羊飼いの憂鬱 | ナノ
ギルガメッシュさんに手渡されたコートを着て、すっかり暗くなった空の下を並んで歩く。街灯があまりないことと、冬なので空気が乾燥していることも相まって星がよく見えた。ギルガメッシュさんはツーリングに行く際に身につけたマフラーが甚く気に入ったようで、今日もそれだけを巻いて出たのだが、いい加減十二月にも入ったのにそれだけで寒くないんだろうか。幾ら私が口を出そうとも最終的に物事を決めるのは彼だ。風邪を引かない程度にお洒落をして欲しい。

「名前、腹は減っていないのか」
「そうですね、朝に食べたっきり何も食べてないのでちょっと…」
「我も腹が減ったのだ。何処か寄っていくか? 安心しろ、今日は我の奢りだ」
「そうですね…オムライス作ろうと思ってたんですけど……スーパーでお寿司の詰め合わせあったらそれがいいです」
「スーパーでなくとも冬木一の寿司屋に行けばよいではないか」

冬木一の寿司屋ってもしかして回らない寿司屋のこと言ってんのか。

「今ちょっと疲れてるんでそういうお堅い所は…」
「そうか。スーパーなら確かこの先にあった筈だ。寄っていくぞ」

特に文句を言うこともなくギルガメッシュさんは私の希望を通した。何か裏で変なこと企んでたりするんだろうか。心配してくれてる…ことは絶対に有り得ないだろう。つい昨日私を殺そうとした人だ。ないない。有り得ん。凝視していたことに彼は「何か用でもあるのか」と訊いてくる。その顔の眉間に皺は寄っていない。最近事あるごとに彼をガン見している私に慣れてしまったのかもしれない。

「いや…デパートで私が待ってる時に何やってたのかなーって思いまして」
「ああ、そうだ。忘れていた」

そう言って立ち止まると、ギルガメッシュさんはデパートの紙袋に手を突っ込んでがさごそと漁り出した。何をしているのかと眺めていれば、彼は小さな長方形の箱を私に押し付けてくる。ぐいぐいと押し付けてくるので慌てて受け取れば、「開けろ」と一言告げられた。…何入ってんだ…。そう思いつつ開ければ、小さな赤い宝石を基調としたアクセサリーが入っていた。チェーンの色は金だ。どことなくギルガメッシュさんを彷彿とさせるカラーリングである。

「これどうしたんですか」
「ゲーム売り場に行く途中に装飾品の売り場を見かけてな。特注で作らせた」
「と、特注…」
「その石は我の持つ宝物の中ではなかなか上物でな、どんな呪いによる干渉も受け付けんのだ」
「…の、呪い?何をどうしたらそんな呪いがかけられちゃう状況に置かれるんですか。ちょっと訳が分からないです」

ギルガメッシュさんは私からアクセサリーを奪い取り、そのまま両手を首にまわしてそれを付けると満足そうに口角を上げた。

「いいから付けておけ。前々から気になってはいたのだ。名前、お前は良い年こいて装飾品の一つも付けておらぬからな。お前にこれは釣り合わぬだろうが我の隣には立ちやすくなるだろうよ」
「はぁ…」
「勝手に外すなよ」
「はぁ」
「湯浴みでもだぞ」
「錆びます」
「我の宝はちょっとやそっとでは傷付かん」

根拠を訊こうにも私が満足するような回答はしてくれないんだろう。もういいや。どうにでもなってしまえ。お礼を述べるとギルガメッシュさんは「そんなことより早く行くぞ」と私を急かした。



***



スーパーで適当に寿司の詰め合わせと、惣菜を何品か購入して買い物は終わった。買物袋は私持ちだ。腹が減って仕方ないのか早足で歩くギルガメッシュさんの後ろを着いて行き、見慣れた道を歩く途中、突然左手に鋭い痛みが走る。幸いなことに買物袋を落とすような真似はしなかったが短く声を上げてしまい、ギルガメッシュさんが不審な顔をして振り返った。その顔は空腹のお陰で苛立っている。やべえ。

「何だ。何かあったのか」
「すいませんちょっと転びそうになっちゃって……早く帰りたいなら先帰ってていいですよ。合鍵持ってきてますよね?」
「…我が先に帰ったとしても貴様が飯を持っていては意味がないではないか」
「じゃあ、はい。あげます。どうぞ」
「さっさと歩け」

