羊飼いの憂鬱 | ナノ
紅葉の季節も終わり、初雪が訪れるのもカウントダウン出来るぐらい近いと山もひっそりとしていた。少し前の円蔵山なら近所の人や観光客が赤、黄、橙で彩られている山道を笑顔で歩いていただろう。円蔵山は綺麗な紅葉が見れることで冬木の観光スポットの一つとして有名だ。だが観光シーズンを終えると寺の関係者か墓参者しか見ることがなかった。

ここ上がるのちょっとしんどいんだよな、と山の頂上にある寺に続く階段を見上げる。だが昇らなければいつまで経っても寺には行けないし、アーチャーさんにも会えないのである。


『……主、ご指示を』
「(…とりあえず霊体の状態を継続で)」
『…承知した』


オディナさんの返事を聞いて階段を一歩、一歩と踏み締める。
そういえば今日の夕飯どうしよう。今後の聖杯戦争を有利に動く為にもギルガメッシュさんから情報を聞き出す必要がある。ならばあの人の気分を良くするような献立がいいだろう。最近ほんとに寒くなってきたことだし、ビーフシチューとかどうだろう。なら帰りに肉買いに行かなきゃならないな。アーネンエルベから近くのスーパーで肉の安い所って何処あったっけか。

悶々と考えごとをしながら上ると、あっという間というわけでもなかったが頂上に辿り着いた。目の前には立派な門がそびえ立っている。それほど息は乱れていない。まだまだ私の体力も捨てたもんじゃないらしい。
一度軽く深呼吸をして、門に触れる。それと同時に後ろから思い切り肩を引っ張られ、その行動に何の予知もしていなかった私は思い切りバランスを崩して背中から誰かの腕の中に閉じ込められた。突然の、予想だにしていなかったことに驚いた心臓がばくばくと動く。

「ちょっ…オディナさん──」
『…白々しいな。そうやって気配をちらつかせるなら最初から姿を見せろ』


私の右肩を鷲掴みにして左右に鋭い視線を投げるオディナさんは、左手に紫色の布が巻かれた黄色の槍を手にしていた。いつの間に。
こうやってオディナさんが何者かの気配を察知して実体化したということは、もしかしなくてもキャスターがすぐ近くにいるのだろうか。

「此処にいるのは分かっている。さっさと姿を現せ」

オディナさんの低い声が静かな門前に響く。私と彼の間を冷たい北風が通り過ぎていき、何枚もの枯れ葉がかさかさと音を立てて地面を這っていった。誰も何も音を立てない。キャスターはだんまりを決め込むつもりらしい。小さく溜息を一つついて、どうしたものかと考えを巡らせようとした次の瞬間、事は動いた。



「女子に溜息を吐かせてしまったな。ほんの戯れのつもりだったのだが──…これは失礼した」
「!」

一際大きな風が吹き、びゅうびゅうと枯れ葉が舞う中、その男は現れた。
腰まである長髪に、これでもかというくらいに長い日本刀。上等そうな袴を身につけた姿はどこからどう見ても侍だ。驚く私に、侍は整った顔についている唇の端を上げる。そして胸の前で組んでいた片手を上げた。まるで親しい友人に会った時にするかのような軽い挨拶に、少し面食らってしまう。見た目に反して結構馴れ馴れしい。


「今月は来るのが少し早いな、苗字殿」
「えっ」
「そしていつの間にかサーヴァントを連れたマスターとなっていたとは驚きだ。先月此処に訪れた貴殿には魔力の欠片も感じなかったというのに。いやはや、不思議なこともあったものよ」

……何で月参りしてんの知ってんだ、この人。そして何で私が魔術回路の一本も持っていない人間だったということを知っているんだ。

そんな内心焦る私に突き刺さるような視線を送る人物が一人。常に私に送る視線は絶対零度である英霊は「………主」と低い声で私を呼んだ。お前はこのサーヴァントと知り合いなのかと、そう問い質したいらしい。


「知らないです。初対面です」

こんな侍知り合いにいない。断じていない。
咎めるようなオディナさんの冷たい視線に直ぐさま否定の声を上げると、そんな私の姿が面白かったのか、侍は軽く笑いながら門に寄り掛かった。その一動作に私の肩を掴んだままの騎士は槍を構える。じりじりと嫌な雰囲気が漂う中でも、侍は何でもないかのように涼しい表情でこちらに顔を向けた。

