羊飼いの憂鬱 | ナノ
カチ、コチと動く時計の秒針がやけに耳に響く。暖房が効いているのか、ぽかぽかと部屋全体が暖かく感じた。何だか少し懐かしい匂いもする。

「──……?」

此処は何処だろう。先程まで私はデパートでぶっ倒れていた筈だ。目を開くと、私は大きなベッド(多分これはキングサイズだ)に寝かされていた。ゆっくりと顔を右に向ければ、漫画や雑誌が敷き詰められている棚の上のガラスケースの中に、ギルギルマシンのミニチュアらしき物が置かれていた。…もしかすると此処はギルガメッシュさんが私のアパートに入り浸る前に居た所だろうか。

「お、目ェ覚めたか」

声のした方向へ視線を向けると、海底からそのまま色を拭いとったような青髪と、ギルガメッシュさんとはまた違う赤目が印象的な男が丸椅子に足を大きく開いて座りながらこちらを見ていた。金のかかっていそうな家具や骨董品が置かれている部屋の中でアロハシャツを着ている彼はとてつもなくこの場では異端だ。
彼は人の良い笑みを浮かばせ立ち上がった。揺れる耳飾りや、縛って止める程の長髪が目立つ。かなりチャラい兄ちゃんである。

「ちょっと待ってな。金ぴか呼んでくっから」
「……」
「お〜いギルガメッシュ!嬢ちゃん起きた──いってぇっ!」
「名前ッ!目覚めたのだな」

ドアを開けようとした途端、反対から勢いよく開け放たれたそれによってチャラい兄ちゃんは壁とドアに挟まれた。部屋に飛び込んできたギルガメッシュさんは私の顔を見ると少し怒った顔をして駆け寄ってくる。

「……ギルガメッシュさん…ひ、人が…」
「狗など構わんでもいい!貴様、我は倒れてもいいなどという許可は出しておらんぞ!」
「…理不尽ですね…」
「我の居ぬ間に何があった?全て話せ。何故貴様が魔術回路を持っているというのだ」
「魔術回路…?」


「魔術師が魔術を行使する為の擬似神経だ」
「ふぎゃっ」

一段と低い声が響き、そしてチャラい兄ちゃんの情けない呻き声が聞こえる。部屋の入口にはカソックを身につけた長身の男が私を見ていた。伸びていたチャラい兄ちゃんを踏み付けて入ってきたようだが、悪びれた様子は欠片も見えない。無理矢理貼り付けたような笑みに温度は感じられず、濁ったような瞳は少しだけ切嗣さんに似ているような気がしないでもない。

「自己紹介がまだだったな。此処、冬木教会の執務を執り行っている言峰綺礼だ。言峰教会といえば君もピンとくるだろう」
「…ええ…ギルガメッシュさんの保護者、ですよね」
「おい」
「…ふっ、そのようなものかもしれないな」
「おい」
「そして、これは…狗だ」
「ちっげーよアホ!ランサーだっ!」

犬と言われた途端に飛び上がりきゃんきゃんと喚く様は犬と言われても仕方がないかもしれない。人間らしからぬ名前といい、姿といいこの人も英霊か。犬──もといランサーさんが騒ぐ中、言峰さんは先程までランサーさんの座っていた椅子に腰掛けると「それで、」と口を開く。

「私も気になっていた。君のような一般人…魔術回路を一切持たない人間が、何故急に魔術回路を持つことになったのか。是非、お聞かせ願おうか」
「…信じてもらえないかもしれませんが」
「信じる信じないの問題ではない。ありのまま起こったことを話せばよい。臣下の言葉を王が信じず誰が信じるというのだ」

ギルガメッシュさんが私の傍に腰を下ろし、足を組んで私を見下ろした。

「ギルガメッシュさんを待っていたら、聖杯くんって得体の知れないのがきて…」
「ああ、聖杯くんか」
「えっ、ちょっ…聖杯くんだと?!」

突然顔を青くするランサーさんと、ああそれねと頷く言峰さんはどうやら聖杯くんを知っているらしい。知名度はある程度高いのか…?

