羊飼いの憂鬱 | ナノ
夕食を終えた後、ゲームに打ち込むぞと意気込んでいるギルガメッシュさんに「少しやることがあるからそれが終わったらすぐに戻る」と断りを入れて寝室に足を踏み入れた私はポケットに入れていた携帯に手を伸ばした。(ランサーさんは夕食の準備を少しやるとすぐさま霊体化してしまった。ちなみにランサーさんに、と用意していた朝食はランサーさんを待っていたギルガメッシュさんが平らげてしまっていた。なんて野郎だ。)
もの悲しさを感じる電話帳を開き、真っ先に表示される彼の名前を選択して文明機器となった今でも進化し続けているそれを耳に当てる。三度目のコールが響いた後、『私だ』と低音だがどこか甘さを感じる声が鼓膜を振動させた。


「もしもし、苗字ですが」
『ああ、こんばんは、名前。こんな時間に君から電話なんて珍しいな。どうかしたのか?』
「…もしかしてもう寝る準備してました?」
『そういうわけでは──…いや、まあ、そうだな。あと一歩で眠りに落ちる寸前だった』

アーチャーさんって案外早くに寝る人だったのか。
時計を見ればまだ九時半だ。紅茶の一杯や二杯飲んで寛いでいそうだと思って電話したのだが。人は見かけによらないとはこういうことかと勝手に印象づけていたことに反省しつつ口を開く。

「起こしちゃってごめんなさい。明日改めて電話かけ直します。おやすみなさい」
『! いや、待て!』

少し慌てたような声に、電源ボタンに伸ばしていた親指を定位置に戻す。「どうかしました?」と尋ねれば『嘘だ』と一言告げられた。

「………嘘?」
『う、うむ。君をからかおうと思っただけだ。声を聞けば嘘だと分かると思ったんだが…』

こんなにも簡単に信じるとは思わなかったよ。

その言葉に、難無く苦い顔をしたアーチャーさんが頭に浮かぶ。

「アーチャーさんが嘘を付くと思ってなかったので…それにアーチャーさん、寝起きでも声変わってない感じがします」
『凛から魔力は充分なほど貰っているから睡眠は不要な身でね……ああ、サーヴァントは魔力が足らなければ睡眠や食事をして、そのエネルギーを自身の力に変換するんだ。逆に魔力供給が充分に成されていれば食事も睡眠も必要ない。説明不足ですまない』
「いいえ、ギルガメッシュさんから色々聞いてますから」
『……英雄王か』

ギルガメッシュさんが気に入らないのか若干低くなる声に、あの人の話題は地雷だったかと少し焦った私は「明日のことなんですが、」と聖杯グランプリ前夜に交わした約束の話を切り出した。何となく、このままでは衛宮のようなお説教モードに入る気がしたのだ。

『名前、君は微笑ましいくらいに話を逸らすのが下手だな』
「………」
『まぁ、積もる話は珈琲を飲みながらにしよう。君だって私の長ったらしい小言を携帯越しに聞くのは嫌だろう?』
「………はい」
『素直なことは評価するとしよう。──さて、明日の打ち合わせをしようか』
「…えーと、私仕事の方は午前中で上がるんですけど、ちょっとばかり用事が出来てしまって…それが終わってからじゃまずいですか?三時には終わるかと思うんですが」
『私は構わないが…君が疲れないか?』
「大丈夫です。そこまでやわじゃないんで」

アーチャーさんと話していると、お互いこき使われる立場にある所為か、なんというか…苦労を分かち合っているような、そんな感覚に陥ることがある。私にとってアーチャーさんはかけがえのない同志なのだ。同志と話す機会をみすみす逃すなんて真似はしたくなかった。

『凛が遠坂の家に戻らない限り私の役目はほとんどないも当然だからな。当日は散歩でもして時間を潰しているから、君は用事が終わったら連絡を入れてくれないか』
「分かりました。すいません。合わせてもらっちゃって…」
『構わない。君と話すのが楽しみだったものでね』

そう言ってアーチャーさんは軽く笑った。どうやら同じことを考えてくれていたようだ。思わず吊り上がりそうになる口角を引き締めて、別れの挨拶を述べることにする。

「こちらこそ、楽しみにしてますね」
『ああ。では、また明日』
「おやすみなさい」


通話時間が表示されている画面を閉じて、居間に戻る。ギルガメッシュさんは朝に宣言していた通り火燵から顔を出しながらゲームをしていた。そんなテレビに近付いて目とか疲れないんだろうか。注意するのは面倒なのでソファーにだらりと横になりながら、銃は使わずにナイフのみでボス級の敵に立ち向かっているギルガメッシュさんのプレイを見ることにする。……火燵が恋しい。