「まあ待て、若き武人よ。短気は損気だという言葉がある。何事も冷静に、怒りに任せてはまともな判断が出来ずに誤った選択をしてしまうもの。少し頭を冷やしてみることを奨めるが、如何だろう。拙者とて勝負の作法というものを持っている故、騙し討ちなどという下劣窮まりない真似をしないと宣言しよう」
「…………」


オディナさんが殺気を収める気配はない。私の肩を離さないまま、少しずつ後退し、間合いをとった。いつでも急襲に対処出来るように。
私としてはいい加減肩が痛かった。痛みが顔に出ていたのか、侍は私と目が合うと少し呆れた笑顔で肩を竦める。自分が何を言っても無駄だということを理解しているのだろう。
もし今此処にいるオディナさんが純真な頃のオディナさんだったとしたら、敵かもしれない人に危害は加えないと言われてもその敵の言葉を信じて警戒を解いていたかもしれない。だが今此処にいるオディナさんは騎士道なんざクソ食らえと言わんばかりにグレてしまったオディナさんだ。仮にもマスターである私の言葉にあまり耳を貸さないのだから、敵の言葉を信じるなんて出来ないに決まってる。

このままだと埒が明かないし、話も平行線止まりである。


「(…オディナさん、とりあえずこの人の話聞いてみませんか?どうしてこの人が私のことを知ってるか気になるので一旦その殺気仕舞ってください)」
「…………」

暫くオディナさんの視線がこちらに向いていたが、私に何を提言しても無駄だと悟った彼は攻撃の姿勢をやめて警戒を解くと、私から手を離した。そして私の隣に立って無表情のまま侍を見つめる。
オディナさんが大人しくなったことに満足したのか、侍はようやく口を開いた。

「苗字殿は…何故拙者がそなたの名を知っているのか、と不思議でならないようだな。答えは簡単だ。葛木殿と話しているところを見ていたのだ。…盗み聞きなど無粋な趣味はないが、こうも門前で話されていては嫌でも聞こえてしまうもの。そこはその寛容な精神で許してくれることを願おう」
「…えっと……つまり…貴方は私と葛木さんが話しているそのすぐ傍にいたってことですか?」
「如何にも」
「……貴方みたいな侍が傍にいたら嫌でも気付くと思うんですが」
「姿を隠していたからな。貴殿に付き従うサーヴァントと同じ存在故、霊体になることなど造作もない」
「……いつも此処にいらっしゃるんですか?」
「むしろ、此処以外には移動することは出来ぬ」

あれ。ということは、この侍の言葉をそのまま解釈すると、目の前で飄々と構えているこの人は柳洞寺にいるサーヴァントということになる。柳洞寺にいるサーヴァント=キャスターなわけだから、この人が私とオディナさんが目的とした人物に当たる訳だが。そうなると一つ疑問が浮かび上がる。ギルガメッシュさんはキャスターのことを「魔女」と呼んでいたではないか。この人は女のような髪の長さだが、声の低さも、体型も男であり、そして侍だ。どう考えても魔法の杖を振りかざして戦うようには見えない。それに、なによりオディナさんに魅了されていないのが彼を「男」だという事実を裏付けていた。

「あの」
「ん?」
「貴方はキャスター…じゃないんですよね?」
「ああ。拙者はキャスターではない。アサシンだ」
「アサシン…」
「改めて自己紹介といこう。クラス名はアサシン。我がマスターであるキャスターの命によりこの柳洞寺の山門を護る者」
「!」
「………」


い、いきなりキャスターじゃないサーヴァントと会っちゃったけどどうすんのこれ。っていうか、

「サーヴァントがサーヴァントのマスターやるってアリなんですか」
「…何故か二人目のランサーが召喚されているように、こちらにも入り組んだ事情があってな」


複雑な事情に首を突っ込んで碌なことはない。成る程、と頷いてオディナさんを見上げれば、彼は魔貌をこちらに向けて私の指示を待っていた。さっさと本題に入れ、と目が語っている。だが気になることがもう一つだけあったので、それを無視して侍──アサシンさんに向き直ることにした。

