羊飼いの憂鬱 | ナノ
目が覚めると、そこには寝室の天井が広がっていた。上体を起こして視線を落とせばギルガメッシュさんが掛け布団を頭まで被って寝ている。掛け布団と敷布団の隙間から見えている金色の髪は間違いなくギルガメッシュさんのものだ。

…………あれ。

昨日はギルガメッシュさんと軽く話してから寝てしまった筈だ。ベッドではなく、火燵で。それなのに私はこうしてベッドで目覚めた。私に寝ながら寝室まで歩いてベッドに入るなんて芸当は出来ないので、そうすると誰かが運んでくれたことになる。ギルガメッシュさんか、ランサーさんか。どっちだ。どっちも有り得るようで有り得ない気が……。


「………」


暫く考え込んでいると、携帯のアラームがけたたましい音を立てて起きるべき時間であることを知らせた。そうだ、今こうやって悩んでる間にも時間は刻々と過ぎているのだ。このままだとシャワーを浴びる時間がなくなってしまう。不潔なままで職場に行くのは嫌だ。急いでベッドから飛び起き、適当に服と下着を取り出してギルガメッシュさんを起こさないように気をつけながら寝室を出る。

今日の朝食は手の込んだ物は作れる暇はなさそうだ。…日頃から手の込んだ物を作っているのかと言われれば何も答えられないのだが。


***



「…それじゃあ行ってきます」
「うむ。今日も我の為に励めよ。…おい雑種。こいつは我直属の召使いだ。もしこいつに何かあってみろ。貴様の首が──吹っ飛ぶぞ!」
「………」


おにぎりを頬張りながら私を見送るスウェット姿のギルガメッシュさんは紛うことなきニートだ。口端にご飯粒が付いているが、放っておくことにする。どうせそのうち気付くだろう。
午前中は仕事、午後に柳洞寺へと直行する為、ランサーさんには仕事が終わるまで待っていてもらうことになった。つまり私とランサーさん二人きりだ。非常に気まずい雰囲気になるのはここ数日間の間で分かっていたので、ギルガメッシュさんもついて来るよう頼んでみたのだが、まあ、見ての通り、彼は部屋で堕落を満喫する予定のようだった。

ギルガメッシュさんの言葉に冷たい視線を送ったランサーさんは目を閉じて霊体に姿を変えてしまう。彼は相変わらず無表情で無愛想だ。…まあ、そりゃあ前のマスターに裏切られたとなればグレても仕方ないか。


「……」
「名前、良い結果を期待しているぞ。さあ、行って参れ!」
「………はぁ」


ランサーさんが霊体化したことを気にも止めず、ギルガメッシュさんは私を外に追いやった。私が部屋を出るなり、がちゃりと鍵の締まる音が響く。私がいなくなるの待ってから鍵締めろよ…と一瞬思ったが、そんな気遣いが出来たならギルガメッシュさんは今頃暴君という称号なんて与えられてはいないはずだ。


溜息をつきながら階段を下りて、アパートの敷地内を出る。…果たしてランサーさんは私に付いてきているのだろうか。小声で彼のクラス名を呼んでみると、数秒経った後『……何でしょう』と堅い声が頭の中に直接響いてきた。

うわ、何だこれ。

思わず立ち止まり、周囲に誰もいないことを確かめてから宙に向かって声を掛ける。

「……サーヴァントはテレパシーも使えるんですか」
『…マスターとサーヴァントは魔力を供給する側と供給される側の間に特別なパスが存在される。それを上手く使うことが出来ればこのような念話も行うことが出来ます。そして、貴女から私に話し掛けることも可能ではありますが……尤も、これは魔力を上手く扱える魔術師のみに限られるでしょう』


……今のところ、ギルガメッシュさんに令呪を消費させられる時に自分に魔力が流れていることを実感したぐらいで、私は魔力を上手く使えている自信がない。まあ、今更凡人から魔術師にランクアップするつもりは毛頭ないので使う気もさらさら起きないんだけど。でもこうやってランサーさんが霊体化してる時に会話をすると、どうしても私は独り言をぶつぶつと呟いているようにしか見えない。そんなところを誰かに見られてみろ。気違い認定されること間違いなしだ。せめてテレパシーを不自由なく行えるくらいは練習した方がいいかもしれない。

