羊飼いの憂鬱 | ナノ
多分、事の発端は苗字が俺にシフト表を届けに来たところからだと思うんだ…。

そう言った衛宮は手の中に収まっていたコーヒーカップから目の前に座っている私へと視線を向けた。その顔はどこか申し訳なさが漂っている。
どうやら心当たりがあるようだった。
こんなことになった原因はまだ聞いてはいないものの、今回の件に関しては衛宮にまったく非なんてものはない。彼との付き合いの長さから推測するに、これは確信している。

今までの経験上、衛宮が私に対して自己嫌悪に陥る時は、彼が私に何かをしてしまったというより、彼の周りにいる人間が原因であることが常だった。今回もそのケースと見て間違いない。
衛宮の隣では、彼の家の居候である金髪の少女が巨大な皿にこれでもかという盛られたカレーを美味しそうに食していた。
食べ方はとても上品ではあるものの、一度に口に含む量が凄まじい。元々目立つ容姿である彼女が更に人の目を引くようなことをしているのだから、ファミレスにいる客の視線は彼女の座っているテーブルに集まっている。

つまり、私達の座るテーブルに、だ。

注目されているのは彼女ではあるが、何となく居心地が悪い。視線が集まっていることに衛宮は気付いてはいるが、特に気にする様子もなく、至って普通だ。
衛宮の中ではこれが日常なのだろう。
彼女を含めての外食は初めてだったので、顔にはださなかったものの、少しばかり面食らってしまった。それを隠すようにコーヒーを一口飲み込み、先程彼が発した言葉の中で気になる単語を口にする。


「…シフト?」
「ほら、今月のシフト表俺ん家に…」
「ああ、そうだ…確かその時の衛宮の家いつも以上に大所帯だったよね」
「あの時は知り合い皆で鍋しててさ…苗字も一緒にどう?って言ったのにすぐ帰っちゃうし」
「知らない人がいっぱいいるの苦手だから……それで?それが何で…えーと…ギル…」
「ギルガメッシュだ」
「ギルガメッシュ…さん?が家に上がってきた理由になるの?」


逸れかけた話題を戻しながら私は衛宮に問い掛ける。この場には不在の問題の種となった金色の人物はというと、電話をかけた数十分後に訪れた衛宮と彼女のお陰で本来彼の住まいらしい教会へと押し戻されることとなった。アパートから出されただけで、本当に教会へ戻ったかは分からないが。
最初は難色を示していたものの、勇ましい彼女による一喝で「また来るぞ」と言い残して彼はいつの間にか部屋からいなくなっていたのだった。それから「腹は減っては話し合いなど出来ません」との彼女の言い分によりこうしてファミレスにいるのだけど。
話し合いをするべき人間がコーヒーを飲み、その付き添いが大盛りカレーを食べているわけで。
ただ単純に彼女はご飯を食べたかっただけのようだった。
ご飯ぐらい言ってくれれば、あの金色を押し戻してくれた恩人でもあるから幾らでも振る舞ったのにと思わないでもない。


「あの時、セイバー目当てでギルガメッシュも来てたんだ。苗字が帰った後にギルガメッシュがわざわざ玄関まで来て俺にきいてきたんだよ。『さっきの人間は何だ?』って。だから俺が……」
「衛宮が?」
「…あいつに言ったんだ。『魔術師とは何ら関係のない俺の友人だ』って…」
「はぁ、成程。それで?」
「そしたら『ああ、あれが一般的な庶民というやつか』って言って考え込むように黙りこんじゃって。暫くしたら居間に戻っていったんだけど。……それでさ…元々あいつボンボンで…えーと…庶民の生活が気になったみたいで…前に一度だけ『庶民王になる』とか言い出して、冬木市をひっちゃかめっちゃかにしながら練り歩いてたことがあるんだ」

ひっちゃかめっちゃかと言われても最近の冬木市はよく建物が爆発したり、建物が崩れたり、はたまた建物が壊れてしまったり…と総合して壊滅的な事件が多いのでその前に一度の話はいつ頃の話なのか上手くは把握出来なかった。とりあえずギルガメッシュという人間にとって、庶民の生活は気になる対象に入っているらしいことは理解出来た。それなら今回の話も最後まで聞かなくとも大体察することが出来る。

「ざっと一通り庶民の生活を全うしたところで『庶民の生活なんてもういい』ってセイバーに言ったらしいんだ。だよな、セイバー?」

彼女はむぐむぐと口を動かしながらこくりと静かに頷く。その顔はカレーによって幸せに満ち溢れていた。口内いっぱいに含まれたカレーを咀嚼し、ごくりと音を立てて嚥下した後に口を開く。


「『庶民の生活なぞ理解出来ん』と言っていました。こんなにも幸せな生活だというのに、同じ王として理解出来ないとは全く嘆かわしい」
「でもあれは庶民っていうか…魔術に関わりのある人間の生活に触れただけだったからな…だから魔力の一欠片も縁がない苗字に興味を持ったのかも」


