的に。第六感がそう告げていた。

何故だかは分からないが、あえて知る必要性もないだろう。
私はアーチャーさんと話をして心から楽しみを感じている。

その事実だけで充分だ。



「…──……名前?」
「! あ、はい。何ですか?」
「…疲れているのか?」


追加で頼んだケーキも食べ終わり、話も一息ついた頃。何気なく窓から見える通行人を見ていただけだったのだが、アーチャーさんは心配そうな声音で私の名前を呼んだ。


「いえ。ただ窓の景色を見ていただけで…すいません。折角のお茶会だっていうのに」
「名前。…私は無理に君と珈琲を飲もうとは思わない。君が元気な時に、愚痴でも……楽しいことでも、話したいことができたのなら、私は君と珈琲を片手に語り合いたい。それだけでいいんだ」
「…口説く相手間違えてますよ」
「! いや、これは…あくまで君の友人としてだな…」


慌てふためく弓兵に「分かってますよ」と笑いながら言えば、じろりと怖い顔で睨まれる。ギルガメッシュさんと違って手をあげられることはないと分かっているので怖くはなかった。


……もし今、アーチャーさんが私を聖杯戦争に参加した新たなマスターと知っていたとして接していたならば。
私は今のリラックスした状態でいられるのだろうか。

否。いられるわけがない。

心のどこかで危害を加われたりはしないかと、少なからず疑心なり不安なりを抱えてしまうに違いない。




***




「…さて。そろそろ出るとしよう。名前、君はアパートに戻ってゆっくり休め。休める時に休んだ方がいい」
「…そうですね」



アーチャーさんは渋っていたものの、前回の奢りと世話になっているから、としぶとく主張すると引き下がってくれたので今回のお代は私が持つことが出来た。
「またの来店お待ちしてまぁ〜す!」と挨拶をする店員に「ご馳走様」と挨拶を返してから店を出る。空は先程よりどんよりと灰色がかっていた。それよりも、今まで温かい所にいた所為で肌に触れる冷気が、前に外にいた時より遥かに冷たく感じる。寒い寒いと泣き言を言う私にアーチャーさんは小さく笑い声をこぼした。


……彼は私という人間を殺すことに躊躇いを感じはすれど、殺すことは出来るだろう。
聖杯グランプリの時がそうだった。はじめは迷いがあったが、最終的にはこちらにたくさんの剣や矢を撃ってきた。ギルガメッシュさんの運転技術がなければ私は今日アーネンエルベで珈琲を飲んではいないだろうし、ケーキも食べていなかった筈だ。


第五次聖杯戦争に参加した衛宮も遠坂さんも、互いに殺すか殺されるかの死闘を演じていたかもしれない。友達、知り合い同士が殺し合いを始めてしまうような戦争だ。私とアーチャーさんが殺し合いを始めたって、何もおかしくはない。
そういう世界で成り立っているから、おかしくとも何ともない。


「次に会う時は年明けか?年末になると君の仕事は忙しくなりそうだな」
「ええ、毎年この時期になると猫の手でも借りたくなります」
「ならば先程の店員でも連れて来るかね?猫に似ているからな」
「はは、いいですね」



アーチャーさんは、私を殺せる。
だが、自分はどうだろう。
ランサーというサーヴァントを使って殺せるだろうか。
直接アーチャーさんを殺すわけではないけれど、その命令を下すのは誰でもない私自身だ。



「よし、ならば私があの店員を連行するとしよう」



きっと私は、オディナさんに「アーチャーを殺してこい」なんて命令できない。

「………」


私には彼を殺すなんてことはできない。


アーチャーさんは何も言わずに私の歩幅に合わせて隣を歩いていた。どうやら私を送ろうとしているようだ。有名な遠坂さんの豪邸と、私の住むアパートは進路が違う。そして、行く時同様私を車道から遠ざけてくれている。
少し氷が張っていつもより固く、そして滑りそうな歩道に改めて冬の到来を感じつつ静かに足を止めれば、少し歩いた先で私が立ち止まったことに気付いた彼はこちらを振り返った。



「どうした?」
「……暫く会えないかもしれません」
「!…ああ。仕事の合間を塗って合わなくても──」
「そういうんじゃなくて……今、ちょっと…ごたごたがあって…」