「喧しいぞ駄犬。話を続けろ」
「…聖杯グランプリを優勝したけど自分の願いを言わなかった私に興味を持ったとか何とかで…突然家政婦は要らないかって尋ねてきました」
「…家政婦?」

目を細めて聞き返す言峰さんに頷いて話を続ける。

「欲しいけど遠慮しますって言ったら、体に、こう…あの口から出てるでろでろしたものを体内に入れられて…」

話しながら腹に手をあててみるが、これといった外傷はないようだ。

「それから意識飛んで、今起きたって感じです」
「…そうか。聖杯くんが君に魔術回路を植え込んだとみて間違いないな」

植え込んだって…そんな花壇に種を植えるみたいに言うなよ。

「でも何の為に…意図が分からないんですが」
「家政婦ってもしかしたらサーヴァントのことじゃねーのか?」
「…ほう、自覚があるのか」

胡座をかいて話を聞いていたランサーさんがそう言うと、ニヤニヤと人の悪い表情の言峰さんが彼の気に障りそうな発言をかます。ランサーさんは額に青筋を立てつつ「ねーよ」と一言返した。段々この二人の関係性が分かってきた気がする。

「考えてみりゃー分かんだろ。サーヴァントはマスターに従順だ。…まあ勿論例外はいるけどな。家政婦=サーヴァントと考えれば魔術回路をこの嬢ちゃんに植え込んだのも納得できる」
「聖杯くんが彼女を聖杯戦争の新たな参加者に選んだということか。虎聖杯戦争が繰り返し行われておかしくなっているからこそ起こったことならば、それはまた面白いことになりそうだな」

全然面白くねーよ。あれか、また私は戦争に巻き込まれそうになってるってことか。

「……おい言峰」
「何だ?」

今まで黙っていたギルガメッシュさんが真剣な顔で言峰さんに声をかける。言峰さんも意地の悪い顔を隠し、真面目な表情になった。

「聖杯くんって何だ」
「…聖杯くんというのはだな…」
「うむ」
「冬木のご当地マスコットキャラクターだ。最近全国でゆるキャラがどうとか流行っているだろう。ひこにゃんみたいなものだ」
「ああ、ひこにゃんか」

い、今ので納得したのか…?っていうか聖杯くんのどこがゆるキャラなのか、字数制限無しで私が納得するまで説明して欲しい。聖杯くんを知っているらしいランサーさんも言峰さんの説明に何とも言えない顔をした。ギルガメッシュさんとは違い、アーチャーさんと同じ常識を持った英霊のようで少し安心する。

「あの、言峰さん。魔術回路を持ったことで生活に支障をきたすことはないんでしょうか」
「…魔術回路とは本来君のように埋め込まれるものではない。魔術師が代々子に受け継がせていくものだ。私には何とも言えないな。だが聖杯くんが埋め込んだものならそんなに心配はしなくても良いだろう。わざわざ君を苦しめ死なす為にやったとは到底思えん」
「…そうですか」

現時点で体が重いとか、心臓が苦しいとかそういう症状はない。ギルガメッシュさんが魔術回路が云々と言い出さなかったら気付きもしなかっただろう。

「それで──苗字名前よ」
「はい?」

言峰さんが椅子から立ち上がり、ベッドの傍に近寄ってきた。そして無表情のまま、彼は私に問いを投げつけてくる。

「君は今、聖杯くんに英霊の召喚を良しとされている身だ。召喚は、するのか」
「それは、」
「ならん!」

答えようとする前にギルガメッシュさんが大声を上げて私の言葉を遮る。何だ。どうした。ギルガメッシュさんは私を睨みつけて「ならんぞ」と再度言い付ける。

「あの掘っ建て小屋は我と貴様だけで充分だ。ゴツい奴があの部屋に転がり込むだと?ただえさえ狭いのだ。これ以上窮屈な生活は御免だ!」
「掘っ建て小屋って…こちらとしてはギルガメッシュさんが転がり込んできてすごく窮屈なんですけど」
「ゴツい奴が召喚されるって訳じゃねーだろ。若くてかわいーネーチャンかもしれねーぞ」
「だとしてもだ。我にはこやつの面倒を見るのでかなり手こずっている。むやみやたらと召喚するくらいなら……我はあの小屋から出ていくぞ!」
「かつては大勢の民を引っ張っていた王様がこんな嬢ちゃんで苦労するなんてな。やるな嬢ちゃん!」
「違います。私が面倒見てるんです」
「あ、やっぱりか」
「何を言うか!名前貴様さっきから我に無礼だぞ!」

