羊飼いの憂鬱 | ナノ
オディナさんは言いたいことを言えて満足したのか、「本陣に戻ります」とだけ言ってそのまま霊体化してしまった。

…本陣って……多分アパートのことなんだろうな…。

おにぎりを包んでいたラップは綺麗に折り畳まれて彼の座っていた場所に置かれている。
律儀な人だ。
そう思いながら自分の持っているラップと一緒くたに丸め、近くのゴミ箱に投げればものの見事に外れてしまった。

どうもうまくいかない。


このままこんな状態が続くのはお互いに良くないだろうとは思う。ちゃっちゃとそれらしい願いを叶える為に、第五次聖杯戦争の舞台で死闘を繰り広げた英霊を討って終わりにさせるのが一番だ。
…だが今まで会ってきたサーヴァント──アーチャーさんやセイバーさん、それにランサーさん──にいきなり敵意を向けるのも何だかおかしな話である。セイバーさんはギルガメッシュさんがあの部屋で怠惰を貪るようになってから(衛宮の指示ではあったけど)わざわざ泊まりに来て様子を見てくれた。アーチャーさんに至っては私がギルガメッシュさんにこき使われていることを心配してくれている。ランサーさんはギルガメッシュさんの愚痴なら聞いてやると言ってくれた。他のサーヴァントがどんな感じかは知らないが、この二人に刃を向けるなんて恩を仇で返す行為と変わらないのではないだろうか。
…アサシンさんはよく分からないけど。

重い溜息は白い靄となって口から吐き出され、空気中に霧散していく。それをぼんやり眺めながら、私は懐から携帯を取り出した。


かちかちとボタンに触れ、電話帳を開く。


外気に触れた携帯が、今はやけに冷たかった。




***




遠目から見ても褐色の肌は一際目立つ。

待ち合わせ場所に指定したアーネンエルベから少し離れた場所にあるコンビニの前に、アーチャーさんはいた。私が彼に気付く前から私に気付いていたのか、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。黒のコートをばっちりと着こなしている彼は、オディナさんとは全く大違いの優しい目をしていた。


「こんにちは。時間早めちゃってすいません。大丈夫でした?」
「ああ、こんにちは。凛も学校に行っているし、やることはほとんどない身でね。早く会えて良かった。…さて、積もる話は温まる所でするとしようか」
「そうですね」


このまま暫く歩いた所に私達の目的地はある。アーチャーさんは私の横に並ぶと、私の歩調に合わせながら歩いてくれた。
さりげなく車道側を歩いているのが何とも言えない。切嗣さんを好きになっていなければ、アーチャーさんを好きになっていたかもしれない…と思ってしまうほど、本当にできた男の人だ。
ギルガメッシュさんじゃこんな些細な気遣いできっこないだろう。っていうか逆に「我の為に死ね」と私を車道側で歩かせて気分によっては車道に突き飛ばす感じだ、あの人は…。


「毎日冷えて寒いですね」
「そろそろ冬木にも雪が降るらしい」
「え、ほんとですか。やだな…階段滑るし」
「君は二階に住んでいるんだったな」
「はい。毎年凍ると厄介で…」



「……冬の間だけ家に帰ればいいだろう。少し騒がしいかもしれないが」
「…衛宮の家ですか?いや、あそこ私の家じゃないんで」
「君はそう言うが、あそこは名前の家だ。──と衛宮士郎が言っていた」


衛宮め…関係ないことつらつら喋るなよ。


「衛宮が勝手に言ってることなんで。私の現住所はあのアパートですから」
「……そうか」


何だか重い空気になってしまった。折角ゆっくり話が出来るのだから、せめて楽しい話がしたい。「風邪とか気をつけてくださいね」と元々の話題に戻すと、彼も察したのか「君もな」と困ったものでも見るような表情で返され、この話はここで終いとなった。




****




アーネンエルベに入った瞬間、温かい空気に混ざった珈琲の苦い匂いが鼻腔を擽る。
「いらっしゃいませぇー」と、猫のような店員が独特な声を上げた。相変わらず小さい。そんな店員に窓辺の二人席に案内され、私とアーチャーさんはそれぞれコートを脱いで腰掛ける。すると店員はメニュー表を開いたアーチャーさんを赤く輝く目をジト目にして睨み、「お客さーん、この間みたいなことになったら入店禁止にしますからね。そこんとこヨロシクー」と言うと、トコトコとカウンターの方に去って行った。