オディナさんの言葉を思い返して、聖杯戦争の参加者になった今、ほいほい敵となるサーヴァントやマスターとの接触は控えるべきだ、と思ったのだ。今後のことはギルガメッシュさんに相談してみよう。今、私が唯一頼りにできる人物は半人半神のあの人くらいだ。…期待できるようなアドバイスを貰えるかは別として。


「そうか。君も苦労しているな。…もし何か困ったことがあったらいつでも電話してくれ」
「…ありがとうございます」


原因はあなた方サーヴァントです!とも言えず曖昧に笑えば、アーチャーさんは私の顔をまじまじと見つめてから、ふっと視線を地面に落とした。


「………このままじっとしていても風邪を引く。少し急ごう」
「そうですね」


家にギルガメッシュさんはいるだろうか。完全に私を見放したオディナさんも、ちゃんと居るといいんだけど。
そんなことを考えながら彼の元に駆け寄れば、彼は黒のコートを翻して歩き始めた。





***



「じゃあ、私はこれで…」

「………名前」
「はい?」



暫く歩いたのち、我が家であるアパートの姿が見えてきた。別れの挨拶をしようと口を開くと同時に後ろから名前を呼ばれ、振り返れば、今度はアーチャーさんが立ち止まっている。いつの間にか視界に黒色がちらつかなくなっていたことに、今更ながら気付く。
どうかしたのだろうか、とアーチャーさんを見るが、彼は俯いたままでこちらを見ようとしない。


「……アーチャーさん?」

「…私は先程ああ言ったが…君は絶対私に相談などしないのだろうな」
「…………」
「…私は君にとって信用に欠ける男か?」

「……はい?」



予想だにしていなかった問いに反応が遅れる。何なんだ突然。どういうことか尋ねようとする前に、アーチャーさんは自嘲めいた笑い声を漏らすと、不意に顔を上げた。




「──思い返せばそうだったな。名前はいつだってオレを頼りにしてくれない」



そう告げたアーチャーさんの顔は悲しげな表情で、いつもより少し子供じみていた、気がする。

…どうしてそんな、あの時の衛宮に似たような表情をするのだろう。

何も言えずただただそこに佇む弓兵を見ることしか出来ずにいると、彼は私に静かな足どりで近寄り、自然な動作で私の左腕を持ち上げた。

視線は、令呪が浮かんだ左手に送られている。

包帯によって隠されているそこは、私とギルガメッシュさん、そして私のサーヴァントであるオディナさんしか知らない。


「……っ!」


咄嗟に振り払おうと左右に振ってみるが、がっちりと捕まれている為に拘束からは逃れることは出来ず。
アーチャーさんは何も表情を浮かべないまま、包帯の結び目に手を付けた。


──アーチャーさんは始めから分かっていたに違いない。そう仮定するといつもより何となく曇ったような表情が多かったことに理由がつく。


「アーチャーさん!ちょっ…離してください!」
「ああ、これを解いたら離すとも」
「いや、解かないでいいですから!話聞いてます?!」


私の抵抗も虚しく、ぎちぎちに固めていた結び目は彼の手によってぶちりと引っ張られ、破れた。後で再び巻けるようにと結び目を解く、という配慮は頭になかったらしい。いつもの紳士のような心遣いは何処へ消えたのか。

アーチャーさんは包帯を緩めると、私の手の甲に巻かれてあるそれを少し掻き分ける。



「………やはりそうか」
「…………」



……彼の目が令呪を捉えるのに時間はかからなかった。

言い逃れは出来そうにない。



「どうして…君は普通の人間の筈だ…いや、前に聖杯グランプリで会った時は何処にでもいる人間だった」
「………どうして分かったんですか?」
「…匂いだ。君からは漂う筈のない魔力の匂いがした。……何があった」
「……色々と」
「色々じゃ分からないだろう。…サーヴァントは?今何処にいる?」
「…殺し合うかもしれない相手に事情を話して私に何か得があるんですか?」


そう言えば、アーチャーさんは微かに眉間の皺を寄せた。それと同時に左手を掴む手の力が強くなる。正直呻き声を出したくなる程痛かったが、泣き言すら言えそうにない雰囲気の中そんなことは出来る筈もなく。



「……君は、私が君を殺す、と。そう思っているのか」
「……聖杯グランプリであんな攻撃されたら嫌でもそう思いますよ。また本物の聖杯を懸けた聖杯戦争が始まったら、アーチャーさんは私なんて簡単に殺すでしょうし」
「……そう思われても仕方あるまいな。だが…一つ言わせてもらおう。私は君を殺さない」