「用は終わったのか?」
「ええ。明日仕事帰りに柳洞寺行って、それ終わったら珈琲飲みに行くんでその予定決めを」
「…………また贋作者か?前に関わるなと言っただろう」
「別にいいじゃないですか」


私の交遊関係にあれこれ口出しするギルガメッシュさんは何なんだよ。お父さんじゃあるまいし。


「アーチャーさん優しいし。良くしてくださるし」
「……同情からかもしれんがな」
「…同情?」
「最後にもう一度言っておくぞ。贋作者とは関わるな。…これ以上はもう言わぬ。この我自らがした忠告を無視した上で今後後悔しても我は知らんぞ。一人で勝手に苦しみ泣き喚いていろ。だが、その姿を我に見せるような真似はしてくれるな」


ギルガメッシュさんはそう言って無言でゲームに打ち込む作業に戻った。

──贋作者のような雑種とつるむな。

前にギルガメッシュさんから言われた言葉はよく覚えている。あれが忠告だったなんて思いもしなかった。っていうか、忠告だったんですか?と訊きたくなる程度には言葉足らずな忠告だ。
……だが、普段あまり私の生活に口出ししないギルガメッシュさんが忠告をするのだから、胸にとめていた方がいいかもしれない。…アーチャーさんに限って私を殺すような真似はしないと思うが。あの遠坂さんの愚痴を零す時のあの疲れたような目と微妙な笑顔を、これから殺そうと企んでいる人間に見せるのだろうか。


「……一応、ギルガメッシュさんのありがたい忠告のお言葉は胸にしまっておきます」
「…ふん。それにしてもだ」
「何ですか」
「見よ、このナイフ捌きを。ここまでこの雑種の操作に長けている奴は早々おらんぞ」

話が百八十度変わり、話題はアーチャーさんから目の前のゲームへと切り替わった。…確かにレオンの体力はフルなままで、一ダメージすら喰らっていない上に銃器の使用は一切していないが……。

「……バイオはプレイしたことないんでナイフ縛りがどんだけ凄いかよくわかんないんですよね」
「………何だと?それは本当か」
「何で嘘付く必要があるんですか。ぶっちゃけ普通のプレイ見てないとこういう縛りプレイの凄さとかわかんな──…いてっ、痛いです」
「くそ!今までの我のプレイの凄さを素知らぬふりをしていたとは…これは万死に値するぞ」

いや、素知らぬふりって。普通に知らなかったよ。
そう言えどギルガメッシュさんは聞く耳持たずでゲームをリセットすると火燵から這い出るなり「今からプレイして我の凄さを思い知れ」とコントローラーをぐいぐい押し付けてくる。


「今宵は朝まで寝かせぬ」
「う、うわーそういう台詞は切嗣さんの口から聞きたかった…明日仕事なんですけど」
「ハッ、そんなもの我には関係ない」
「…火燵入らせてくださるなら」
「構わん。来い」

私にコントローラーを押し付けたギルガメッシュさんは火燵に戻ると自分の隣を軽く叩いた。案外優しい。ソファーから立ち上がり、冷えた両足を勢いよく突っ込めば火燵布団によって閉じ込められている温かい空気が足先を包んでいく。
最近よくギルガメッシュさんの巣と化している火燵は変わらずに私を迎え入れてくれた。

「説明書どこですか」
「なくとも出来よう」
「いや、ダッシュとか、殴るとか銃構えて撃つとか全然わかんないんですけど。ギルガメッシュさん私にプレイさせる気とか本当は微塵もないでしょ…」
「こういうのはな、実戦で覚えるのが一番なのだ。敵が襲いかかってきた時に焦らないように土壇場で、こう、な!」
「な!じゃないですよ……あーもういいや…感覚的にバイオがどれだけ難しいか分かったんでもういいです。ギルガメッシュさんのプレイ見てるだけで充分です」
「何だ、その投げやりな態度は!」
「…投げやりじゃないですよー…」

適当に言葉を濁してコントローラーを返し、体を火燵の中へぐいぐい入れることにする。火燵のぬくぬくとした温かさはこの季節にとっては神のような存在だった。
あー……温かい。
シャワーを浴びないといけないが、もう少しこの温かさを感じていたい。両腕を枕代わりに、オープニングムービーが流れるテレビ画面を見つめて軽く息をつく。

「……今日も疲れたなぁ…」
「…明日はキャスターの住まう柳洞寺に行くのだ。せめて普通に動けるようにはしておけ」
「……はーい…」


火燵の心地好さに目を瞑れば、徐々に遠くなっていく意識の中で後ろ髪を優しく引っ張られる感覚がした。


…………シャワーは明日でいいか。