入店禁止って……何かやらかしたのかこの人。

アーチャーさんはというと、苦い顔をして遠い目で窓から見える通りを見つめている。


「…何かやっちゃったんですか…答えたくないなら無理に答えなくていいですけど…」
「……この前此処に来た時にカレー好きのシスターに仕える使い魔と相席になったんだ。…お互いの主人の暴虐っぷりについて話してたんだが………その、偶然にも凛とその主人が来店して…」
「最後まで言わなくていいです。大変だったのは分かったので。とりあえずほら、注文しましょうか」
「…………ああ」


遠坂さんの制裁は彼を黙らせてしまうくらい酷いものだったらしい。
オディナさんのような死んだ目になりかけているアーチャーさんからメニュー表を取り上げて「あ、このケーキ美味しそうですよ」と声をかける。今の時間くらい自分を抑圧する存在のことなど忘れてしまった方がいいに決まってる。すると彼は「君は優しいな」と、柔らかい笑みをこぼした。


「別に普通だと思いますけど。アーチャーさん何頼みます?」
「珈琲だけでいい」
「了解です。すいません、注文お願いします」


珈琲を二つ、それとケーキを一つ頼むことにした。珈琲は勿論温かい方だ。
注文にとりにきた店員──先程の店員とは瓜二つだが髪色やら目の色が違う──は二、三度頷くと案内してくれた店員の方に走っていく。

どれも同じにしか見えない……身内で経営してんのかな。

店員がカウンターの中へ入っていく様子を眺めているとふと視線を感じた。顔の位置を正せば、軽く頬杖をついたアーチャーさんが真顔で私を見つめている。
あ、あれ、さっきまでの柔らかい雰囲気は何処にいった。何か地雷でも踏んでしまったのだろうか。無理矢理メニュー表を奪ったからか?


「あ、あの、アーチャーさん…」
「名前。楽しく話をする為に、まず私は君に謝らなければならないことがある」
「……?」


アーチャーさんが私に謝らなければならないことなんてあったっけか。
最近あった出来事を掘り返し、なんか最近色んなこと起こり過ぎじゃないのか…何か悪いものでも憑いてるんじゃないないのか…と考えたところで、最近アーチャーさんと関わり合った出来事を思い出す。


聖杯グランプリだ。


「……聖杯グランプリの途中に剣やら何やら撃ってきたことなら気にしてませんよ。表向きはレースだったとしてもあれはれっきとした聖杯戦争で、相手の動きを封じたり攻撃したりするのは当然のことだっただろうし」


ギルガメッシュさんは戦車壊してたし。…間接的にだけど。
だがアーチャーさんは渋い表情で首を横に振った。


「違う…いや、それもそうなのだが…」
「……何かありましたっけ」
「電話だ」
「電話……あー」


…そういえばレース前日にかかってきたな。ギルガメッシュさん曰く、自分の様子見の為の電話だったらしいが、このアーチャーさんの様子だとあの人の言ってた通りみたいだ。


「君に連絡をとるついでだったのだが、何だか忍びなくてな。レースが終わった今になっても君のことを考えると電話のことを思い出してしまう」
「いや、別に…それも気にしないでください……あの、私もギルガメッシュさんに言われて家で暢気にゲームしてるー、なんて嘘付いちゃったし…」


謝ろうと思ってたのにギルガメッシュさんと出掛けたりオディナさん召喚しちゃったりどたばたしていたお陰でずっと忘れていた。


「君は英雄王に逆らえない身だ。仕方のないことだろう」
「だとしてもほら、アーチャーさんに嘘を付いたことに変わりはないですし。ここはお互い様ってことでいいんじゃないですか」
「……そうか。…そうだな…」


