羊飼いの憂鬱 | ナノ
「おい、醤油」
「はい」
「おい、ガリ」
「はいはい……えーっと…ランサーさん…も一緒にご飯どうですか」

ランサーといったら先程会ったチャラい兄ちゃんにも当て嵌まる名前なのでとても違和感を感じる。

後ろを振り向けば、召喚された時と同じ体勢をとっていた英霊とばっちり目が合い、そして直ぐさま視線を逸らされた。人見知りなのかは知らないが見た瞬間視線を逸らされるのはそんなに良い気持ちはしない。
…別に足崩してもいいんだけどな。そう畏まる程の身分になった覚えはないし、こうやって我が家当然のように居住まいをしているギルガメッシュさんを見て欲しい。私に醤油を取るように言って全てのサーモンを自分の小皿に取っていったのだ。私だってサーモンが食べたいのに酷い奴だ。(今回金を出したのはギルガメッシュさんなのである程度優先してネタをとっても構わないがこれは酷い。)

「………」

「ランサー」と名乗った男は私の言葉に何も言わず、黙ったまま顔を俯かせるばかりだ。それに対してギルガメッシュさんはサーモンを口にしながら忌ま忌ましそうに鼻を鳴らす。

「仮にも己の主たる者に向かってそのような態度をとるとはな」
「…ッ……どうぞ、私のことなどお気になさらず」

…何も食べてない人の前で食べるの居心地悪いんだけど。そう思っていたのが顔に出ていたのかは知らないがギルガメッシュさんは「気にするな」と一言言って私の口にサーモンを無理矢理押し込んでくる。鰻を食べている途中に何てことをしてくれたのだろうか。味が混ざって訳が分からない。最悪だ。

「貴様は知らんだろうから教えてやろう。サーヴァントというのはな、マスターからの魔力供給が十分足りていれば食事も睡眠も要らんのだ」
「……ん、でもセイバーさんもギルガメッシュさんもご飯食べてるじゃないですか」
「考えればわかるだろう」
「……衛宮からの魔力供給が上手く足りてないってことですか?」
「そうだ」


鰈を一つ小皿に移したところで「じゃあギルガメッシュさんは?」と尋ねれば「受肉しているからな」と簡潔に答えられた。受肉ってなんだ。新しい魔術用語か。

「……贋作者にでも教えてもらえ。とりあえず我は食事も睡眠も必要なのだ」

………例えギルガメッシュさんが食事も睡眠も不必要な体だったとしても普通に飯食って遊んで爆睡してそうなイメージがあるんだけどな。とりあえず成る程と頷いておくことにして、空になったプラスチック容器を片付けることにする。この食べにくい雰囲気とギルガメッシュさんの所為でちゃんと食べれた気がしない。くそ。

「……申し訳ないが、今までに到るまでの状況を説明してはもらえないだろうか」
「状況?」
「何故…貴女はそこの以前の『戦争』で受肉したらしいサーヴァントと暮らし、私の名前を呼ぶことを躊躇うのか?差し支えなければ教えていただきたい」
「あー…」

今までの経緯を話すのは非常に面倒ではあるが、何度でも言うが私とギルガメッシュさんの関係性は誰がどう見ても奇妙だ。当事者の私でもそう思ってしまう。…それに、何より彼の瞳は有無を言わせない色をしている。

「…とても下らない話になると思いますが」
「何を言うか、我と貴様の伝説を下らんと思う輩などこの世におらんわ」
「伝説とか話盛らないでくれませんかね…まあ、とりあえず足崩して楽な体勢とって下さい」
「………このままでよろしいか」
「あ、はい。じゃあ…」

ギルガメッシュさんがソファーに寝転がるのを横目にして私は「ある休日のことだったんですけど」と説明を始めることにした。



***



ギルガメッシュさんがある日突然転がりこんだこと、私達一般人が見知らぬ間に英霊や魔術師が聖杯をかけて戦争を行っていると知ったこと、ギルガメッシュさんとゲームをしたこと…は割愛し、今この冬木では虎聖杯戦争という普通の聖杯戦争とはまた違う戦争が度々起きていることや、その虎聖杯のお陰で本物の聖杯が現れレースをしたこと、そして私が聖杯くんに出会い、ランサーさんを召喚してしまったことなどをかい摘まんで話した。彼は始終真面目な表情で耳を傾けていたが、話し終えると「少し時間を頂いても?」と口を開いた。ギルガメッシュさんは我関せずといった感じで、いつの間にか金色のPSPでモンハンをプレイしている。音がでかい。下げろ。

