羊飼いの憂鬱 | ナノ
衛宮をその場に置いたまま仕事場に戻ると、何か言いたげにしているネコさんは私の顔を見て真面目な顔で「今日は上がりな」と一言言って背を向け、私がやる筈だった作業──今日入荷した品物のチェックだ──をやり始めた。

「え?いや、私やります」
「今の名前ちゃん、酷い顔だ」
「酷い顔なのは生まれつきです。………仕事、中途半端に終わらせるの嫌なんですよ」

温厚なネコさんの雰囲気がばりばりシリアスモードに突入していたので、きちんとまともな理由を述べれば彼女は呆れたような、困ったような溜息をついた。


「……エミやんと喧嘩?」
「…どうでしょう。よく分からないです」
「当人が分からなくてどうする」
「……ですよね。ネコさん、私帰らないと駄目ですか?」
「そんなに仕事が好きかい?名前ちゃんは」
「仕事以外にすることないんですよ」
「最近やたらとたくさんシフト入れるようになって…」
「えーと、まあ、色々混み合った事情があって」

ギルガメッシュさんのことは他言無用の方向でいった方がややこしいことにならなくて済むことは考えずとも分かることなので適当に言葉を濁すことにする。怪しいことこの上ないが、あることないことを話して誤魔化すのは後々ボロが出てきそう…というか嘘を付いたという事実をずっと覚えていなければならないということが面倒だ。
ネコさんは細目の目を更に細めてじっと私を凝視していたがやがて諦めたように再度溜息をつくと品物チェックの紙とボールペンを渡してきた。礼を言って受け取ろうとすれば、ネコさんは腕を上に上げた為に受け取ることは出来なかった。からかって遊んでいるのかと思い、顔を見上げれば真面目な表情のネコさんが私を見下ろしている。


顔つきはまったく似ていないのにその表情は先程の衛宮を思い出させた。


「名前ちゃんにどんな理由があるのかアタシは分からないけどねぇ…困ったことがあったらエミやんでも、藤村にでもいいから言いなさいよ」
「…………」
「返事」
「…………はい」
「…ん、よろしい」


嘘の返事だと分かっているのか、分かっていないのか、はたまた分かっていてただ表情に出していないだけなのか。ネコさんは私に用紙とペンを渡すと「配達に行ってくる」と言って倉庫を出ていった。



***



そうして品物チェックや夜に向けての下準備も終えた私は店長とネコさんから労いの言葉をもらい、衛宮と鉢合わせにならないように小走りで店を出ていった。幸い予定時刻より少しだけ早く終わった為に出会うことなく私は見慣れた一本道を歩くことができたのである。…ネコさんが店長に何か言ってくれたのかもしれない。


今日のご飯は何がいいだろう。鍋なんていいかもしれない。ギルガメッシュさんはトマト鍋とか食べたことなさそうだ。……あとランサーさん。…ランサーさんといえば、この呼び名どうにかならないかな。えーと、セイバーさんはかのアーサー王だったのだから「セイバー」という名前ではなく他の名前を持っているわけで、そうだとしたら私のアパートにいるランサーさんも教会にいるランサーさんも「ランサー」というクラス名ではない生前の名前があるってことだ。…多分。ギルガメッシュさんがそうだし。間違ってはいないだろう。…ギルガメッシュさんって召喚された時何のクラス名だったんだろう。…話が逸れた。とりあえず、私の中での「ランサーさん」は教会に住んでいるランサーさんの方がしっくりくる。帰ったら呼び名をどうしようか決めることにしよう。それはご飯を食べながらで、ご飯が終わったらアーチャーさんに電話…そんでギルガメッシュさんと軽くゲームして、寝る。よし。

……そういえばアーチャーさんの本名ってどんな名前なんだろ。


「──わっ、ごめんなさい。大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です。こちらこそすいません」

考えごとに没頭したいた所為で前から歩いて来ていた女の子とぶつかってしまったが、彼女は少し笑いながら手を振ると歩いて行っていく。…穂群原の制服だ。


「………?」


この通りはいつも人気が少ない筈なのだが、今日は何故だか──しかも平日に──人通りが多いような、気がする。さっきから色んな人がぞろぞろと向こうから歩いてくる。そして皆女だ。OL、高校生、中学生、小学生、ファーストフード店の制服を着ている人、主婦、老人。年齢はばらばらだが、男が一人もいない。大規模な女子会でも行われたのかと思ったがこの近くにこんなに人が集まれるような建物はない。話題が共通するようにも見えない。というか、共通する話題を見つけるのは至難の技だろう。はっきり言って異様な状態だ。

数十分人混みを避けて歩き続き、やっとこさっとこその人混みも落ち着き見慣れたアパートが見えたところで私はアパートの前に佇む二人の人物を視界に入れた途端思わず二度見してしまった。

…何だこの意味の分からない組み合わせは。

「あーっ!名前お帰り!待ってたわよ!」
「…………お勤めご苦労様でした、我が主」
「……何で大河さんと…ランサーさんが…?」

活発そうな二十代の女がぶんぶんと竹刀を振るその傍ら、仏頂面の美丈夫が棒立ちしているなんてそうそう見れない光景だ。しかもランサーさんは両手に大きな買物袋を持っている。ちょっと待てそれ誰の金で買ったんだ。私の並々ならぬ視線に気付いたランサーさんは目線を下に向けながら「英雄王が」と小さな声で呟く。…ギルガメッシュさんか。