ではそういうことにしよう、と頷くと同時に「お待たせしましたぁ〜」と珈琲とケーキがテーブルの上に並べられる。
美味しそうだ。
小さくいただきますと呟いて、一口食べてみた。ふんわりとしたスポンジと甘すぎない生クリームが舌によく馴染んで溶けるように消えていく。
とても美味しい。このケーキはアーネンエルベお手製なのだろうか。普段ケーキを作る機会なんてないが、出来ることならレシピを手に入れたいものだ。
思えばケーキを食べたのなんて久し振りなんじゃないか。近場にケーキ屋がない所為でケーキとは縁のない生活を送っていた気がする。


「ところで、ずっと気になっていたんだが…」
「はい、何でしょう」


すると「その左手は…」と、アーチャーさんは令呪が施されている左手に目を落とした。矛盾が発生しないように、衛宮にした嘘を同じく話す。
やはり甲全体に包帯を巻くのは嫌でも目だってしまう。帰ったら肌の色に近い貼れるガーゼでも探してみるとしよう。
そんなことを思案する私をよそに、アーチャーさんは左手を見つめたまま気難しそうな表情を浮かべた。


「…………そうか。油の取り扱いには充分注意してくれ。最悪の場合火事になることもある」
「はい。気をつけます。…アーチャーさんって普段料理とかされるんですか?」


そう尋ねるとアーチャーさんはカップを片手で持ちながら、気難しそうな顔から一転、ふっと口の端を上げて得意げな表情に切り替えた。ギルガメッシュさんとはまた違ったどや顔だ。どうやら得意らしい。


「英雄に家事手伝いを頼むっていうのも何だか恐れ多い話ですね」
「そんな言葉を凛から聞いてみたいものだな……凛といえば、彼女から君へ言伝を預かっている」
「遠坂さんから?」
「ああ。『聖杯グランプリでの借りは必ず返す』、と」


えええ何だそれ……首を洗って待ってろ的な…?だがよくよく考えてみれば遠坂さんが怒る理由も分からなくはない。彼女には聖杯に叶えてもらいたい願望があったのに、私はそれを奪いとってしまった。それくらいならまだしも、私の願いは「準優勝と準々優勝の二チームに賞金を与えて欲しい」というしょぼい願いだ。夜道を歩く時は気をつけなければと思った私の顔を見て、彼は付け足すように口を開く。


「そういう借りではなくてだな…悪態をついてはいたものの、感謝していた」
「…本当ですか?」
「ああ。…凛の家──遠坂家は代々宝石を主軸とした魔術を使っているんだ。宝石は消費が激しくて莫大な金がかかる。グランプリ前は頭を抱えて奇声をあげつつ転がり回っていたな。衛宮士郎の存在がなければ三食満足に食うこともままならない状況だったから、凛は君に救われたといっても過言ではない」
「…へ、へえ……魔術師も大変ですね…」
「そんなマスターに振り回される私の身にもなって欲しいな。体が幾つあっても足りん」


って言いつつ振り回されるのも悪くないとか思ってるんだろうな。
アーチャーさんの愚痴は大概遠坂さんの横暴な行いと、彼女の命令によって受けた理不尽な仕打ちが大半で、話を聞いていると、聞いているこちらが遠い目をしてしまいそうになるくらい酷い内容が多い。
それでもアーチャーさんと遠坂さんは互いを信じあっている、と思う。第五次聖杯戦争でどのような活躍をしたのかは分からないが、聖杯グランプリで走る姿を見ればそこにある信頼感の存在には気付く筈だ。アーチャーさんは無免許である遠坂さんの運転を心配することなく私達に攻撃を仕掛けてきたし、遠坂さんもアーチャーさんが私達を撃ち落とすと信じて彼に命令した筈だ。
ツーカーの仲とは言わないが、マスターとサーヴァントの関係としてはこれが理想だろう。先程関係がほぼ破綻の状態にまで進んでしまった私としては羨ましい限りだ。



「名前、どうかしたのか?」
「……ケーキ、美味しかったから…他のも頼んでみようかなって…」
「君がそんなにも気に入るのならさぞ美味いのだろう。どれ、私も頼んでみるか」


アーチャーさんが店員を呼ぶ傍ら、少し冷えてしまったものの、未だ温かさを保っている珈琲をゆっくりと飲み干した。