「えーと…あの、何でこうして出てきたんですか」
「それは貴殿がサーヴァントを率いているからだ。貴殿が一人で此処に来ていたなら拙者もいつも通り姿を潜めていただろう。だが今回は状況が違う。問おう。何用だ?見たところ墓参りのようだがその槍使いはやけに気が立っている様子。返答によっては刀を抜かねばならぬ。不本意ではあるが、それが拙者の役目」
「…戦いを挑みに来たとかじゃないですよ」
「…ほう」

オディナさんがこんなんなってるのは、私の聖杯戦争に対する心意気というものがなっていない所為なだけだ。決して柳洞寺を焼き払いに来たとかではない。切嗣さんに誓ってそれはない。

「キャスターさんいらっしゃいますか?キャスターさんに頼みたいことがあって」
「…魔女に?」
「ええ、まあ…」
「あの女狐は葛木殿とハワイ旅行に行っているぞ。あと数日は戻らん」
「まじですか」
「まじだ。先日聖杯グランプリという催しがあったのは知っているか? 奴はそのレース中にそのままハネムーン号でハワイに向かったのだ。レースは拙者に任せてな」
「へ、へえ…」


アサシンさんも聖杯グランプリ出てたのか。
……いたっけ。
全然、全く記憶にない。まあ、一先ずそれは置いておいて。



私達の目当てであるキャスターは不在とは。どうしたもんだ。とんだ無駄足になってしまった。本日二度目になる溜息をつくと、「あの女にどのような用件だ?」とアサシンさんが尋ねてきた。

どうせまた此処に来なければならないし、柳洞寺に入るにはこの門を通らなければ入ることが出来ない。アサシンさんと対面することになるのは火を見るより明らかだ。事情を話しておいて損はないかもしれない。


斯く斯く然々と事の成り行きを説明すると、アサシンさんは手を顎にあてて「成る程な」と呟く。

「貴殿があの金ぴかと……ふむ、大体の事情は把握した。あやつの持つ道具作成スキルは中々良い代物だ。其方の武人の呪いを封じる道具を作るぐらい容易だろう」
「ほんとですか?」
「ああ。──だが、あの女狐のことだ。作れと言われて『ハイ分かりました作ります』と言う奴ではない。狐というだけあって人は騙すわ、拙者を門に縛りつけるわ、こき使うわ、殺人料理は押し付けてくるわ…最低最悪の女なのだ」


最後にいくにつれて私怨が込められていた気がするが、ここは流しておこう。

…まあ、そりゃあ初対面の人間にいきなりこの人の呪い封じたいんで何か作ってください、って言われても困るよな…。当然だ。

「一応キャスターさんには道具を作るくらいと同等な条件を出してもらって、お互いフェアな立場で交渉とかどうかなって思ってるんですけど…難しそうですか?」
「…そのような有耶無耶で曖昧なことを言えば足元を掬われることは必然。具体的な条件を出すことを推奨しよう」


具体的な、か。
考え込む私を楽しそうな顔で眺めるアサシンさんを見て、そういやどうしてこのサーヴァントは仮にも敵である私に協力的なんだと疑問が浮かんだ。尋ねてみれば「戦いを仕掛けてきたのではないのなら敵ではないだろう」と簡潔に答えを返される。


「…拙者は毎月此処へ仏花を片手にやってくる貴殿を知っているし、普段は女子と話す機会がないのでな。何の話題であろうと楽しいものよ」
「…そうですか。じゃあキャスターさんがあっさり釣られてくれそうなものとかってありますか?」


アサシンさんは「そうだな…」と遠くに視線をやり、それから私に目をやる。

「葛木殿が喜ぶことに繋がることをすれば大方上手くいく筈だ」
「成る程…じゃあアサシンさんの意見参考にして色々考えてみますね。わざわざありがとうございます」

「拙者の言葉が何かしら力になると良いのだが」

アサシンさんは緩い笑みを浮かべる。どうしてこうも出会うサーヴァントは揃いに揃って美形ばかりいるのか。とりあえず話も一段落したし、切嗣さんの所に行くとしよう。