「別に構いませんが…」
「貴女に魔術に関する知識は持っていないようだから、それを踏まえて話をさせていただきます。──消滅したサーヴァントがどこにゆくかご存知ですか?」
「いえ、知らないです」

私の言葉に、彼は分かっていたのか軽く頷き、説明をしてくれた。今冬木に召喚されているサーヴァントはただの分身であり、本体は「英霊の座」にあるということ。敗退したサーヴァントの分身は「英霊の座」に戻り、本体はその分身が体験した記録を読むことが出来ること。ちなみに受肉の意味を尋ねてみれば、彼は嫌な顔一つせず説明してくれた。
…ギルガメッシュさんが今ここでサーモンにあたり嘔吐を繰り返し突然ころっと死ぬとしても、私の目の前にいるギルガメッシュさんは受肉していても所詮は分身。本体は「向こう側」にある。「英霊の座」に戻っていくのだろうか。記録は「苗字名前と食っていたサーモンにあたり、食あたりの後、死亡」とかなんとか書かれてしまうんだろうか。本体のギルガメッシュさんはそれを読んでどんな顔をするだろう。考えるだけでなかなか笑える話だ。無意識に頬が緩んでいたのか、ギルガメッシュさんは画面を睨みつけたまま無言で足を私の顔に押し付けてきた。汚い。

「我の足が汚れているだと?戯言も程々にしろ」
「…話の続きをしても?」
「汚いからやめてくれません!?…あ、どうぞ」
「……話を戻します。…私は以前聖杯からの招きに応じて召喚された際に、騎士としての誇りを汚されたことにより、並々ならぬ憎悪の心を持ちながら消滅の道を辿ってゆきました」
「……」
「憎悪の感情が強すぎた所為かは私には分からない。普通なら、その魂はただの情報として記録に蓄積され、それで終わるのですが……」

そこで彼は一旦言葉を切り、どこか迷ったような、気難しい顔をして私を見る。

「何故か、その記録──いや、記憶があるんです」
「…?」
「何だと?」

彼の言葉に今まで黙っていたギルガメッシュさんは手を止めて彼を見る。真面目な表情で彼を見つめ、ギルガメッシュさんはそのルビーよりも価値のありそうな瞳を細めた。

「我らサーヴァントは毎回召喚される時には前回までの記憶を引き継ぐことなど有り得ん。『そこ』に記録として存在するだけだぞ」
「魂が覚えちゃうくらい嫌な記憶だったってことですかね…」
「──第四次聖杯戦争が起きたのはこの冬木の地。そして私が憎悪を抱き、死んでいったのもこの冬木だ」

……俺にとっては忌まわしい場所でしかない。

ぽつりと呟いた言葉は本音なのだろう。
彼は落としていた視線を私に向けると懇願するような目を向ける。

「話に聞けば貴女はそこの英雄王、ギルガメッシュと共に聖杯戦争に参加している様子。私が出る幕ではないのでは?」
「そうだ。貴様は不要だ。元いた場所に帰れ。永遠に戻ってくるな」

「しっしっ」と追い払う仕草をするギルガメッシュさんを軽く睨みつけ、彼の方に向き直る。ギルガメッシュさんの言葉は何とも思っていないのか鉄仮面を貫き通す彼は私の言葉を待っていた。

「私も聖杯くんっていう訳の分からん化け物を通して強制的に召喚せざるを得ない状況になったんで、ランサーさんの召喚は手違いというか…したくてしたんじゃないので…」
「私はこんな忌ま忌ましさしか感じられぬ場所になど留まりたくはない。貴女も私は不要の身…ならば話は早い。この契約はなかったことに」
「ランサーさんを帰らせるにはどうすれば?」

