羊飼いの憂鬱 | ナノ
「………」

冬木にはいたくねえ!帰らせろ!と言っていたのが昨晩の主張で、私が聖杯を手に入れるまでここにいさせろ!が今朝の主張だ。私が寝ている合間にどういった心境の変化があったのだろうか。大方時間があったから自身の気持ちの整理でもしてたんだろうが、そこまで変わるものなのか。以前召喚された際に冬木で起こったことを説明していた時に浮かばせていた強い憎しみの色は何処へ、能面のような無表情っぷりは少し恐怖すら感じた。
笑顔の一つも見せず、無表情のまま。表情を変えたかと思えば苦汁を舐めたかのような歪んだ顔しかしない彼を思い出しながら着替え終わり、寝巻を畳んでから居間に戻る。

…あれ。

すると今までそこにいた筈の彼の姿はどこにも見当たらなかった。台所、浴室、はたまたトイレを覗いていたがまるではじめから存在しなかったようにランサーさんは影も形もない。ど、どこに消えたんだ…?もしかすると今までのランサーさんを召喚して暫くここに居ることを宣言されるまでのことは私が見た夢だった──…ってそんなわけはないよな。ランサーさんを召喚してしまった時に吹っ飛んだ新聞や小物が散らばったままだ。…帰ってきたら直しておこう。…だが一体ランサーさんはどこに消えてしまったのだろうか。


「名前、飯はできてるのか」
「あ、おはようございます…」
「うむ」

大きな欠伸と共に居間にやってきたのは私が捜しているランサーさんではなくギルガメッシュさんだった。目尻に溜まった涙を拭った彼は「飯はできてるのか」と訊いてくる。少しは自分で作ろうとは思わないんだろうか………思わないんだろうな。思うわけがない。

「まだできてないです。すぐ作ります」
「ん」
「あの、ギルガメッシュさん…」
「ん?」
「ランサーさん知りません?さっきから見当たらないんですが…」

ギルガメッシュさんがランサーさんをあまり良く思っていないのは分かっていたがこの人に尋ねる以外にランサーさんの行方を知ることはできそうにないだろう。そう思い尋ねたのだが。まずかった。やっぱりまずかった。ギルガメッシュさんは寝起きのお陰でいつもよりふにゃふにゃしていた顔から一転して不機嫌なそれにすると昨晩と同じくらいの大きな舌打ちを一つ。やばい…寝起きから一気に覚醒させてしまった…。朝から私の命がやばい…。

「あんな雑種を気にかける暇があるならさっさと飯を作れ」
「……」
「奴ならここにいる。霊体化しているだけだ。貴様が気を揉む必要は全くといってない」
「………?」

霊体化って何だ。
少々首を傾げた私に、ギルガメッシュさんは「…全く無知というものは大罪だな」と呟くと、私の頭をわしづかみ、耳に形が整っている口を寄せてそっと囁いてきた。

「選択肢をやろう。今ここで我に刺されるか、我に飯を作るか。選ぶがよい」
「断然後者です。今日は白飯にたらこと甘い卵焼きとほうれん草の油炒めです」
「味噌汁は豆腐とワカメ、葱だ。精々我の気が変わらんうちに作ることだな」

め、めんどくせー注文つけやがって…だが朝ご飯を作るだけで串刺しの刑(仮)にはならなくて済むのだ…。よくは分からないがランサーさんもここにいるらしいことが分かったのでさっさとご飯作って食って化粧して出よう。



***



「──ふ、今日も貴様が作った飯がこの庶民王たる我の口に入ることを感謝するのだな」
「あーはい、はい、ありがとうございます。いただきます」

庶民王って響き久しぶりに聞くなぁ…。
ギルガメッシュさんは綺麗な箸使いで卵焼きを口の中に入れると無表情で私を見つめながら咀嚼し始める。手には昨日買ったペンギンの茶碗が。暫くして飲み込むと「悪くないな」といつもの一言をくれた。褒め言葉だと受け取って適当に卵焼きとほうれん草をつまんでから立ち上がり、冷蔵庫に貼られた今日のシフト表を確認する。

「…今日は何時に終わるのだ?」
「四時半ですね。衛宮と入れ替わりです」

「…嫌なのか」
「……ギルガメッシュさんって鋭いですよね」

表情には出してないつもりだったんだけど。ギルガメッシュさんはいつものどや顔を披露して「王だからな、当然だ」と答えた。答えになっていない。

衛宮とは聖杯グランプリで会ってからはそれから連絡なんてとっていない。グランプリ終了後からけたたましく鳴り続ける携帯の電源を切ってから…約一日と半日くらいだろうか。携帯の電源を入れるのが恐ろしくて出来ずにいるのだがそろそろ入れた方がいいかもしれない…職場から連絡が入る可能性もないわけではないし。