意思が強く込められた目が私を見つめる。その真剣な表情は、嘘を付いているようには見えなかった。


「…令呪で命令されれば意志も関係なくなるのに?」
「………名前、私は君を聖杯戦争に関わらせたくはない。とりあえず、事情を話してくれ。私なら君を元の状態に戻すことが出来るかもしれない」


そっと両肩に置かれ、アーチャーさんは私の顔を覗き込んできた。
確かに彼の言葉は魅力的だ。
頼んでもいないのに魔術回路を埋め込まれ、家政婦サーヴァントだかを召喚されて、強制的に聖杯戦争の参加を余儀なくされてしまった。魔術回路を持たない普通の人間に戻って聖杯戦争も何もかも関係なく、ギルガメッシュさんと平々凡々な庶民生活を送れたらどんなにいいかと思う。でも、そんな生活を聖杯くんは許してくれないだろう。何よりも、私が聖杯を手に入れる為に召喚されたオディナさんはどうなる。いい加減な感じに召喚されて、いい加減な感じにこの世から消えるなんて、彼の持つ人間不信のパラメータが益々上昇していくに違いない。それは絶対に避けたい。聖杯くんが介入して召喚したとしても、召喚する一因として私が含まれていることは考えずとも分かることだ。今回の召喚騒動に関わりのない人の手は借りず、蹴りをつけるべきだろう。




「自分のやらかしたことですから。自分で何とかします」
「……ほら、やはり君は誰にも頼ろうとしない。何が原因だ?何が君をそうさせている?…衛宮士郎の存在が君をそうさせたのか?」

「っ…!」



肩に緩く置かれていた手に、これでもかというくらいの力が入る。あまりの痛さに、無意識に顔が歪んだ。離れようともがけど、「逃がさない」とでも言うようにその手の力は緩む気配がない。
どうしてだろう。何故こんなにもアーチャーさんが怒っている理由がさっぱり分からない。アーチャーさんとは珈琲を飲んで話すくらいしか接点がないのだ。数回しか会って話したことのない人間に立て込んだ複雑な事情を話すほど、私は彼と深い関係ではない。


「…アーチャーさん…痛い…」
「何故私に話してくれない? 衛宮士郎よりは信用出来るだろう。あいつは君を気にかけながらも何もすることが出来なかった男だ。私は…奴とは違う。私は…君の未来を変えられる力は持っている筈…」
「…?…あの…」
「記憶が…残ってるんだ…あの時…」
「………?」
「もうあの光景は見たくない…


オレはッ!もう一度名前の消えた部屋を見るなんて御免だッ!!」




「──衛宮?」





…………あれ。

今、私何て言った?

目の前にいるのはアーチャーさんだ。衛宮である筈がない。というか、どこをどう見間違えれば衛宮になるんだ。馬鹿か。背丈からして違う上に、髪型髪色肌の色目の色まで何もかも対の位置にいるような二人を間違えるなんてどうかしている。林檎の色は青いです、と言うくらいにおかしい。


それなのに、どうして呆然とこちらを見ているのだろう。

数歩後ろに下がると、幾らか緩んだ両手からは案外簡単に解放された。

「ああ、すいません。前に衛宮と口論になった時思い出して……あの、私、ずっと考えてたんです。グランプリの時、ギルガメッシュさんが『アーチャーさんにとって私は家族にも等しい存在だ』って言ってて……私はアーチャーさんと話すようになったのなんてわりと最近だし、そんな風に思われる覚えがないんですけど。……私、貴方と会ったことありましたっけ?」



当然、すぐに否定の言葉が返ってくるだろう。そう思いきやアーチャーさんは少し困ったような顔で地面に視線を落とした。あれ。どうしてそこで悩む。ここは悩むところじゃないだろう。肯定されたらどうしよう。私はアーチャーさんと会った記憶なんてない。生きてきたこの十数年間、記憶喪失なんて起きたことはない。こんな褐色肌の銀髪頭の人間を忘れることが出来るのならば、普段からこんな珍しい髪色をした人間をたくさん見ていなければ忘れられないだろう。


「………それは──」



「おうおう!道のど真ん中でイチャイチャするたぁ羨ましいねえ」


アーチャーさんの返答は、背後から発せられた空気の読めないからかいの言葉によって聞くことは叶わなかった。