買物袋を渡そうとする前にギルガメッシュさんは前を向いて歩きだしてしまった。私ももたついてないでさっさと歩こう。アパートはもう目の前にある。…そういえばさっきのは一体何だったのだろう。

「………!」

何気なく左手を見て息が詰まった。う、うわ、何だ、これ。鬱血したとしてもこんな急になるものでもないし、それ以前にこんな入れ墨みたいな形になる訳がない。血で描いたような入れ墨だ。ほんと何だこれ。歩みは止めず、買物袋を腕にかけて、右手で入れ墨のような痕にそっと触れる。痛みはない。ギルガメッシュさんの言ってた呪いか?呪いなんてそうほいほいかかるものなのだろうか。…でもギルガメッシュさんはこのアクセサリーはどんな呪いでも効かないと言っていたから、呪いではないだろう。だとすれば、これは一体何だ。
ギルガメッシュさんに言葉を求めようにも、今の彼に声を掛けたら殺されそうである。下らんことを聞くなと剣でぶすりと刺されてしまうかもしれない。飯で腹が膨れた後に改めて言おう。

階段を上るギルガメッシュさんの後に続き、「苗字」と小さく書いてあるドアの前まで歩いて鍵を開ける。


「……?」


玄関に入り、手探りで電気を点けてから靴を脱ぐ途中、何となく、どこか違和感があった。上手くは説明できないが、何か…空気がおかしいような気がする。いつもと感じが違うというか…。

「おい、脱いだのなら早く中に行け。後がつかえる」
「…あ、すいません」

ギルガメッシュさんはいつもの調子だ。人より何倍も感覚の鋭い英霊が気付いていないとすれば、私の気の所為か。日中散々な目にあった所為で精神的に疲れているのかも…今日は早く寝よう。明日は三日振りの仕事だ。短い廊下を抜け、扉を開けて居間に一歩踏み入れた瞬間、暗かった部屋に赤色の光が瞬く間に浮かび上がった。思わず声を上げ、足元を見れば何か…漫画やアニメで見る魔法陣のようなものが床全体に書き綴られている。室内だというのに風が巻き起こり、テーブルに置かれていた新聞や小物が部屋の隅に吹っ飛んでいく。足を動かそうにも、床にくっついたかのようにそれは動かない。

「ちょ、ギルガメッシュさっ…」

ギルガメッシュさんの私を呼ぶ声が聞こえ、彼が駆け足で私の傍に寄ると、足元の魔法陣を見て何かに気付いたように口を開いた。

「これは…英霊召喚の陣か?」


「うん、そうだよ。流石はギルガメッシュくんだね」

──もう二度と聞きたくなかった声が聞こえ、顔を上げれば、デパートで私に魔術回路を埋め込んだ張本人である聖杯くんが、あの変わらない笑顔で立っていた。ギルガメッシュさんは忌ま忌ましそうに顔を歪ませ、私の腹に腕を回し自分の方に引き寄せながら(だがびくとも動かない)口を開く。

「貴様が言峰の言っていた聖杯くんか。我の臣下に我の許可なく手を出そうとは、その意味を分かった上でやっているのか?」

宝物庫を解放するギルガメッシュさんだが、一体この人はアパートで何をするつもりなのだろうか。剣が何本も異空間からこんばんはしてるがここは室内だ。

「ふふふ、そう怒らないでよ。キミがボクに攻撃しちゃうとこのアパート壊れちゃうよ?」
「そ、そうだよギルガメッシュさんまじでそれだけはやめて下さいほんと後生ですから!」
「喧しい!臣下を訳の分からん体にしよって黙っていられるか!」


「ボクとしては黙ってくれないと困るんだよ」


そう言うと、ギルガメッシュさんと、彼と密着していた私の体には聖杯くんと同じ紫色のでろでろとした形容し難いものが絡み付き、何も身動きが取れなくなる。ギルガメッシュさんの宝物庫に続く空間もいつの間にか閉じられていた。