ぐっ!と親指を立てるランサーさんにぶんぶんと手を振って否定するとギルガメッシュさんは眉間の皺をつくり、私に掴み掛かる。何だこの人、面倒見られてるって自覚なかったのか。驚きだ。
ぎゃーぎゃーと喧しくなってきたことに言峰さんは溜息をついて「帰るのならさっさと帰れ。教会に居られると迷惑だ」とストレートに言い放つと部屋を出て行った。相手は病み上がりなんだぞと言って私からギルガメッシュさんを引き剥がしてくれたランサーさんは「お前らこれからどうすんだ?」と尋ねてくる。これから、か。体調にこれといって異常はない。今は何時だろうと時計を見れば、既に時刻は夕方近くをまわっていた。いかん。そろそろ夕飯の時間だ。

「そろそろお暇させてもらいます。言峰さんに迷惑かけてしまったみたいですし」
「あいつは誰にでもああなんだ。気にすんな。もっとゆっくりしてってもいいんだぞ?」

出会って間もない私を心配してくれているようで、真面目な表情で気遣ってくれるランサーさんは見かけによらず良い人のようだった。

「いえ、大丈夫です。ギルガメッシュさんはどうするんですか?」
「我も帰るに決まっているだろうが。荷物を取ってくる。おい狗。こいつを外まで連れていけ。…名前、お前は歩いて帰れるのか?帰れぬならまた我が愛機に乗せてやらんでもないぞ。少し待たせることになるがな」

昼飯はデパートで食べるから今のうちに腹を減らしておこうと移動方法を徒歩に指定したのはギルガメッシュさんだ。ギルギルマシンは今アパートにある。わざわざ一度アパートに行って取ってこさせるのは申し訳ない。

「徒歩で大丈夫ですよ」
「そうか。狗、頼んだぞ」
「! お、おう…」

部屋を出ていくギルガメッシュさんを見送り、この部屋には私とランサーさんだけが取り残された。ふかふかのベッドから下りて、ランサーさんの傍に寄る。そうすれば彼は「よっこらしょ」と立ち上がり、私の顔を覗き込んできた。

「あいつがあんなに人に気ぃ遣うたぁ驚きだな。一体何やったんだ?」
「…別に何も…強いて言うならずっと一緒にゲームしてました」
「…成る程ね。じゃあ行くか。案内するぜ、ついて来な」

ランサーさんが歩く度に長い髪の毛が揺れ、それを眺めながらついて行く。これは本当に地毛なんだろうか。英霊は人離れし過ぎている気がする。
廊下を左に曲がり、少し歩いた所にあった扉を開き、また少し歩く。若干複雑な造りだ。ランサーさんがまた一つ扉を開けば、少し遠くに街灯やビルの明かりが見えた。冷たい風が私とランサーさんの間を通り抜けていく。そういえば私のコートはどこにいったのだろう。起きた時にはもうなかったしな。ランサーさんに尋ねると、彼は「知らねーな」と首を横に振った。

「ギルガメッシュの奴が持ってんじゃねーか…お、噂をすれば何とやらだ。来たみたいだぜ」

後ろを振り返れば私のコートとデパートの袋を持ったギルガメッシュさんがこちらに向かってくるのが見える。

「ランサーさん、色々お世話になりました。言峰さんにもそうお伝えしておいて下さい」
「おう。お互い冬木にいる身だ。見かけたら声掛けてくれや。金ぴかの愚痴ならいつでも聞いてやるよ」
「はは、ありがとうございます」

この人もギルガメッシュさんには苦しまされたのだろう。少し笑いながら礼を言うとランサーさんは少し目を見開いて私を見つめる。それから人懐こい笑顔で私の頭をぐしゃぐしゃと撫で始めた。あっという間に寝起き同然の髪型になったことに対しては、まあこの際黙っておこう。この人も悪意を持ってやったわけではなさそうだし…。

「嬢ちゃん良い顔になったなあ。初めて見た時とは大違いだぜ」
「…何処かでお会いしたことありましたっけ?」
「いんや。こうして喋ったのは今日が初めてだ」
「じゃあ──」

「おい、我のいない所で何の話をしている。行くぞ」
「うおっ、っと…」

ギルガメッシュさんに襟首を掴まれ引きずられながらランサーさんに手を振れば、苦笑気味の笑顔で同じく手を振り返してくれた。