羊飼いの憂鬱 | ナノ
「それじゃあ、お疲れ様でした」
「あ、ちょっと待って。店長がおにぎり作ったんだけど、食べてかないかい?」

上がる時刻になり、すぐに身支度を整えて裏口に向こうとしている私を引き止めたネコさんは、いつもの笑顔でカウンターにのせられたおにぎりを指差した。ちょこんとのせられているおにぎりは軽く湯気が上がっていて、昼時というのもあってかなり食欲をそそられる代物に進化している。いつもなら即「いただきます」とカウンターに座って食べているところだが、生憎今日は行かねばならない所があった。

「食べたいのは山々なんですけど…私これからちょっと用事があって」
「そっか。じゃあ持って帰る?」
「え、いいんですか」

よっぽど未練たらしい顔をしていたのか、ネコさんは「そんな残念そうな顔されちゃあね」と言いながらおにぎりを二つラップに包んでくれた。それを受け取り、ネコさん、奥に引っ込んでいた店長に感謝の言葉を述べてコペンハーゲンを出ることにする。
裏口の戸を開けた途端に現れた英霊は、驚く私をよそに「お疲れ様です」と一言そう言うと私を見下ろした。結構身長差がある為に、こうやって見下ろされるとなかなか威圧感がある。…真顔だから余計に。


「…とりあえず、ちょっと歩きましょう。ついて来てください」


私の提案に彼はこくりと頷いて霊体へとなって姿をくらました。
此処から円蔵山は四十分はかからなかった筈だ。精々三十、五分かかるかかからないか程度。アーチャーさんとの約束は三時過ぎの予定となっている。今は丁度十二時だ。三時間あれば大丈夫だろうか。そもそも私はキャスターというサーヴァントと会えることが出来るのか。柳洞寺にサーヴァントがいたなんて初耳で、意外だ。柳洞寺には切嗣さんの墓参りで何度も足を運んでいるし、その経緯で衛宮の友人である柳洞一成と軽い顔見知りで、それ以外には葛木さんと時々顔を合わせることがある。住職に経をお願いしたことも少なくない。
こうして長年に渡る付き合いがあるわけだが、あんなところにギルガメッシュさんや冬木教会にいたランサーさんのような人間離れした容姿を持った人物なんて一度も見たことがなかった。
ギルガメッシュさんが「いる!」というのだからいるんだろうが、正直ギルガメッシュさんの言葉だけでは少し不安を感じてしまう。ギルガメッシュさんが嘘を付かないのは分かってるんだけど…。


「(……ディル…ディム…?)」
『ディルムッドです』
「(ディ……)」
『…ディルムッドです』
「(………オディナさん、柳洞寺にキャスターはいると思いますか?)」
『………さあ。どうでしょう。私には分かりかねます』
「(…………)」
『──ただ、』
「(…?)」
『此処から数キロ直進した北西の位置からとてつもなく強い霊脈反応が見られる。貴女が目指している柳洞寺というのはそこではないですか』
「(……ええ。多分そこで間違いないと思います)」
『サーヴァントの召喚場所は強い霊地であればあるほど良い。余程の理由がない限り、そんな優良な地を放っておく輩はいないと思って構わないでしょう』


……つまり、仮にキャスターがいなかったとしても、キャスターとは違う他のサーヴァントがいるかもよってことか。
成る程、と納得する私にオディナさんは硬い声で『主』と私の名前を呼んだ。

「(何ですか)」
『私のことは真名…ディルムッドではなく、クラス名でお呼びください』
「(…何か理由でもあるんですか?)」
『………』
「(面倒なら言わなくてもいいですよ。何か決まりごとでもあるんですよね。後でギルガメッシュさんか、知り合いの人に訊きます)」
『…いえ。私が説明させていただきます。………サーヴァント──英霊というものは、生前の行いにより世界から選定を受け、[英霊の座]にて分身が生み出され、そしてサーヴァントとしてこの世界に召喚される……ここまでは分かりますか?』
「(…何となくは。『英霊の座』って言ったら消滅されたら戻る場所のことですよね)」
『ええ。では続きを。考えてみてください。もし仮に私達が倒すべき相手の名が──……英雄王ギルガメッシュだと分かっていたなら、貴女はどうしますか』
「(……携帯で調べたり図書館行って文献漁ったりしますね。実際、ギルガメッシュさんと暮らす時に調べましたよ)」


……ああ、そういうことか。


「(敵に弱点を調べられたりとかする可能性が浮上するって言いたいんですね)」
『私の拙い説明でお分かりいただけて光栄です、我が主。ですから、私のことは今後[ランサー]とお呼びください』
「(えー……それだと前にも言いましたけど、冬木教会にいるランサーさんと被るんですよ)」
『………』


