羊飼いの憂鬱 | ナノ
今年最後になるであろうお参りを済ませて山門の所に戻ってくれば、門に寄り掛かるアサシンさんと、そこから少し離れた所で所在無げに立っているオディナさんが同時にこちらを振り返った。


「………用は済んだのですか」
「はい。待たせてしまってすいません。…じゃあアサシンさん、私達そろそろ帰ります」
「……次会う時は我がマスターの命によってはそなた達に刀を向けねばならん…だが、それも定めの一つならば致し方ない。その血を流したくないのならば精々魔女が思わず首を縦に振るような交換条件を考えておくことだ」
「はい。ありがとうございます。お邪魔しました」
「……少しお節介かもしれぬが」
「…?」
「狂犬は飼い主に噛みつくものだ。好機を窺い、急所を狙う。主には狙われる頃合など分からんだろう。常々油断はしないように」
「………えっと」
「ではな、苗字殿。また此処に来られた時には、茶でも一杯」


どういうことですか、と尋ねる暇もなく、アサシンさんは手を上げると姿を消してしまった。彼のお節介が何なのか気になるものの──今日はもう此処に留まる理由はない。多分まだそこに居るんだろうが、私達の目的の人物はアサシンさんではないし、何しろオディナさんは早く立ち去らないのかと無言の催促をしている。帰ろう。

遠く広がる冬木の町並みを目に収めてから、つらつらと長く続く階段に視線を落とした。

こう、何段も階段があると下りるのが厄介だ。転んだらそこで一発K.O.と考えると、嫌でも慎重になってしまう。

のろのろと足を進める私とは対称的に、オディナさんは軽い足どりで階段を下りると、鈍臭い私を待っていた。無表情──というよりは仏頂面といった方が近い。心なしか苛々しているように見える。キャスターに会えないどころか敵のアサシンさんやマスターの自覚がない私に宥められた所為かもしれない。「俺に恥をかかせたのがこいつみたいなウスノロなんだから世も末だな」とか思ってそうだ。そんな妄想を働かせてしまうほど、オディナさんの目は冷たい。


「…げほ…、…ん、けほっ」


その時、オディナさんが口元を押さえ軽く咳込み始めた。あれ、風邪でも引いたんだろうか。それとも生前から何か喘息紛いのものでも持っていたのか。


「…大丈夫ですか?」
「げほっ、ぐっ、大丈──…げほっ、げほ…っ」


慌てて階段を下りて近寄る私に、彼はそっと手で制し、私に背を向けて咳き込み続ける。どうしよう、何か、薬とか、なかったっけ。生憎、私が持ち歩いている薬は頭痛薬ぐらいしかない。そもそも人間の薬は英霊にも効くのか?とああだこうだ考えていれば、咳が落ち着いたらしいオディナさんは口元を押さえたまま私を振り返る。その顔はどこか苦しそうだ。



「見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ありません」
「いえ…薬とか要ります?」
「…不要です」


「…あ……」


気まずいのか、彼は視線を逸らすと霊体化して姿をくらましてしまった。
それぐらい私の傍にいるのは嫌らしい。


………まあ、好かれるようなことをした覚えもないんだけど。


「(……オディナさんこれからどうします?)」
『……………主のご意思のままに』


お前の好きに俺は動くぞ、ってか。それが一番困るんだよ…。
時計を見れば、短針は一に、長針はもう少しで十二に到達しそうになっていた。アーチャーさんは私の用事が終わるまで散歩をしていると言っていたが、そんな約束の一、二時間前から散歩なんかしているんだろうか…。いや、いくらなんでもそれはないだろ。遠坂さんが衛宮邸に腰をおろしているからと言って、アーチャーさん個人がやりたいこととか色々あるだろう…多分。

それに…私は切嗣さんの墓参りが出来たから良かったものの、仕事が終わるまでずっと私を待っていたオディナさんを一人で自宅に帰らせるのも彼に申し訳ない。かといってアーチャーさんと会わせるのはまずい。


…………。


「(…私、三時くらいに約束があるんです。時間になるまで話でもしませんか)」


夜に話し合おうと思っていたが、丁度良いかもしれない。


前方からやってきた犬の散歩中であるおじいさんを見つめながら呟くと『…主が望むのなら』と、意思はなく、感じる温度さえない返事が返された。




***




円蔵山近くの公園は遊具が極端に少ないくせに、やけに広い。ブランコとシーソー。動物の形を模した乗り物が二つ。遊具から少し離れた所に、その遊具を使って遊ぶ子供を落ち着いて見守れるように──という配慮なのか、ベンチが設置されている。
遊具が全然ないことと、真昼間という小学生もまだ勉学に励んでいる時間となると、公園には誰もいない。…元々、この近辺は人気が少ないのだ。

──すなわち、オディナさんが霊体のままでなくとも、そんなに周囲へ気を配らなくてもいいということにも繋がる。


「どうぞ、これ」


背筋をぴんと伸ばしてベンチに腰掛けるオディナさんに、先程ネコさんからいただいたおにぎりを差し出す。するとオディナさんはラップに包まれたそれを眉一つ動かさずに見つめた。


「おにぎりです。西洋のパンみたいな立ち位置の…」
「──その程度の知識なら聖杯から与えられています。何故、魔力が足りている私に?」
「食べ切れないんで手伝ってもらおうと。体調が悪いんでしたら、食べなくていいんですけど」