「契約を破棄する為にはその左手にある令呪を全て使えばいい」とギルガメッシュさんが答える。…どう使えばいいのだろう。

「……魔術回路を接続して三度私に簡単な命令をして下さい」

無知で申し訳ない思いを抱きつつ魔術回路はどう接続すればいいのですかと尋ねれば、後ろから左腕を思い切り引っ張られた。ギルガメッシュさんは眉間に皺を寄せ「我がやってやるから貴様は我の言葉を復唱しろ」とだけ言って私の左腕を強く握る。そうすれば何かスイッチが入ったように奇妙な感覚が体を駆け巡った。どうやら魔術回路を開いてくれたらしい。一体どのような原理で開いたかは今の私の理解力では到底理解出来ないだろう。黙ってギルガメッシュさんの行動を待つことにする。左手の令呪が怪しげに赤く光る中、にやにやと悪い笑顔を浮かべたギルガメッシュさんが口を開いた。

「──令呪をもって命じる」
「…令呪をもって命じる」
「三回まわって」
「……三回、まわって………?」
「ワンと鳴け!雑種!」

貴方一体ランサーさんに何をさせたいんですか?

そんな突っ込みは言葉に出来ず、代わりに出てきたのは悲鳴と呻き声が混ざり合ったものだった。

「おい、どうした」

一度体験したあの頭痛は二度目で慣れる筈もなく、体を自由に動かせる今、ギルガメッシュさんの手を振り払って割れるような痛みを抑えるように頭を押さえるが、それは気休めの欠片にもならない。私が一体何をしたっていうんだ。痛い。くそめ。ギルガメッシュさんの少し焦ったような顔が涙で掠れた視界に映るがそんなことを気にしているような余裕は持ち合わせていなかった。時間は数十秒しか経っていないだろうが、何時間も経ったように思える。ぴたりと頭痛はやんだ。床に這いつくばるように倒れた私を嘲笑うかのように、どこからともなくあの煩わしい声が聞こえてくる。ああ、やっぱりこいつの仕業か、と心のどこかで分かっていた自分が溜息まじりで呟いた。呼吸をゆっくりと整えながら一体やつはどこにいるのかと顔を持ち上げると、真っ先に飛び込んできたのは私と同じく頭を抑えて苦しげに口で短く息をしながら綺麗な顔を歪ませたランサーさんだ。

『そんな下らないことをする為にボクはキミにサーヴァントをあげたんじゃないよ』
「貴様…隠れておらんで出て来たらどうだ!」

ギルガメッシュさんが天井に向かって叫んでいたが、正直それは頭に響くのでやめて欲しかった。聖杯くんはギルガメッシュさんの声を聞いていないかのように私に語りかけてくる。

『苗字名前、ボクはいつもキミを見ているよ。キミが聖杯戦争に参加する様をね。ボクはキミを戦争に参加させる為にそのサーヴァントをあげたんだから、要らないからって下らないことに令呪は使わないでよ。使えるのはキミが戦争に参加している時に、ボクがキミの願いがキミの聖杯戦争に大きく利をもたらすと判断した時だけに限らせてもらうから、そこのところはよろしく頼むよ…もうあんな痛みは感じたくないだろう?ねえ、ランサーくんもそうでしょう?』
「……貴様は…彼女が言っていた聖杯くん、とやらか…?」

訝しい表情で問うランサーさんに、聖杯くんは肯定の言葉を返した。

『ランサーくん、キミは苗字名前の手助けをするんだ。これは決定事項だからね、例えキミが何と言おうとも、それはただの言葉でしかない。決定権は全てボクが持っているからね』
「………」
『──あ、苗字名前にはそういう条件としてキミをあげたから一応キミに言っておかなくちゃ。家政婦として彼女の身の周りの世話も頼んだよ』

「家政婦」っつーか「家政夫」の間違いだろ。とは言えず、倒れたまま黙って聖杯くんの横暴な命令に耳を傾ける。

『彼女には万全な体勢で戦争に参加して欲しいからさ。苗字名前の周りには厄介者が多過ぎる。…キミみたいなマスターに従順なサーヴァントなら、それくらい容易いだろ?』
「………」
『ふふふ、次はちゃんと自分を理解してくれるマスターだといいね。…それじゃあ、また会おう』

…会ってすらいないんですけどね。
私が呟いた後、聖杯くんに対してか、当分いることになったランサーさんに対してか、王は大きく舌打ちをかました。