私の言葉にオディナさんは暫く三点リーダを散りばめてから先程より冷たい声で『主は、』と言葉を切り出した。


『貴女は、聖杯戦争で勝つおつもりはあるのですか?』


途中ふと視界に花屋が入る。切嗣さんのところに花を置いて行ってもいいだろうか。もしキャスターがいなくても、切嗣さんに花を置いてお参りすることで無駄足にせずに済む。切嗣さんの墓参りを保険代わりにするのはかなり彼に悪い気がするが……優しい切嗣さんなら、喜んでくれる筈だ…。小学生の頃、大変不本意ではあったが、父の日の関係で切嗣さんの似顔絵を描いた時の彼の喜びようといったら衛宮に「今までにこんな爺さん見たことないぞ!」と言わしめた程だから…うん、まあ、大丈夫だ。

長く時間をかけるわけにもいかないので、店内に入り、仏花を手にとってカウンターに持っていく。


「(そりゃあありますけど…)」
『俺を真名で呼ぶことは敵方に情報を与えることになる!仮に真名で呼ぶとなっても俺達はギルガメッシュの名しか知らず、そして奴は第五次聖杯戦争の正式な参加者ではない…敵の名前も武器も分かっていない…!ただえさえ俺が召喚されたことは知られず、ましてや名前すらも知られず有利な状況にいるというのに敵に塩を送るようなことをしてどうするっ?!貴女は、俺達が有利な立場に置かれていることを分かっていないのか?!』


美人なお姉さんからお釣りをもらいながら、彼の怒鳴り声の主張を黙って聴くことにする。一人称が素に戻っていることはこの際気にしないでおこう。


「(ギルガメッシュさんから聞けば丸く収まるじゃないですか)」
『奴がそうやすやすと利益もなしに教えるわけがない』
「(褒めまくったり、朝昼晩自分の好きな食べ物並ぶって聞いたら喜んで教えてくれますよ)」
『…そんなにあっさりと釣られるわけがない!!』


……それが、ギルガメッシュさんはこちらが悲しくなる程のちょろ甘なのであっさり釣られてくれるのだ。この前とかフレンチトースト一枚で買い出し付き合ってくれたし…。
というかギルガメッシュさんとオディナさんは多少なりとも面識があるらしいのに、彼はあの自称・庶民王のアホっぷりを知らなかったんだろうか。だとしたらあのギルガメッシュさんのアホは平和ボケによるものなのか。どうなんだ。


『貴女は聖杯戦争というものを舐めきっている!俺は…俺は学んだのだ。あの時、騎士としての己の心を押し殺し、主の言うこと全てに従っていればあのように誇りを踏み躙られることもなかったと…!…だから、もし次の戦争で戦うことがあったなら、ただの使い魔として主に付き従うと……そう思っていたのに…それなのに貴様は──!』


…ああ、前にも言ってたな。初めて会った時、騎士としての誇りを汚されたとか、何とか。
直接ランサーさんの怒鳴り声を聞いているわけでもないのに鼓膜が少し痛い。ただの気の所為だろうが。

「(…あの、勝手に八つ当たりされても困るんですけど…っていうか、オディナさんの話聞いてると私がオディナさんの前の主さん?と同じこと仕出かす前提じゃないですか。何で勝手にそう決め付けられなきゃならないんですか)」
『それはっ…』
「(オディナさん自身が十分分かってらっしゃると思いますけど、私はオディナさんの前の主さんみたいに魔術師魔術師してないんですよ。魔術の世界に足の爪先ちょっと浸したぐらいの素人の中の素人で、前の主さんと私は性格も趣味も好きなタイプも聖杯に託す願いも全然違う人間なんです。そこら辺理解してください)」
『…………』


……まあ、まだ今の私に聖杯に託す願いとか何もないんだけど。
とりあえずキーキー煩かったので適度に反論してみれば、先程の怒りのテンションが嘘のように、オディナさんは口を閉ざした。指摘されて何か思うところがあったのかもしれない。

それにしても、オディナさんの前の主ってどんな人だったのだろう。彼の魂に傷がついてしまう程の侮辱を与えた魔術師。先程のオディナさんの話を聞くに、第四次聖杯戦争に参加していた頃のオディナさんはサーヴァントとしてではなく多少の命令は無視しちゃうような聞かん坊な騎士だったようだ。それが前の主とのいざこざ(推定)で反抗期真っ只中の、形だけの従順なサーヴァントに変わってしまうとは…人間何があるか分からないというか…あ、人間じゃなくて英霊か…。


それからお互い話し掛けることもなく、ひたすら無言で柳洞寺への道のりを歩いた。

………キャスター、いるといいんだけど。