「ん〜、名前に用があって会議終わってからソッコー此処に来たんだけど、そしたらアパート周辺色んな女の人でごった返してるもんだからびっくりしたわよ」


……何がどうなってそうなったのか段々分かってきたぞ…。


「……それで?」
「何かあったのかと思って人混み掻き分けたら女の人に押し潰されそうなこの人がいたから助けてあげたわけ」
「へ、へー…追い返したんですか」

あの量を。
大河さんは竹刀を肩に担いで「冬木の虎に不可能は、ねえーっ!」と叫んだ。喧しい。

「ランサーさんは…何で外出歩いたんですか。呪いも持って──って、大河さんは呪い効いてないんですか?!」
「呪い?何のこと?」

首を傾げて「黒魔術?」と尋ねる大河さんに、ランサーさんは眉間に皺を寄せたまま私に近付いてくると耳に口を寄せて小さな声で話し始める。何度も思うが擽ったい。

「………主、どうやらこのご婦人に私の魅了は効いていない様子。…だがこの方は自分は魔術師ではなくただの虎だと主張なさっている。古に伝わる聖獣・ドゥンが人間の皮でも被っているのかもしれない。油断なりません」
「あー……いやぁ、それはないですよ。大河さん破天荒ですから…」
「…ですが、」
「大河さんですから」
「…………」
「この人は常識って概念持ってないんで」
「…………」

「何二人して仲良く内緒話してるのよ〜先生も混ぜてよ〜」
「…別に仲良いわけじゃないんですが…で、用ってなんですか」

こっちは衛宮とのいざこざもあって少し疲れているのだ。くだらない用なら此処で済ませてさっさと帰って欲しい。私の顔を見ても彼女は笑顔を変えずに、いや、むしろ瞳をキラキラさせて「名前の注いだお茶飲みたいなぁ」と可愛らしい声音でおねだりしてきた。頑固でバカ一直線な衛宮と違ってこの人は普段ふざけているくせになかなかつかみどころがないので厄介である。

「お茶なら衛宮に注いでもらった方が美味しいの飲めますよ。…それに、今茶葉ないし」
「コラ、衛宮じゃなくて士郎でしょー。私は士郎のお茶じゃなくて名前のお茶が飲みたいの〜!それにこの名前の知り合い助けてあげたんだからご褒美としてちょっとくらい優しくしてくれたってイイじゃない!名前の優しさが、欲しいぜ!!」
「…………主、私からもお願いします」

ランサーさんが私と目を合わせないまま言葉を漏らす。これでは私が悪役みたいじゃないか。

「…特別お構いとかできませんし、汚いですけど」

主にギルガメッシュさんの所為でな…って、


あ、


「大河さんちょっと待って──」
「やったあー久しぶりの名前の家だああ!!しょわっ!」

しょわっ!て何だ、しょわっ!て。いや、今はそんなことどうでもよくて、今の私の部屋にはギルガメッシュさんがいるわけで、大河さんは仮にも私の保護者なわけで、男女交際にも人一倍口うるさい。一つ屋根の下ギルガメッシュさんと私(…と一応ランサーさんもいるが大河さんはただの知り合いだと思っていそうなので除外しておく)が暮らしていれば噴火どころの騒ぎではない。やばい。死ぬ。朝も死亡フラグが立ったというのに、自分からこんなに頻繁に死亡フラグを立ててどうする!
大河さんを引き止めようとするが、彼女は笑いながらダッシュで階段を一段抜かしで駆け上がり私の部屋の前まで走っていった。止める暇もなかった。鍵さえかかっていれば、と思った瞬間、勢いよく扉が内側から開く。


目の前に大河さんがいるのもお構いなしに。

「んがッ!」
「おい雑種っ!貴様何時間待たせる気だ?!貴様はコンビニにも行けぬのか?!…───ん?…道化ではないか」


運が良いのか悪いのか。
ギルガメッシュさんの先制攻撃によって一発KOした大河さんはその場に倒れ込んだ。急いで階段を駆けて様子を見れば、彼女は真っ赤に染まったた笑顔で鼻血を垂らしながら気絶していた。打ち所が悪かったようだ。

「む、名前。これはどういうことだ。…!雑種、貴様今までこの数時間何をやっていた!」
「…コンビニで貴様に頼まれた甘味を買ったが女に追い掛けられてアパートの前で立ち往生していた」
「貴様のようなサーヴァントなら雑種くらい容易に撒けるだろうが!」
「………」

ランサーさんから若干伝わる雰囲気からしてやる気がなかったとか、面倒だとか、そんなんだろう。結構この人誠実そうな顔つきと違って性格悪そうだよな…。でも助けてくれた大河さんに味方する辺り、恩義にはこだわるみたいだ。良い人なんだか、悪く人なんだか、よく分からない。

「ランサーさん、その荷物は私が持つんで大河さん運んでもらっていいですか」
「…承知した」


ランサーさんは素直に従ってくれた。
ランサーさんから荷物を受け取って、彼が大河さんを抱き上げる様子を眺める。
夕飯を作るよりも、まずは大河さんの手当をするのが先決だ。