……もしかしなくても、これは絶体絶命というやつなのでは……。

聖杯くんは体を引きずって私の目の前までくると、顔をずいっと近付けてくる。赤紫の液体がだらだらと流れる様子をダイレクトに眺めることが出来て大変気持ち悪い。

「苗字名前、ボクはね、ここでキミの聖杯戦争を終わらせて欲しくないんだ」
「貴様…何を言って──」
「キミが自分を押し殺して戦争に参加する様を、ボクにもっと見せてよ。今は虎聖杯戦争もやっていることだし。だから、ね」

キミに従順なサーヴァントをあげるから、それでまた戦争に参加してボクを楽しませてね。…割と捜すの苦労したんだからさ。


次の瞬間、左手の入れ墨が魔法陣と同じように光った。全身の血が逆流したかのように感覚がおかしくなる。気付けば聖杯くんの姿はなく、体に巻き付いていたでろでろも消え、私はギルガメッシュさんに抱えられていた。魔法陣の中心に一際大きな風が舞い上がり、それも止むと魔法陣自体の光が鈍くなる。微かな光が部屋を照らす中、何者かがその陣の中心にうずくまっていた。うずくまっていたというよりは…よく忍者が殿の前に現れる時によくやるような、ああいう片足を立てる座り方だ。ギルガメッシュさんが私を自分の後ろに隠すようにして、その人を睨みつける。

「…貴様は…」
「──此度は『ランサー』のクラスで参上した。…一つ問おう」


貴方が私のマスターか。


感情の篭らない男の声に一体どうしたものかと考える。
わ、私が召喚しちゃった、んだよなぁ…どう考えても…。考えあぐねる私にギルガメッシュさんがその人に近寄ると、「貴様は呼んでおらん」とあろうことかその人を思い切り蹴飛ばした。

ええええ何やってんだこの人!!

一先ず始終無事だった買物袋をその場に置いて二人の間に割って入る。蹴られた方は何も言わず、黙って顔を下に向けるばかりだ。暗い所為もあって顔は見えない。

「何やってるんですかギルガメッシュさん!チンピラじゃあるまいし」
「貴様はさっさとマスターではないことをはっきりさせてこいつを帰らせろ」

「……ギルガメッシュ?」

「…何だ。この王たる我に何か言いたいことでもあるのか、雑種が」

空腹も頂点に上っているのか苛立ちを隠さない王に対し、男は暫く黙っていたが「確証はないが、前に喚び出された戦争で見たような…記録がある」とだけ答えて、押し黙った。

「…おい、電気を点けろ」
「あ、はい」

私もそろそろ電気を点けたかったところだ。スイッチのある場所まで歩こうとすると、「お待ち頂きたい」と少し焦ったような声がかかる。言わずもがな私が召喚してしまったらしい人の声だ。相変わらず顔を下に向けたまま、彼は話し始めた。

「私を召喚したのは貴女とみて相違ないか」
「え、えーと…はい」
「私には…私の顔には女性を惑わしてしまう呪いがかかっている。明かりを点けるならばそれ相応の対策をとっていただかなければ…」
「……ギルガメッシュさん、これって──」
「ああ。構うな。安心しろ」
「?!…あ、」

私の尋ねたいことは分かっていたらしい。明かりをつければ、戸惑うような声を上げてその人は手を顔に当てた。しかし、早速呪いをかけられそうになるとは想定外だ。世の中何が起きるか分かったもんじゃない。

「呪い対策ならちゃんとしてるので」
「……」

そっと、おそるおそるという風に顔を上げたその人と視線がばっちりと交わる。琥珀をより濃くしたような色の目に、精悍な顔つき。目元にある黒子がその精悍さにどこか甘味を混ぜているような。余計な肉を限界まで削り取ったように鍛え込まれた体、と美丈夫をそのまま形にした男は少し気まずそうに再び顔を下げた。先程蹴られた所為で口元には少し血が滲んでいる。

「……私は以前召喚された際に、マスターであらせられた方の許嫁の心を掻き乱してしまった前歴がある。大変無礼ではあることを承知して申し上げさせていただくが…マスターとなる貴女が彼女のようにならないとは限らない。だから──」
「名前、我はもう限界だ」
「……すいません、詳しい話はご飯の後でもいいですか?」

ギルガメッシュさん怒ると怖いんですよ。
小声でそうつけ加えれば、彼は少し呆気にとられたような表情をしたが、こくりと一度頷いた。