「体調はご心配なく。…………承知した」


てっきり「そんなもの、英雄王にあげれば良いのでは?」と言われるのかと思ってばかりいたのだが、オディナさんは一度頷くと私の手からおにぎりを自分の手元に持っていく。
彼はラップの包みを剥がしながら、私に目もくれず言葉をこぼした。

「……断りの言葉を入れても貴方は私が受け取るまで食事を摂らないおつもりでしょう」
「……はい」

徐々に行動パターンが読まれてきているらしい。…まあいいや。
私もおにぎりを取り出して海苔で真っ黒い塊になっているそれを一口食べる。絶妙な塩加減が効いていることと、ご飯の柔らかさが丁度良い具合だ。食べ進めていると紅色の鮭が白いご飯の中から顔を出す。ご飯の中にぎっしりと入っている鮭は、そんなに味はついていないものの、ご飯に付いている塩のお陰できちんとした味付けになっていた。

やっぱり手作りはコンビニの売り物とは段違いだ。今度店長にお礼を言おう。
そう考えながら食べていると無言で食していたオディナさんが口に含んでいたご飯を飲み込み、「アーチャーに会いに行くそうですね」と、話し掛けてきた。


「………知ってたんですか」
「室内では嫌でも聞いてしまいます故」
「…止めますか」
「……いくら私が止めようとも貴方は敵のサーヴァントと馴れ合うことはおやめにならない。私に止める術など持ち合わせていない」
「………」
「それに…今行われている聖杯戦争は、以前私が召喚された時の戦争とは毛色が違うことが分かりました」

おにぎりを食べる手を止めて彼の顔を見れば、濁った橙色のような、黄土色のような、死んだ魚の目で私を見ていた。どういう訳か暫く無言で互いに見つめ合っていたが、先に視線を逸らしたのは私だった。

…オディナさんのおにぎりの具はたらこか。


「…どういったことが違うんですか?」
「……キャスターがハワイ旅行へ行っているという事実です」

「………」



思わず引き攣った口角をおにぎりを食べることで上手く隠した。
オディナさんは至極大真面目で言ったんだろうが、何だろう。召喚はじめから反抗期で私とギルガメッシュさんを養豚場の豚でも見るかのように冷たい目で見てくる彼の口から「ハワイ旅行」という言葉が出るとは思わなかったのだ。あまりにも外見と態度からは不釣り合いなその単語にちぐはぐさを感じながら、どうしてそう思ったのかを尋ねる。


「思えば貴方がたが参加したという聖杯グランプリという聖杯を賭けたレースが行われたところから理解するべきだったのでしょうが……私が参戦した第四次聖杯戦争はこんなにも平和的なものではなかった」

それからオディナさんはぽつぽつと第四次聖杯戦争で起こったことを話し始めた。キャスターやそのマスターが子供の誘拐や殺人を繰り返していたことや、オディナさんとそのマスターがいた陣地が爆破されたこと。キャスターが大きな怪物を召喚して冬木市が壊滅の危機に晒されたこと。
今の状況に比べればよっぽど危険で、常に死と隣り合わせな状況であったことが分かった。そのことを踏まえればオディナさんが警戒心の欠片もない私に怒る理由も分かる気がする。

「成る程……今は第五次聖杯戦争の延長戦みたいな戦争ですし、知り合いに聞いた今までに起こった虎聖杯のいざこざもそんな大それた事態じゃないみたいだから、そんなに前の戦争ほど気を張らなくても良いんじゃないんですか?」
「…そうかもしれません。ですが…それは敵のサーヴァントと親交を深めて良い理由になるとは思えない」
「………」


その言葉には、どこか感情が込められていた。
思わずオディナさんを見上げれば、彼は微かに顔を歪ませておにぎりを持っていない方の拳をぐっと握り締めている。


「互いに敬い、信じていたとしても…元を辿れば敵同士。殺すか殺されるか。それしか道は残っていない」
「………互いに互いの苦労を理解して、仲間意識を持っていたとしても?」
「…尚更自分が傷付くだけだ。理解しあうほど、裏切られた時の傷は深くなる」


貴方は今の私の言葉を聞いても、アーチャーの元に向かうのでしょう?
…もし貴方がアーチャーに殺されかけたとしても、聖杯を手に入れないまま死なせる訳にはいかないと聖杯くんが何とかするから大丈夫でしょう。思い返せば、私も貴方も聖杯くんの加護がある。私が貴方を護らずとも、貴方は死ぬことはない。
どうぞ御勝手に、アーチャーと会うなり何なりなさってください。

そんなことを言ったオディナさんはおにぎりに齧り付いた。

話はここで途切れる。


「…………」


彼の言動はまるで誰か──信じていた人物に裏切られたかのような口ぶりだった。前のマスターにだろうか。…いや、前のマスターは彼を道具としてしか見ていなかったらしいし、第一…敵同士なわけじゃない。だとしたら他のサーヴァントやマスターを信頼してたってわけか?もし従ずるべき相手が自分をモノ扱いしていて、でも誰かがそんな自分をものではなく人として…一人の騎士として扱ってくれたなら、誰だってその人物を信用してしまうだろう。

例え、それが敵の立場にいる人物だとしても。

一体オディナさんが参戦し、脱落していった第四次聖杯戦争に何があったのか。
オディナさんの生前の経歴も含めて調べる必要がありそうだ。


彼に言われたことに対する言葉や疑問を飲み込むように、最後の一口であるおにぎりを口に投げ入れた。
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