「あの贋作者はえらく貴様に会いたがっているようだが…会ったところで何も話すことなどないだろうに、なぁ?」
「私とギルガメッシュさんが組んだことへの説明でも求めてるんじゃないんですかね」
「いや、それは我がセイバーに酒の肴ついでに話してやったぞ」

……いつの間にそんなことを…。

管理人のお爺さんが言うには私とギルガメッシュさんが新都に出てる合間も金髪と黒髪の美少女二人、そして褐色の肌をもった銀髪の男を引き連れて訪ねてきたそうだ。そんな大人数うちに入るわけがないだろう。
…衛宮が言いたいことは何となく分かる。私を心配してくれているということも、ちゃんと分かっている。でもそんなぞろぞろと来られても困るし、事情も知らずただぐだぐだと説教されるのもギルガメッシュさんを悪く言うのも御免だ。きっとギルガメッシュさんといると悪影響だのなんだのお説教をしかけてくるんだろう。今回は途中までギルガメッシュさんに引きずられるまま聖杯グランプリに向かっていたが最後に優勝を選んだのは私の意思なのだ。事情を説明すれば分かってはくれるだろうが、その過程が面倒というか…。

「あー…やだなぁ…即刻帰ります」
「今日は火燵にこもりながら徹夜でバイオ4のプロフェッショナルをナイフ縛りでクリアするぞ」
「残念ながら明日も仕事なんでオールは無理です。お粗末さま」
「…貴様卵焼きと緑野菜しか食ってないではないか。その残ってるのは我が食ってやってもいいぞ」
「ああ、はい。食べるならどうぞ。…こっちのラップかかってるのはランサーさんのですから食べないでくださいね」

先程の怒り具合から大体は予想していたが、予想通りギルガメッシュさんは眉間に皺を寄せた。静かに箸を置いて私を睨む姿は一度燃え尽きた怒りの炎をまためらめらと燃やしている。

「昨日言ったことを忘れたか?あやつは貴様の魔力で成り立っておるのだ。飯など作らずとも良い!飯代が勿体ないわ!」

ギルガメッシュさん「勿体ない」って言葉知ってたのか…なんか意外だ。目には見えないがどんどん庶民じみてきているらしい。

「別にギルガメッシュさんには関係ないじゃないですか」
「ある。大いに関係あるぞ」
「何がですか」
「我の食べる分が減るではないか」


………………。


一瞬衛宮のサーヴァントである常に腹をすかせた彼女が頭をよぎったのは秘密だ。


「いくら食事が要らないっていっても私とギルガメッシュさんがご飯食べてる前でランサーさんにだけご飯出さないっていうのは個人的に嫌だっただけです」
「当人のランサーは不在だろう」
「姿は消してるだけでいるってさっき言ってたじゃないですか。そもそも…毎日タダ飯食らって毎日ゲームやって電気食いつぶしてる人に飯代勿体ないーとか食べる分が減るーとか言われたくないです」

私の言葉にギルガメッシュさんは苦い表情を浮かべる──…と思いきや、しれっとした顔で「ツーリングに連れて行ってやったではないか」と言い放った。

「…!」
「旅館に泊めさせ、貴様がいつも食っている食材より格段に良いものを食わせてやった。昨日も寿司を買ってやったな」
「……」
「金に困っているなら聖杯に頼めば良かったものを…馬鹿な貴様は贋作者とうっかり娘に金をやるだけやって満足していたではないか」
「……」
「我はきちんと貴様に見返りを返しているな。他に何か言うことはあるか」
「………化粧してきます…」
「許す。行って参れ」

手をひらひらと振られ、すごすごと退散する私は惨めというか…滑稽だ。

確かにギルガメッシュさんは旅館を貸し切ったり、寿司を奢ってくれたが…何と言うか…割に合わない…。高級旅館の貸し切り料金と私とギルガメッシュさんが一緒に暮らしはじめてからの食費、電気代の合計を比べるのは失礼かもしれないが、やっぱり割に合わないと感じる。そもそも私がいつ旅館貸し切れなんて言ったんだよ…そっちが勝手に貸し切ったんだろうが…。心の中でしか言えない文句を垂らして軽い化粧を施していく。


今日は少しファンデののりが悪く感じた。