『……しかし、貴女は何をせずとも私と念話くらいはできるのでは』
「……?」
『聖杯くんは私と貴女を戦争の勝者になる姿を拝まんとしているのならば、魔術師としての道を歩むことがなかったただの人間である貴女に少しくらい有利な状況下に置くくらいのことはしている筈…試しに私に話し掛けてみてください。……ただ念じてみれば良い』


念じてみろって言ってもな……。
適当に考えて、ランサーさんに伝われと念じつつ「今日のご飯は何が食べたいですか」と話し掛けてみた。だがしかし、ランサーさんは何も答えることはせず、沈黙を守ったままだ。どうやら失敗したらしい。


「……伝わってないみたいですね」
『…英雄王も言ってましたが、私は貴女から充分な魔力をいただいている身。不要です』


……伝わってるなら伝わってるって言えよ!

そう突っ込みたい衝動を堪え、角を曲がった先にある信号機へと近付いてボタンを押す。ここの信号機はなかなか待ち時間が長いので出る時間が遅いとなかなか厄介な敵と化すのである。


「(嫌なんですよ、ギルガメッシュさんにだけご飯用意してランサーさんに用意しないの…お前の飯ねーから!みたいなイジメやってるみたいで…)」
『…私は貴女に仕える道具だ。道具には食事も、睡眠も、人間ではない私には何も必要としていない』


…頑固にも程があるだろ。聖杯くんは「従順なサーヴァント」と謳っていたが、あれは間違いなく嘘っぱちだ。最早これは詐欺に近いレベルだ。クーリング・オフとか効かないのか。


………………。


「(……なら道具として命じられたならランサーさんはご飯食べるんですね。じゃあ今日から晩御飯一緒に食べてくださいね)」
『なっ…それとこれとは──』
「(ランサーさん、私は貴方のことは仮の名前と攻撃に使う武器が槍だってことぐらいしか知らない。聖杯くんのお気に召す結果になるまで縁が切れないなら少しでもお互いのことを理解して衝突もなく円満な関係になっておくべきだと思うんですよね)」
『………』
「(だからまずは同じ釜の飯を食らうことから始めようかなって思ってたんですけど、まあ、ランサーさんが道具としての命令も聞きたくねーって言うならそれ相応の理由を言ってください。理由も言わないまま要らない要らない言われるの、はっきり言って腹立つんですよ)」


横断歩道の信号機がようやく青に変わり、止まる車を横目にゆっくり歩く。ランサーさんは無言だった。飯を一緒に食べるだけなのに、何をそんなに嫌がるのか。
別に「ランサーさんにめっちゃご飯食べさせたい!」とは思っていないが、ここまでくればただの意地だ。反抗期の息子を持つ母親の気持ちが分かったような気がしなくもない。


大通りから一本小さな道に入り、暫く歩いたところで彼は『主と従者は同じ卓で飲食をすることは出来ない関係だ』と一言呟くように言った。


「(…ならはじめからそう言ってください。これじゃあ意思の疎通を図るのも面倒臭くなるじゃないですか)」
『……では図らなければいい。私のことはただの貴女の思うがままに動く絡繰だと思えばいい。前の主がそうだった。…私を、一人の騎士ではなく、ただの道具としてしか見ていなかった…』
「………」


……何かこの人女々しくてねちねちしてる感じするんだけど、なんでだろう。元カレ引きずる彼女みたいな感じ…いや、それはちょっと違うか。

ようやくコペンハーゲンが見えてきたので、路地裏に続く道に入ることにする。人通りもなかったので「こんな時間に何してんだあの人」と不審なものを見るかのような人がいなかったのは好都合だ。

「…ランサーさん、申し訳ないですが一先ず話は仕事が終わってからにしましょう。三時間だけ待っててください。霊体化でうろちょろしたりするなら呪いの被害も大丈夫だろうし。もし実体化するならこの路地裏に通るのは野良猫くらいですから…暇かもしれないですけど居てください」


家に帰ったら色々取り決めしとかないと駄目な気がする。今後の聖杯戦争のこととか、生活のこととか。

ランサーさんは『分かりました、我が主』と言って私の命令に素直に従った。


「……あ、そうだ。ランサーさん、まだいますか?」
『…何か』
「これだけ教えてください。ランサーさんの本名」


私の問いにランサーさんはまた長い沈黙を置き、私が「まーた始まった」と途方に暮れて諦めた頃。

『フィオナ騎士団が一番槍、ディルムッド・オディナと申します』

いつもよりは若干引き締まった声でランサー…もとい、ディルムッドは神話に残るその名を名乗った。