俺の見解だから、本当のことは分からない。
衛宮は彼女の唇の端にこびりついたカレーを紙ナプキンで拭き取りながら溜息をつく。


「ごめんな苗字。俺と関わりがあったばっかりに…」
「……別に気にしてない」
「苗字の代わりに俺がちゃんと言っておく」
「あー…別にいいよ、しなくて」
「え?」

私の言葉に衛宮は申し訳なさそうな表情をぎょっとした表情へとチェンジさせて私を見る。その顔は私がその考えに至るまでの理由を問いているようだったので、私は少し躊躇いつつものろのろと思考回路を働かせ、理由を述べることにした。

その王様とやらはただ庶民の詰まらない生活に幻想を抱いているのであって、数日も経てば自分の考えていた庶民の生活が全て理想の塊だったことに気付き、こんな生活はもううんざりだと根を上げるに違いない。そして過去に一度そのうんざりを体験しているなら尚更再びそうなる可能性も高いだろう。私は朝から晩までずっと働き通しでほとんど家には帰らない。顔を合わせることなんてほとんどないだろうし、数日の間でも家に居てくれるなら軽い防犯対策にもなる。夜は自分の寝床に帰るだろうから、そういう心配はしなくても大丈夫だろうということ。
それから近年にも増して、冬木は治安が悪くなっている。
昔は児童の誘拐騒ぎが相次いでいたし、少し前は行方不明者が何人も続いて、今も尚見付かっていないのだ。
何かと物騒なので、成人外国人男性が居る、というのは少しばかり有難い気もする、と。
その成人外国人男性が犯罪を犯すか否かという問題は、衛宮の知り合いだから大丈夫だろう。

頭に浮かんだ理由になりそうなことをつらつらと述べると、衛宮は頭を抱えて項垂れてしまった。


「苗字は分かってない…」
「分かってないって何を」
「ギルガメッシュのアレなところとか」
「アレって何?」
「あと何より根本的に危機感がない!ギルガメッシュと二人きりなんて不味いだろ?!色々!」
「そういう衛宮はセイバーさんと同居してるし、最近は異性の同級生や後輩も入り浸っているみたいだけど、それは不味くないの?」
「それは……不可抗力で……また話は別だ!」
「……シロウ、ここはナマエに任せてみるのはどうですか」


反論したのが効いたらしい。言い返せなくなりもごもごとなり始めた衛宮と交代するようにしてセイバーさんが声を上げた。
カレーを完食したらしい彼女は自身のお腹を軽く叩きながらの一声だ。表情だけは真面目だが、緊張感がまるでない。衛宮はばっと彼女の方を勢いよく振り向く。さっきから頭を抱えこんだりと忙しい奴だなと思う。


「セイバー、どうしてそんな…相手はギルガメッシュだぞ?!…あの、あの金ぴかだぞ?!!」
「シロウ、落ち着いて下さい。確かにギルガメッシュは暴君な王ではありますが、何もナマエに肉体的暴力を振るう為に訪れたわけではない。……精神的暴力の方は保証しかねますが──」

ですが、と彼女は言葉を続けた。

「彼が色々なものに、普通でありふれたものに触れたいと思う気持ちを邪魔するのは差し出がましいと感じます。……もし、万が一まずいことになったらすぐシロウに連絡をとればいい。私も直ぐに駆け付けられるように常時スタンバイしておきましょう」
「……」
「王としての暮らしもいいですが、庶民としての暮らしも中々いいものです。同じ地位を築いたものとして、かの王にはその幸せを知って欲しい。きっかけが何であり、再び興味を持ってくれたことは喜ばしい限りです」

…途中あまり話が見えてこなかった。つまり、この目の前にいる彼女も王だったのだろうか。
衛宮は眉間に何本か皺をつくり、溜息と共に項垂れ何かぶつぶつとぼやいていたが「セイバーが言うなら、少しだけなら」と納得したようだった。


「苗字、何かあったらすぐ俺に連絡するんだぞ」
「分かった。……あの、すごく失礼というか無礼な発言しちゃうかもしれないんだけど…」
「ん?」
「衛宮の隣にいるセイバーさんも王様なの?」


私の問いかけに彼女は目をぱちぱちと瞬きし、衛宮の方を向いた。


「…シロウ、何も言ってないのですか?魔術のことを知っていたのでてっきり既知なのだと…」
「苗字は一般人だ。こっちの事には巻き込みたくなくて」
「…ふむ、それもそうですがギルガメッシュと共に時間を過ごすのであれば、必要最低限の知識は与えておいた方が賢明かもしれません。奴は常識人とは程遠い存在です。何故あんなにも非常識で横暴で頭が弱いのかという理由も含めて、これを機に私達英霊のことも説明しておいた方が彼女の為になるのでは」
「……あいつが一般人として目を付けていたとしてもか?」
「ええ、念の為にも多少は知っておいた方が彼女の為にはなるかと」
「やっぱりそうなるのか…あーもう、ギルガメッシュの奴…」

ぶつぶつ文句を言う声が小さく聞こえた後、意を決したのか真面目な顔で私を見つめる衛宮の顔を見返した。

「…今から言うことは嘘偽りじゃないことを分かった上で聴いて欲しいんだ。…いいか?」

衛宮が嘘をつかないくそ真面目な奴だということは知っている。何も言わずに頷いた私を見て、彼は現実感に欠けた話を私に分かるような言葉を探しながら紡ぎ始めた。